◎幽霊には足が無い
明治くらいまで言われていたのが、「幽霊には足が無い」という説です。
江戸時代の有名な幽霊画には着物の裾までしか描かれていません。
ま、実際にそんなことはなく、幽霊でも足先が見えることもあります。
もはや30年以上前になりますが、C市に滞在していた折に、幽霊に出くわしたことがあります。
雨の夕方でしたが、長い土塀の外を歩いている時に、急に「この先の角の陰にひとがいる」ような気持ちになりました。
歩を進める毎に、その気持ちが高まり、かつ「けしてこの世のものではない」という予感がしました。
それでも、その道の先に行かねばなりませんでしたので、そのまま進み、角のところで視線だけを陰に向けたのです。ここは、極力、顔を向けずに、目の端で見たということです。
すると、そこで見えたのは、着物の裾と下駄を履いた足先でした。
赤い着物を着た子ども、たぶん十歳くらいの女児が立っていたのです。
その後は、たぶん、「百メートルを十一秒くらいの速度で走った」と思います(苦笑)。
となると、やはり幽霊にも「足がある」ことになることになります。
ところが、最近になり、この説にも「一面の真実がある」と分かって来ました。
死んだ後も、この世に重なる幽界に留まっている者は、生前の自我を保持しています。
ところが、肉体を持たぬため、その自我・自意識は次第に薄れて行きます。
ひとは五感を通して、自身を確認しているためで、これが無いと自他の境目が曖昧になってしまいます。夢の中と同じで、おぼろげな自覚しかありません。
画像の中に幽霊が写り込むことがありますが、多くは「一部分が欠けている」「一部分だけが写っている」状態です。
おそらく、自意識に欠損が生じているためだろうと思います。
頭には思考、胸には感情がありますが、それらと遠い所から薄くなって行くのでしょう。
幽霊は次第に消散していくわけですが、最後まで残るのは目です。
目はまさに心の窓。
画像の中の自殺霊と視線を合わせたせいで、毎夜毎夜、そのひとが死ぬ様を見させられています。
「もう死んでしまおう」「生きていてもしょうがない」
そんな気分になって来ます。
こういうのを振り切るのは、結構、厄介です。
今日はゆっくりお寺と神社を回って来ることにしました。