日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎伊豆に行ってもやはり起きる

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◎伊豆に行ってもやはり起きる
 西伊豆の温泉に、家人、息子と一緒に行きました。
 ホテルに入ったら、早速煙玉だらけ。

 家人が「わたしのせいかしら」と言うので、「それなら良いんだけどね。ま、俺のほうだろ。いつものことだし」と答えました。
 こういうのは出る人にしか出ません。人を選んで現れるものなのです。
 人間だって、自分のことを理解してくれようとする人に好意を持つものです。嫌ったり恐れたり、否定する者には寄って来ません。
 寄って来ない人には、一切何も起きないので、塵ほども理解出来ないままですね。

 しかし、我々クラス(苦笑)には、はっきりと自己主張をして来ます。
 案の定、部屋の鍵が抜けなくなるし、風呂のロッカーの鍵も開かなくなりました。3分くらい右往左往します。
 これもいつものことで、「この辺で悪戯は止めてくれ」と告げて、じっと1分待つと開くようになります。
 きちんと向き合うと、納得するのでしょうか。
 家人を含め、女性と一緒に出掛けると、面白くないらしく、この手のは頻繁にやられます。知人女性と食事をするだけでも、店の自動ドアが開かなくなりますし。

 夜中に家人がダンナ(私)をつつき、「場所を替わって」と言うので、布団を替わりました。
 家人は「長い髪の女が座っていて、わたしのことを怒っている」と言います。
 「ほれ。やっぱり俺のほうじゃないか」
 「長い髪の女」は、つい最近も画像に出たばかりです。
 それなら私は平気なので、「生きている人間の邪魔をするなよな」と念じて、ぐっすり眠りました。
 嫉妬をして、ちょこちょこと悪戯はするけれど、それ以上の悪さをしないことは分かっています。

 画像は、部屋に現われた煙玉です。
 日光の反射でも、ミスト乱反射でもありませんね。
 ガラスに影が写っているので、物体として「存在している」ということです。

 「自然現象」だというこじつけが出来ないように、バラバラと出ています。
 最後のは、本格的な悪戯になっています。
 目隠しで見え難いかもしれませんが、この時は裸眼です。でも、ガラスに映っている方は眼鏡をして、マスクをかけてますね。
 そっちは普段の私の姿です。

 そもそも、ガラスに映る時には、ガラスを向いているほう、すなわち、私の後頭部が映らなければならないのですが、本人と同じ方向を向いています。これは絶対にアリエネー。
 家人のほうは、きちんと後頭部が映っていますね。
 すなわち、「わたしです」「わたしがここにいます」と示しているのです。