◎夢の話 第808夜 会議室で
八月十九日の午前二時半に観たホラー夢です。
私は三十歳くらい。
ある自治体から依頼された件で、打ち合わせの会場を訪れた。しかし、急遽、連絡が入り、「利用室にバッティングがあったので、恐縮ですが別の会議室でお願いします」と言われた。
そっちの会議室は割と近くで、三分ほどで着いた。
今は使われなくなっている会館のような建物だった。
入り口に入ると、案内には眼鏡を掛けた事務員の女性がいたが、いかにも済まなそうな顔をしている。
「すいません。こんなところで」と幾度も頭を下げられる。
案内されて会議室に向かったが、建物の中はがらんとしており、他に利用者はいないようだ。
数人での打ち合わせ会議としては、かなり広い部屋に通された。
三十人は入りそう。
「今日は急遽、政府の人が来られたので、皆、大わらわしているのです。それでこんなところしか空かなくなってしまいまして」
大臣だったか、副総理だったかが、急に市長に会いに来たらしい。
時刻は午後四時半で、会館の中は静かだった。
事務員はお茶を出すと、「ここで少しお待ちください」と言って立ち去った。
すぐに私の相手から携帯に連絡が入ったが、「少し遅れます」との由だ。
大臣が長っ尻で、なかなか腰を上げぬらしい。
どうやら五時を過ぎることになりそうだ。
ただ座っていても退屈なので、会館の中を見て回ることにした。
建物自体は三階建てで、かなり古びている。
各階に会議室が五六室くらいあるから、割とスペースに余裕がありそう。
二三十人の部屋が大半だが、百人以上入るような大会議室もあった。
「何でここが使われなくなったんだろう」
ま、自治体の合併などで、旧庁舎が空いてしまうケースは多々あるよな。
一通り見て回り、また元の部屋に戻る。
そのまま座っていたが。五時を回っても担当者が来なかった。
秋の夕暮れということもあり、次第に陽が陰って来る。すぐに薄暗くなって来た。
廊下のドアを開けたままにしていたが、遠くの方から音が聞こえて来る。
「あれ。他にも人がいたのか。俺はまた、この建物には俺一人しかいないと思っていた」
もちろん、受付の真面目そうな事務員以外には、ということだ。
「※※※▲□〇×だからね。分かるかな」
「あ、そうだったの」
何やら話し声が聞こえるが、まるで宴会でもやっているかのようなガヤガヤした声の高さだ。
少し首を捻る。
「二十人近くはいるようだ。さっきは人気が無かったのにな」
ま、扉を閉め切っていれば、それもアリかもしれん。
そのままぼけっと開いた扉を眺めていたが、そこから廊下を通り過ぎる人の姿が見えた。
白い袴を穿いた女性だ。巫女か伝統芸能の装束を身に着けている。
「ふうん。何か催し物でもやっているのか」
しかし、追い掛けて行き、確かめるほどでもない。
程なく受付の女性がやって来た。
「もうすぐ担当のものが参りますので、少々お待ちください。私は本庁舎に向かわねばなりませんので、ここは少しの間、誰もいなくなります」
「別に結構ですよ」
女性が去ろうとするところに、少し訊ねてみた。
「他の部屋でも会議をやってるんですね」
「え」と女性が少し驚く。
「それに、あの伝統芸能の着物を着た人はどういう方なのですか」
事務員は少しの間、黙っていたが、私に問い返した。
「誰かを見られたんですか?」
「ええ。そこの廊下を歩いていました」
何気なく事務員の手を見ると、両手ともぶるぶる震えていた。
「すいません。すいません。私は失礼します」
そう言い置くと、事務の女性は急ぎ足でその場を去った。
「何だろ。もはやちょっと失礼の域だよな」
椅子に戻って座るが、先程の話し声が今は止んでいた。
しんと静まり返り、まるでこの建物の中にいるのが私一人のような雰囲気だ。
「でも、会議してる人とか、巫女姿の女性がいるわけだよな」
うーん。何だろ。
そこへ、私の担当となる役人がやって来た。
「大変失礼しました。今朝になり急に大臣が来られることになりまして」
だいぶ駆けずり回ったらしい。男はハンカチを取り出し、汗を拭いていた。
「ここは普段は使われていないのですね」
「ええ。滅多なことでは使いません。よほど必要が生じたときだけですね。今日みたいに」
「じゃあ、あの人たちも大臣が来たせいで」
