◎夏目漱石シンドローム
前にも書いたと思うが、「夏目漱石は亡くなる1年くらい前から、この世ならぬ者を見るようになった」らしい。
書斎に座っていて、突然、庭に向かって、「お前は誰だっ」と叫んで、物を投げ付けた。
これと同じようなケースを調べたら、案外、そこここにいる。
遠縁の「金太郎さん」は、やはり闘病中に、病院から一時帰宅したら、「家の中に見知らぬ男がずんずん入って来た」とのこと。「あれは絶対にこの世の者ではない」と本人が語っていた。
郷里の近所の住人の「サイトーさん」は、時々、「こっちに来るな」と叫んで、お皿やコップを壁に投げ付けた。
その隣の家のご主人も、亡くなる直前には極めて粗暴な振る舞いをするようになった。同じように「異様なひと」を見ていたのだ。
共通点は、いずれも「亡くなる1年前から数ヶ月前に起きている」ということ。
ほとんどの場合、病気や老化による脳の劣化で、いわゆる「認知症」と見なされている。
当方自身も「到底、この世の者とは思えぬ者」に会っている。幾度も記しているので省略するが、入院中にベッドに座っていたら、入り口から2人組の男が入って来たのだ。
あの表情を思い出す度に震え上がる。
映画やドラマに出て来るようなおどろおどろしいものとはまるで違い、ごく普通の顔つき体つき、服装をしているのだが、全身から醸し出される気配が、まさに「この世の者ではない」匂いを放っていた。
それ以後は、今に至るまで、どろどろに出続けている。
とりわけ、女性がひとり、「常に自分の近くに立っている」という実感がある。
当方の場合、状況が特殊なようで、通常は「亡くなる1年前くらいから」なのだが、過去の写真を点検してみたら、数十年前から各所で姿を見せている。
たぶん、そういうこともあり、3年半を経過しても、まだこの世に留まっているのではないか。
しかし、基本的に「半分以上は本人だけが分かる」性質のもののよう。
重要なのは「半分以上」で、「総てが患者の妄想によるものではない」ということだ。
夏目漱石にとっては、おそらく「誰か」は現実の存在だった。
当方も、身近に居る者の中には、同じ音や声を聞いた者がいるし、誰にも分かりよい画像が撮れたりする。(もちろん、伝わらないものも多い。)
おそらく死期の迫った人のうち、相当数のひとが同じものを見るようになると思う。これを見るようになったら、かなりヤバい。1年以内に「お迎え」が来る。
かたや朗報もある。
「必ずしも1年くらいのうちに死ぬ」わけでもないらしい。
とりあえず当方は、苦戦しつつも、3年半の間、死なずにいる。
やりようによっては、「死期を遅らせる」ことも不可能ではないということ。
それでも、やはり人間だから何時かは人生に終わりが来る。
この戦いは、結局のところ、「いずれ必ず破れる戦」だということだ。