日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎3/4後半 霊界通信「この日のセルフチェック」および 3/6「再確認」

/4後半「この日のセルフチェック」および 3/6「再確認」

 名栗の帰りに、高麗神社に参拝した。

 2015年頃にここでトラに会っていなければ、たぶん、私は死んでいたと思う。

 当時は心臓が悪く、二階へ上る階段が上がれずに、居間で寝起きするようになっていた。

 (その習慣が続いており、現在も居間で寝袋に入り眠る。)

 

 最初に「厄落とし」から始めた。心に溜まった悪意をお金に移し、境内で投じる。

 他の参拝客が拾うと、厄を代わりに担ぐことになるので、神木の根元に置いた。

 これを古銭にするのは「まじない銭」であることを示すためだ。普通は五百円玉か千円札だが、それを知らぬ子どもが拾っては可哀想だ。私が背負う厄(あるいは業)はかなり重い。

 そもそもは、誰かに拾って貰うための「まじない」で呪詛のひとつだ。「まじない」を漢字で書くと「呪い」になり、「呪(のろ)」いと同じ。

 教訓は「神社やお寺の境内でお金を拾ってはいけない」、ということ。

 

 神殿でのセルフチェックでは、変化が生じ始めており、「女」が背中を向けていた。

 この位置は空中だから、生身の者ではない。

 慣れぬ人でもそれと分かるのは、12の画像だと思う。

 13)で拡大すると、やはり女の後ろ姿だった。これにはメッセージがあり、「見ろ」という意思表示だ。

 こういう時には、私が見ているかどうかを確認する「眼」や「こちらを見る顔」が必ず入るのだが、左上に出ていた。別の位置に出るのだが、両者は同じ者で、いずれも「背中を向けた女」のもの。

 

 この先が伝わるのは、このブログを読む「五人の仲間」だけだろうから、以後の説明を省く。

 他の人には説明しても分からない。

 「眼に見えるものが真実とは限らぬが、聞こえるものには真実がある」。

 どうやら三月七日からあれが始まるらしい。「あれ」とはスウェーデンボルグの言っていたもの。

 分かる人には分ると思うので、この説明は無し。知らぬ方が無難に暮らせる。

 途中で「地獄の穴」から響くような呻き声が聞こえた。背後の女が肩を抱く感覚があり、いつもよりそれが強い。「あなたは私のもの」と言う言葉も聞こえる。これは頻繁にあり、今は常時、私の傍にひとの気配がある。

 否応なしに変化が始まるわけだ。

 

 六日(水曜)になり、声がどうにも気になったので、もう一度高麗神社に参拝した。

 しかし、境内に入るとすぐにカメラの不具合が始まった。

 充電状況なども家で確認して来たが、止まってしまう。

 数枚だけ撮れたが、不鮮明で使えない。

 体感的には、複数の手があちこちに掛かっている感じがする。

 なるほど。七日から変化が始まるので、それを怖れて縋りついているのだということ。

 

 訳の分からない記述になったが、今回伝えようとしているのは、五人に対してだけだ。他の人には影響がない。と言うか、何も出来ない。

 これと関わりのある者には、「十分に注意するように」と伝えて置く。七日からがたがたと動く。

 世間的にはイカレた話だが、伝わる者には伝わると思う。