日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎雨の日でも(485)

 

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3月10日撮影

◎雨の日でも(485)

 火曜は終日雨降り。

 昼過ぎに病院から出たが、そこで思い立ち、神社に参拝した。

 昨年の今頃は「もはやこれまで」と観念するほどの状態だったから、気を許してはならない。

 今なら、何かしら兆しがあれば早期に把握できると思う。

 

 雨が落ちていたが、参拝客が割合多かった。

 客が引くのを待っていたら、体を冷やすので、遠景から撮影した。

 シャッターを切った段階で、何となく嫌な感触がある。

 「通常、雨の日には何事も起きないことが多いのだが」

 駐車場で画像を開くと、ゾロゾロと姿が見えている。

 「こりゃ、由々しい事態だぞ」

 今はいわゆる「釜の蓋が開いた」状態だと思っていたが、まさかこれほどとは。

 

 帰宅して、PCで画像を開こうとすると、「画像ファイルが存在しません」と出た。

 「え。そんな筈はないが」

 苦心惨憺、画像を探し、何とか開けられるところまで来た。

 しかし、駐車場で見た「もの」は消失していた。

 その「部分」ではなく、画像そのものが壊れていたのだ。

 「なるほど。見られたくないのだな」

 これもよくある。

 自分のことを知られたくない時には、見られぬような工作をする。

 要するに、腹の中に悪心があるから、「見られたくない」と思う。これは生きている者と同じ反応だ。

 

 女性二人連れの客が当方の前で参拝していたが、左の人はともかく、右側の人は由々しい状態だ。

 女性の周りを、険しい形相をした女たちが取り囲んでいる。

 これでは、人間(じんかん)トラブルが絶えないだろうと思う。

 晴天だったら、姿がはっきり見えてしまうと思うが、その時は「他人には見せられない」性質の画像になる。悪意を発散させているので、具合が悪くなる人が出るからだ。

 この人には助言が必要だと思う。

 

 こういう人は日頃からイライラすることが多いだろう。しかし、そのイライラがどこから来るのかを思い直してみるとよい。冷静に考え直すと、さしたる理由なく苛立ち腹を立てていることが分かると思う。

 自身の考えであり感情だと見なしているその気持ちが、必ずしも自分のものとは限らない。

 苛立ち、怒っているのは、「本当の自分自身ではないかもしれない」。

 そういう視点で自らを省みることが必要だ。

 先祖の供養をしたり、神仏に祈願したりして、心を鎮めるのもよいが、その前に「今の自分は果たして本来の自分かどうか」を考えてみることだ。

 ただし、他力本願的に他者(神仏及びその信奉者)に縋ろうとすると、さらにそこに付け込まれる。

 悪縁(霊)が優しい振る舞いを見せるように変わるのだ。

 宥められ、慰められているうちに、もっと深く入り込まれる。