男が動きを止める。
「あの人たち?」
「ええ。奥の部屋で会議をしているようでしたが」
みるみるうちに男の表情が変わる。
「その人たちの姿を見ました?あるいは声だけ?」
「話し声を聞いただけです」
「やっぱり」
やっぱり?やっぱりって何よ。
「他に誰か見ましたか?」
「巫女さんみたいな着物を着た女性が廊下を歩いていました」
すると、男の顔が真っ青に変わった。
「そりゃ駄目だ。すぐにここを出ましょう。本庁舎の方に行きましょう」
そう言うと、男は私の返事を待たずに立ち上がった。
「ってことは、もしや?」
私がそう問うと、男が頷く。
「あとでご説明しますから、すぐにここを出ましょう」
この感じは、幾度も経験がある。要するに「出る」ってことだ。
男が先に立ち廊下に出る。そこから十五メートルほど先に階段があり、階下に降りるとすぐに玄関だ。
ところが、たったそれだけの距離がやたら長かった。
部屋を出た瞬間に、何故か足が重くなり、前に進めぬようになったのだ。
まるで誰かが「足を掴んでその場に留め置こう」とするかのような重さだった。
私は瞬く間に役人から離され、廊下に取り残される。
役人は私を置いて、独りで階段を駆け下りた。
私の方は足を引きずり引きずり、階段に向かい、ようやく端に着いたところで、後ろを振り返った。
二階の廊下の奥は薄暗がりだったが、その暗がりの中に、巫女の装束を着た女が立っていた。暗くて顔は見えぬのだが、着物のシルエットが鮮明に見えていたのだ。
「こりゃ不味いや。ありゃ幽霊だったか。しかもかなりの悪霊だ」
足が重い。
腰を屈めながら手摺に掴まり、階段を一歩一歩降りて行く。
中ほどまで降りると、玄関のところに役人の男が立っているのが見えた。
私が来るのを待っているのだ。
「早く。早く出ましょう」と男に声を掛けられる。
すると、階段の上の方から、すかさず別の声が響いた。
「待てえ。待てえええ。おおおおおお」
女はもはや階段の上まで来ていたのだった。
子どもの頃、窓の外に「何か」に立たれたことがある。すっかり腰が抜けた私は、床を這いつくばって父の許に逃げた。重い脚を引きずり階段を降りながら、私はその時のことを思い出していた。
あの時とまったく同じだ。恐怖心は体を縛る。
ようやく玄関い辿り着き、私は役人の男と一緒に建物の外に出た。
外に出た瞬間、すっと体が動くようになった。
「ああヤバかった。危うく捕まるところだった」
役人がここで頭を下げる。
「大変失礼をしました。ここ数年は何もなかったので、大丈夫かと思ってしまいました」
ってことは、「いわくのある場所」だってことだ。
だが、それだけではあるまい。
「ああ、そうでしたか。そりゃ半分は私のせいです。私はどうもあちら側からはっきり見えるらしく、どこに行っても先方から寄って来られるのです。久々にこれという者が来たので、わあっと集まって来たのでしょう。さっきの声を聞きましたか?」
「聞きました。申し訳無かったのですが、怖くて動けませんでした。前からここでおかしなことが起きると聞いていたのですが、実際に見聞きするのは私も初めてでして。幽霊の声はあんなのなのですね」
「事前に承知していれば、それなりの準備をしますので、何事も起きなかったかもしれません。今日は少し油断していました」
挨拶をして、「少しの間この場を使わせて貰います」と丁寧に頼むと、何も起きないことが多い。敬意を払うことが重要なのだ。
門を出ようとする時に、私はもう一度振り返り、建物の方を見た。
すると、その建物のガラス窓という窓には、顔が鈴生りの状態にぶら下がっていた。
何百という数だった。
ここで覚醒。
いったい、あの場所で何があったのだろ。
墓地を改修して建物を作ったが、お骨を残したままだったり、ご供養が十分でなかったりすると、こういうことも起きる。
かつて、寮生活を一年送ったことがあるが、そこがまさにそういう場所で、一年中、「声」が聞こえていた。
現実に存在する幽霊はあまり怖ろしいものではないが、作り話であるはずの怪談の方はどういうわけか怖い。
何か頭の中に「そういう特別な回路がある」ということか。
この夢も怪談の類だが、目覚めたときは、少しく恐怖心を覚えた。私としては珍しい。
「巫女装束の女」を現実に時々見掛けるからだと思う。