日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「九月盆回しの続き(ハ)」

◎古貨幣迷宮事件簿 「九月盆回しの続き(ハ)」

 今日は午後まで時間が取れるので、体力の続く限り処理をする。

 ま、旧機の方なので、いつPCがフリーズするか分からない。

古貨幣迷宮事件簿

S15 地金換算銀貨、十銭(龍、旭日)および小型五十銭  解説

 この銀貨はNコインズOさんが逝去された時に、ご遺族から処分を頼まれた時のものだ。下値を付け、古銭会などを通じて売却したが、「売れ残りを9掛けで引き取る」約束をしたので、手元に残った。品物に問題があるわけではなく、大量だったから書いての財布が間に合わない。銀貨類は数百キロの規模だった。

 

 三十年前くらいに、雑銭の会で買い取り窓口を開いてみたが、当時は稼働的なウェブサイトが存在しなかったので、全国から買い取り依頼が集中した。毎週、5-10個の段ボールが届く。こちらは穴銭を期待していたのだが、そんなものは殆ど無く、概ね近代貨や記念貨だ。その当時でも、こういうのを引き取ってくれる業者さんはいなかったから山ほど到着した。最初のうちはいちいち「コイン」として値段を付けていたが、並み年の普通の状態の銀貨を引き取ってくれるのは、型分類をしているか、特年探しをする人だけで、ひとつの県に一人か二人だ。どんどん滞貨が溜まる。自分も不要なら、必要な人のところまで持って行く手間が出ないジャンルになる。

 そこで、買い取り値を下げたが、これでもどんどん来た。その頃の残りは今も郷里の倉庫に山積みになっている。

 その途中で気が付いたのは、「1千枚1枚に手を止めてあれこれ考えるのは最終コレクターのすること」で「そもそも業者さんのように売買が目的でやっているわけではない」ということだ。そこで発想を切り替えて、銀地金換算で考えることにした。

 時の相場で上がり下がりがあるのは仕方がないが、しかしそのラインに基準を置けば、極端なマイナスが生じなくなる。

 ただ地金の場合、各々の素材で特徴がある。金は割合、形状にこだわらず流通するが、銀取引は一定の規模以上、60キロとか80キロをまとめる必要があった。

 小口の場合も、買い取ってくれる地金屋はいるが、手数料を控除される。これは分かりよく言えば「溶かし賃」のようなものだ。純銀のバー(延べ棒)になっている場合は、貴金属商が掲示している「買い取り価格」で引き取って貰える。

 この溶かし賃は、業者によってかなり違うし、形状によっても違う。杯や飾り物など銀製品の場合は、×0.6くらいのことが多い。これは溶かすのに前処理が必要なためだ。

 コインは割合よい方で、重量をまとめると×0.8のこともある。これは自社工場を持っている業者さん、この率が低いのは、取次業者だからということ。この他に、指輪屋など装飾品製造業の職人さんが直接扱ってくれる場合もある。こういうのは、自分なりに足を使って調べるしかない。

 

 話を元に戻すと、「地金として買い取り業者に持ち込んだ時」を想定すれば、しくじりは少ない。そういう理屈だ。値段を付けても、買ってくれる人がいないのではどうにもならない。次の問題は、「銀地金評価より、コインとしての市場評価が低い」ものが割合あることだ。

 小型五十銭銀貨の場合、4.92g×0.72(品位)×148(円/g)×0.8(溶かし控除)で計算すると、銀地金で419円に達してしまう。

 小型五十銭銀貨は長らく「1枚百円」の時代が多かったので、もしそれで買えるならビジネスベースに化けてしまう。今は幾らなのか知らぬが、状態のよい品を拾ったり、年号を揃えたり、型を見る以外の関心を持たぬ人は買わぬと思う。要は値段と買う買わないはまた別だ。

 だが、そのまま地金屋に持って行った時にマイナスが出ないのであれば、「それなりに良いものを拾って」、他は銀地金として処分することが出来る。

 今回は地金換算で、溶かし賃を控除した上に、値引きを加えたので、このまま地金業者(選ぶ必要がある)に持ち込めると思う。もちろん、その前に「状態の良い品」「少ない品」を拾った後で、ということ。よほどものぐさでなければマイナスはない。

 

S15 オマケ

 と教唆しても、コレクターの大半はものぐさで足を使わない。

 そこで、昔、自分が経験した通りに、オマケを付けることにした。

 画像をちょっと見ただけでは分からないが、これらの銅貨には流通による傷や摩耗がほとんどない。

 過去に書いたが、出所は地方の金融機関で、バブル崩壊後四五年経過した頃だったと思う。全国三か所くらいの銀行支店、信用金庫から連絡があり、「金庫の奥にあったコインを売りたい」との由だった。ちなみに、同じ年に三か所から来たので、全国的に資金繰りに四苦八苦していた時期だった。

