日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 規格に合わぬ貨幣

f:id:seiichiconan:20210425135359j:plain
f:id:seiichiconan:20210425135345j:plain
f:id:seiichiconan:20210425135332j:plain
f:id:seiichiconan:20210425135321j:plain
f:id:seiichiconan:20210425135308j:plain
規格外の鉄銭と母銭

◎古貨幣迷宮事件簿 規格に合わぬ貨幣

 寄付品等の整理を再開したので、蔵戸を開く機会が生じた。取り置き箱にある品から、「規格に合わぬ品」を拾い掲示する。

 

1)雲母の付着した鉄銭

 しばらく前に記事を書いたので、説明は簡略に留める。

 鉄鉱石経由の鉄銭、すなわち藩営(または請負)銭座のものと見なされるが、背面に雲母が付着している。

 

2)本銭?小様

 一瞥では、小さく黒いので、山内座のものと思い込んでしまうのだが、素材は鉄鉱石だろうと思われる。面文のサイズから見て、本銭(大きい)、恐らくは栗林製ではないのか。銭径が26.8mm付近であるから、背文銭(一文)のサイズである。

 まあ、このサイズであれば、栗林か山内(浄法寺)くらいしか考えられぬ。釜石三高炉(大橋など)の可能性もあるのだが、こちらは分類法自体が確立されていない。

 面文の書体が少し異なる印象なのだが、背面の「盛」字の方がさらに違和感を覚える。次の上下の隙間が大きい上に、歪んでいるように見える。

 「小さく薄い」ことと重ね合わせると、思い浮かぶのは「南部史談会誌」に「大迫で一枚だけ発見された品」に特徴がよく似ている。

 ただ、「南部史談会誌」掲載の銭図は特徴を手書きで模し取ったものであるから、確たることは言えない。

 なお、この銭種の通称名は伏すことにした。そもそも珍品として各方面の蔵中に収められている品は、ただ一人の所蔵庫から出た品だから、ここでさらなる誤謬を招くことはない。この解明はもはや私のような者の手を離れ、次世代の人たちが果たすべき課題になる。

 

3)「釣竿背盛」

 この品は一手立つと思う。特徴は、山内座の「濶縁手」を基盤とするもので、「盛字にタスキをかけるように斜めに線が入っている」ことだ。

 「釣竿」は呼びやすいように、勝手に付けた通称名になるので、念のため。

 元々、銅母銭でこの特徴の品を所有していたが、見すぼらしいつくりであるのに加え、盛字が潰れていた。

 売却した後、暫くしてから、鉄銭中からこの品を見付けたのだが、これこそ「後の祭り」ということだ。

 よく探せば、この母銭を持っている人はいるだろう。

 恐らく「浄法寺背盛」や「密鋳背盛」の中に混じっている。

 鉄銭は、これまで複数回見ているので、これも探せば見付かる。

 抜け目のない人なら、他の人のコレクションを見せて貰い、「譲って」と頼んでみることだ。たぶん、殆どの人はこれが一系統存在することを知らない。

 見すぼらしい品なので、買ってくれるのを喜んでくれる。

 ちなみに、山内銭は粗雑なものが多いので、この品は鉄銭としてはかなり良い出来の方だと思われる。

 下部に欠損があるが、これも母銭から。状態から見て、欠損の少ない品もあるだろうと思う。

 これがたまたま目に留まったのは、欠損により、盛字が削り取られているように見えたからだ。ドキッとする理由は誰でも分かる。

 盛字を取り去った銭種の起源は山内座だと思う。

 

4)八戸背盛母銭

 盛岡八戸領では、幕末明治初年に大迫他で鋳銭が行われるわけだが、山内座では先行して試みられているし、八戸領ではさらにそれよりも早くから「大掛かりな密鋳」が始まっている。始まった時期が早いので、主力銭種が一文銭になるのは道理に適っている。よって、一文銭に比べ、当四鉄密鋳銭は量的に少ない。これが前提だ。

 この地域では良質な鋳砂が得られなかったので、鉄通用銭はまだしも、母銭製作には苦労したようだ。たたら炉ごとの小規模の密鋳なら、通用銭改造母で間に合わせられたかもしれぬが、一鋳期に何十万枚も製作するには、規格の揃った母銭が大量に必要になる。

 八戸地方の固有の特徴として、母銭、通用銭とも「銭径が著しく縮小する」ということが挙げられる。しかも鋳写しを繰り返した形跡がなく、少数回で極端なミニサイズに至っているようだ。

 その理由は、あくまで推定だが、「鋳砂不足を補うために、粘土型を併用した」のではないかと思う。粘土型は型自体の製作は簡単だが、乾燥させると、著しく小さくなる特徴がある。また縮小に伴い、凹凸の深さにも変化が生じる。

 八戸の鋳銭については、NコインズのOさんと共同で研究を始めた。その成果(と言えるほどでは無いが)の一部は、「みちのく合同古銭大会」の記念銭譜に収めた。

 その頃、Oさんが顧客から買い取ったばかりのこの品を私に見せてくれた。

 流通銭の中に混じっていたとのこと。

 「これどう思う?」

 ちょうど研究していた頃だから、一瞥で分かる。

 「サイズが小さくて、一見、浄法寺銭に見えるのですが、違いますね。八戸銭です」

 ポイントは「型の縮小」だ。浄法寺銭でこのサイズなら、概ね背面を平坦だ(削っている)。

 輪側は「縦方向の斜め鑢」で、これがもっとも分かりやすい。

 浄法寺(山内)銭なら「横方向の斜め鑢」で、違いはほんのわずかだが、マイクロスコープで見ると分かる。これは通常のルーペでは判別できないのではないかと思う。

 

 O氏は私の見解を聞くとすごく喜び、「ではKさんが研究してください。売ってあげるから」と私に渡した。 

 ちなみに、下世話だが、本銭の大様母銭よりも高額な価格だった。

 ま、今まで一枚しか発見されていないので、相場が存在しない。

 「つくりが違う」のを見取るには大量観察が必要だから、入札やオークションを経由して入手する方法では比較は無理だ。となると、この方面での研究は今後も進むことは無いと思う。

 誰も無し得ていないが、今後も難しいジャンルになる。

 

 時々、この品を出品して様子を見ていたが、「浄法寺銭」や「密鋳母」に見えるようだ。

 ちなみに、こういうのは応札しても落ちない。鑑定意見を得るために出品しているので、手数料を払って自分で落とす性質の品だ。(ネットの吊り上げ工作とは主旨が違うので、念のため。)

 

 母銭の径が25.4mmなら、鉄通用銭で、かつ砂の悪い八戸銭なら、24mm台の前半だ。もはや小さい一文銭なみの大きさになる。

 ここで冒頭に返ると、八戸方面の改造母由来ではないところの当四銭は滅多に見付からない。母銭は存在数が皆無なのだが、通用銭は区別がつかないから、母子ともに発見できない。

 そんな状況だ。

 もし探すなら、漠然と持っている他の収集家の蔵中だと思う。

 

注記)いつも通り、一発殴り書きであり、推敲も校正もしないので、不首尾は多々あると思います。