日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎甘く見てはいけない

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令和二年一月二十七日撮影

◎甘く見てはいけない

 これまで繰り返し告知して来たが、最善の努力を尽くすべく、ここで再度、「一年前の一月二十七日」の出来事について記そうと思う。

 画像はほぼ昨年のままだ。

 概略は幾度も書いて来たので短縮するが、昨年一月二十七日に神社に参拝に行くと、周囲には誰も人が居ないのに、ガラスに人影が映った。その人影はパイロットスーツのようなものを着ていた。

 後になり、あの制服が頭の後ろにパイプの付いた「防護服」であることが分かった。

 という経緯になる。

 

 このような「説明のつかない現象」で、最も困ることは、文字通り、「何ひとつ説明が無い」ことだ。

 当時も武漢でウイルスによる感染が拡がっていたことは承知していたが、国内感染者はまだゼロ。横浜にクルーズ船が入港する直前での出来事だった。

 

 その後は百年前のスペイン風邪と同じような経緯を辿っている。

 当時とは、地域間交流の量と質が異なるため、時間間隔は変わって来るが、二回目以降の感染拡大の規模が起きく、また死亡数が激増している。

 これはウイルスが変異して、より強力になったためと言われているが、今、まさに同じことが起きている。

 爆発感染に至るまで、政府の対策が遅々として進まず、国民一般が「風邪だから」とたかを括っていた。

 現在の状況も似たようなものである。

 

◆備考 「スペイン風邪の概略」◆ ***********************************      

日本では1918年(大正7年)4月、当時日本が統治していた台湾にて巡業していた真砂石などの大相撲力士3人が謎の感染症で急死。同年5月の夏場所では高熱などにより全休する力士が続出したため、世間では「相撲風邪」や「力士風邪」と呼んでいた。

 

その後、1918年(大正7年)8月に日本上陸、同年10月に大流行が始まり、世界各地で「スパニッシュ・インフルエンザ」が流行していることや、国内でも各都道府県の学校や病院を中心に多くの患者が発生していることが報じられた。

第1回の大流行が1918年(大正7年)10月から1919年(大正8年)3月、第2回が1919年(大正8年)12月から1920年(大正9年)3月、第3回が1920年(大正9年)12月から1921年(大正10年)3月にかけてである。

当時の人口5500万人に対し約2380万人(人口比:約43%)が感染、約39万人が死亡したとされる。                  (Wikipediaその他)

 

① 前兆:1918(大正7)年5月~7月
② 第1波:1918(大正7)年10月~翌年3月頃まで  

③ 第2波:1919(大正7)年12月~1920(大正9年)年3月頃まで  

④ 第3波:1920年(大正9年)12月~1921年(大正10年)3月

  死者計45万人(内地)、   ※外地(朝鮮、台湾)29万人

 なお、感染のピークの把握方法については、諸説あるようだ。

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 あの世(幽界)の住人がはっきりと姿を現すのは、人が命を失う間際のことが多い。

 昨年来、幽霊の姿を捉える機会が増えており、極めて騒がしくなっているから、「死者が多数発生する」というようにも解釈できる。

 「石橋を叩いて渡る」心構えが大切なことは勿論だが、ある程度、自身の死について覚悟し、準備をする必要がある。

 

 肉体が滅んでも、自我・自意識が即座に消滅するわけでは無い。

 程度の差はあれ、どの人も死ねば幽霊になる。

 あとは如何にそのステップを「速やかに通過する」かということになるが、これは概ね、「自らの死を受け入れること」と、「これまで執着して来たものを手放すこと」にかかっている。

 穏やかな心境でいられるのであれば、程なく自我を解放出来るようになる。

 

 とまあ、以上を端的に記すと、次のようになる。

「防護服の男は、『あの世からのお迎え』と同じ意味になる。そして、それは貴方に対しての『お迎え』である可能性がある」ということ。

 

 日頃より、周囲を詳細に観察し、これまでとは違う異変がないかを確認する必要がある。いち早くそれを見付け、有効な手立てを投入することで、死の危機を遠ざけられる場合がある。

 それを頭に入れて置くことだ。

 

追記)

 画像に残ったのが「防護服を着た男」だから、誰が見ても「神社の境内にはそぐわぬ人物」だと分かる。しかし、普通の人の姿をしていると、単に「そこにいた人が写り込んだだけ」と思われてしまう。

 恐らく、人物を含んだ景色の中には、そういう人影が沢山映り込んでいる。ただ、それと気付かぬだけ。

 この数年で発見したことは、幽霊は「どこにでもいる」し、「いくらでもいる」ということ。

 つくづく「目に付き難い」のは「存在しない」という意味ではないことを思い知らされる。

 

 死後にもどれくらいかは分からぬが、幽霊として過ごす時間がある。

 これは確実だ。 (注記:幽霊は物的存在であることは、この画像で明らかだから、すなわち「時間」もある。)

 問題は「ではどうすればよいのか」ということだ。

 死んだ後、目が覚めたら、自分自身はもはや感情だけの存在だ。

 そこでどう振る舞えばよいのか。何らかのマニュアルが無ければ、対処の仕様が無い。

 時々、画像に現れる「幽霊の隊列」は、「どうしてよいか分からぬので、他の魂(生きた人か幽霊)に掴まる」者が集まって出来るのだろう。

 

 本当に怖いのは、死後にも続く憎悪や怨念ではない。

 生きているうちは、「いずれ必ず夜が明ける」わけだが、死後になると、幾ら待っても「次の朝は来ない」。

 そのことが心底から怖ろしい。