 いずれも明治から大正の銀貨類で、五百枚とか七百枚の規模だった。いずれも流通済みの普通品だ。

 担当職員は既に都下のコイン業者さんを回った後で、本会の事務所に来た。並年の並状態の銀貨がだんな扱いだったかは想像に難くない。業者によっては、「要りません」と半ば罵られることもある。たぶん、サンプルを見せて、枚数は言わなかった。

 本会では、まだ普通に1枚単価で買っていた時期だったから、目の前の十枚を見て引き取り価格を言うと、担当者はもの凄く喜んだ。

 「あと五百枚あります」。オイオイ。

 だが、一人の担当者は二十円金貨も持参していた。先に銀貨を出し、そこで色よい返事が貰えなかったので、金貨は出さなかったらしい。

 菌か、特に二十円は多少のリスクがあるので、うっかりそのまま買い取るとドボンする。米国製のは精巧なので、ちょっと見では真贋が分からない。

 冷や汗が出たが、状況的に「実際に金融機関の金庫から出て」「五十年以上そのままだった」のが分かったので、引き取った。ある程度リスクがあるのは仕方がなく、いざと言う時にリスクを承知で飛び込めぬ者には、面白い品などやって来ない。

 この時の銀貨は龍五十銭、中型、小型五十銭だった。最も多かったのは龍五十銭だが、龍の買い取りは千円を超えていたから、それなりの金額になった。

 担当者は大喜びで、「他にもこんなものがあります」と布袋を出した。

 その中には胴貨がさっくり入っていたが、概ね龍1銭と半銭だった。

 この時、胴貨や黄銅貨、アルミ貨は、倉庫の部屋ひとつ分くらいあった。

 段ボール箱で二十個くらい。

 「ちょっと胴貨は殆ど値を付けられませんが」と言うと、「結構です」との由。

 正直不要なのだが、これだけ持ち帰って貰うのも何だから、テキトーな値で引き取った。枚単価で数十円で重量換算。

 その後、十年くらいの間、袋入りのままこの胴貨を放置していた。

 部屋の整理の際に、たまたまこの袋が出たので、初めて開けて見たが、あんれまあ、傷が殆ど無い。

 「そう言えば、金庫に仕舞ってあった物だと言ってたな」

 殆ど使われていないものだったわけだ。

 中にはばっちり未使用色が残っているものもあった。

 これを「千円」で売りに出したが、銅貨は表面色で印象が左右される。あっという間に変色するが、状態が劣るわけではない。

 失礼かもしれぬが、この時に、近代貨コレクターを「大したことが無い」と思うようになった。何も付記しないでいると、これが未使用級だということに気が付かない。「未使用」とか「極」とか書いてあって、初めてそれを見る視線になる。

 そういうのは「目が利かない」と言う意味だ。

 だが、やはり気付く人もいて、ある時点からは、7千円から4万円くらいの範囲で沢山売れるようになった。ま、五人くらいが競って買った。4万円のは半銭の希少な型だったらしい。

 銀貨の方は「損切り」で処分したが、その欠損の多くを「嫌々買い取った銅貨」に埋めて貰った。

 当たり前だが、袋の中に未使用状態で仕舞われていたものでも、やはり劣化している品が多い。表面色はくすむし、暗所に入れられたので、青錆が出ている品も多い。

 今手元に残っているのは、「必ずしもどこから見ても万全というわけはない」ということ。

 ひとつの朗報は、近年、銅の表面を還元してまっさらの状態に戻す技術が開発されたことだ。マイクロウェーブだったか放射線だったかは忘れたが、材質に変化を与えずに、作り立ての状態に戻すことが出来る。あと何年かすれば完全実用化されると思う。

 拡大して見ると分かるが、これらに流通傷はほぼない。なお打極の後、受け箱に落ちる際に何がしかの打ち傷がひとつ出来る。

 色だけが茶色で見栄えがしなかったが、程なくその問題も解決する。

 なおオマケなので(無料)、内容物のチェックはしない。

 かつて私が経験したように、銀貨よりもこちらの方が嬉しいのかもしれない。

 

 ちなみに、銀貨の方に洗ってある品はない。自然な色がこれ。

 古銭会などで、「洗ってあるのでは」と言う人がいたが、コレクターの持っていた品ではない。腐食が少ない品を寄せていた、ということ。