◎古貨幣迷宮事件簿 「称浄法寺鋳当百銭 中字鋳浚改造銭」
コロナ以後、ウェブ(HP)の維持もままならぬ状況になって来た。
今は閉鎖も視野に入っている状況なので、私財供与を財源に、維持費用を捻出しようと思う。そこでHP版「古貨幣迷宮事件簿」にて、「雑銭の会扱い」として「秋季盆回し」で幾つかを売却に充てるものとした。
出品登録は当人が行わねばならず、また、古銭会主催なら解説を付けるべきだと思うので、出品整理はゆっくりなものとなりそうだ。手が空かぬ状況なので、出品数も多くはないと思う。ま、古銭会の盆回しという位置づけであれば、売却処分が主目的ではない。
さて、掲示の品は、私が収集した南部当百銭の在庫最後の一枚だ。
三百枚余所有していたのを十五年掛かり、ようやく処分できる。
この品を最後まで残しておいたのは、重要な証拠品のひとつだからということだ。
技術的、および流通の状況から見て、「鋳放銭」がそれまでの「山内天保」「反玉類」「称浄法寺銭完全仕立類」「半仕立類」とは「別の手(職人)になる品」であることを証明するものだ。
たった一枚が総てを物語る。
留意点は、以上は「時代を語るものではない」こと。たまに見て来たようにあれこれ語る人がいるが、正直「笑わせるなあ」と腹中で思っていた。
ポイントは、「山内銭」→「完全仕立類」→「半仕立類」→「鋳放類」の間で、母銭が継承されてはおらず、その都度、通用銭を母銭改造する手法をとっていること。
とりわけ「鋳放類」は「技術的な連続性を全く持たないこと」が眼を引き、「鋳銭」どころか「鋳造技術」をよく知らぬ者が作っている。
この鋳浚手法も、面背全面に砥石をかけた上で、谷を浚っているわけだが、これでは削字が必要となり、余計な手間がかかる。よって結局、不採用となったということだ。
鋳銭常識から外れる加工なので、違和感があるわけだが、それが証拠としての裏付けになる。
だからと言って、収集家を騙すためのものとも考えにくい。明治三十年から大正期くらいのいずれかの時期に、飾り物製作など別の意図があったのだろう。
もちろん、製作年代には何の裏付けも無く、単なる憶測になる。何事も実証が出来てこその話だ。
明治の勧業場の研究以後、鋳造技術は急速に進化しており、昭和に入ってからなら、現存の「鋳放類」より、はるかにきれいな品が作れる。
盆回しの下値は昭和五十年代の発見当時の値段のほぼ半値だ。
雑銭の会関係者には、「一枚で総てを語れるのだから、とりあえず買っとけ」と助言する。系統的に捉えることが重要なので、「山内銭」から製作の違い毎に整理すれば、分かりよい。
きちんと証拠を揃えて置けば、それこそ収集家の感想を「鼻で笑える」と思う。
(もちろん、言葉にはしない方が良いが。)
麻布の袋に入っていた品のようで、地金があまり腐食していなかったのだが、机の上に置いているうちに、良い味になって来た。