◎避けられる危機、逃れられぬ運命
「あの世」ウォッチングを初めてから久しいが、一番怖ろしい事態は、怨念めいたストーリーの流れには乗っていない。
怪談とか因縁話のような展開は、実際にはほとんど起きぬし、怖れる必要はない。
心霊写真を見ると、如何にも悪いことが起きそうな気がするが、実際には何も起きない。
最も怖ろしいヤツ(悪縁)には、まったく気配がない。それが居ること自体分からぬので、対処のしようがない。何も出来ぬまま引きずり込まれてしまう。
これはもう、「そういう展開に至るな」としか言いようがないようだ。いざ障りに触れたら、神仏、祈祷師に頼っても効果はない。
かたや割と対処出来る者もいる。
「黒い人影」「何となく自分に似た影」が代表的な事例だ。
ほんの少しでもこれを感じたら、まずは生活信条を改める必要がある。本人が呼び寄せている面があるので、それを正すということだ。
消えない場合はお祓いを受けても良いが、他力本願的なお祓いはその場しのぎにしかならぬので、またすぐに復活する。自力で克服するしか道はない。
基本的にあの世は「怖ろしいもの」ではなく、次の「棲み処」のひとつ。人間を卒業した後に行くところだから、怖れる必要などない。多かれ少なかれ、皆がそこを通る。
もちろん、きちんと向き合わぬと、手痛い目に遭う。「死ねば終わり」では全然無いことは頭に入れる必要がある。
あの世と折り合って、互いに侵害しないように暮らせば双方苦痛なく生きられる。
最近は他の人には見えぬし分からぬ者が見えるようになって来た。いよいよ夏目漱石シンドロームに入ったかと思う。
ちなみに、漱石は死ぬ半年前から「そこにはいない筈の男」を見るようになった。
自宅の庭の生垣の間に男が立ち、己を見ているので、漱石は旅館で原稿を書くようにした。
だが、結局そこにも出たとのこと。
私はまだガラスの中に「いない筈の者」の姿を見ている段階だが、いずれ外で普通に見るようになると思う。これまで肉眼で見たのは四五度だけだが、これからは増える。
今はひとまず、「牛歩戦術」で一歩一歩をゆっくりと進めることで生死を分かつ「崖」から落ちるのを遅らせるようにしている。
危機が身近に迫る最初のきっかけは「黒いひと」が現れることだと思う。ま、その前に、自分を見る「眼」があちこちに現れる時期がある。あの世の者を畏れ敬いつつ、「私はまだですので」と伝えることだ。
もちろん、老病死は必然だから、誰の身にも必ずやって来る。その先にあることを見据えて振舞うことが肝要だ。