日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第88夜 冬の夜

先ほど居間にて仮眠中に見た夢です。
息子がテレビを見ていたため、その隣に寝そべったら、程なく眠りに落ちていました。

私の目の前には古いストーブがあります。
半ば壊れかけで、隙間からめらめら燃える炎と薪が見えています。
ストーブからは煙突が直立していますが、これは天井に近いところで直角に曲がり、3辰曚媛に伸び壁の穴に繋がっています。

煙突穴は出入り口の真上で、出入り口の扉は横開きの一枚戸です。
ガラス戸1枚の外はキンキンに冷えており、窓にも氷がへばりついています。
何せ冬場はマイナス16度から18度は当たり前で、かつ家屋はあちこち穴の開いたボロ家です。
ストーブには間断なく薪がくべられているため、顔と言わず体と言わず焼けそうなくらい暑いのですが、一方で背中の方には風が吹き込んできてやたら寒く感じます。

ストーブの上には、すき焼き鍋が乗っています。
中身は鶏の砂肝やら肝臓やらを煮込んだモツの煮込み。
これは上の叔父の得意料理でした。

(あ、こりゃ懐かしい。子どもの舌でも美味く感じたものだ。)
意識のどこかでは今と繋がっているようです。

眼を上げると、ストーブの両脇には叔父2人が座っており、なにやら話をしています。
上の叔父はコップ酒を片手に既に赤ら顔。
下の叔父は下戸でしたので、腕組みをしています。
両人とも大声で、まるで口喧嘩をしているかのように怒鳴りあっていました。
しかし、それは地声です。
叔父2人は両方とも、馬喰(博労)で、普段から語気が荒かったのです。

私の祖父は農家の末息子で、田舎ではオンズカスと呼ばれる立場でした。
オンズカスとは「叔父のカス」で、「要のないもの」という意味合いが込められています。
戦前には農家の財産は跡取り(家長)1人が相続し、代々家を継ぎました。
祖父は実家から離れたところに、土地を借り、小屋1つを立ててもらい「自分で生きろ」と家を出されたのでした。
結婚し、3人の子が生まれたところで、祖母が他界。
その後、祖父は軍役に服することになるのですが、残された父と叔父2人は今では例えようもない辛酸を舐めたとのことです。
食べ物だって家には全くありません。

父は人あしらいが上手だったので、本家の子どもについて行き、そこで食事にありついた。
叔父2人の方は、生きてゆくために、近在の農家の子どもを脅し、芋を持ってこさせた。
何もやりたくてそうしたのではなく、そうしないと生きていけなかったからです。

大人になったとき、叔父2人は結局馬喰になったのですが、普通人と悪人の線引きをすると、下の叔父は普通人の枠に収まるけれど、上の叔父は境界線のすれすれのところでどちらかはっきりしないような位置にいました。

2人のうち、上の叔父は右翼とヤクザが大嫌い。
右翼が嫌いなのは戦前の自分たちの暮らしを思い出すから。
ヤクザについては、毎日牛や豚の糞に塗れて暮らしている自分たちに引きかえ、日々何もせず威勢を張るところが嫌いだったのでしょう。
「ヤクザも手を出さぬ荒くれ馬喰」という言葉は本当で、私は上の叔父が刺青者を一喝して追い散らすのを実際に間近で見たことがあります。
相手をフォーク(農具)で刺し殺してしまうのではないか。
たぶん半ば以上はそのつもりで、相手が引き下がらなかったらエライことになっていたはずです。

(今はあちら側の世界でどうしているのだろう。そういえば上の叔父が亡くなってから20年、下の叔父が亡くなってからは3年ほど経つなあ。)
ストーブに手をかざす私は小学1年生くらいの姿のままですが、頭の中は40年後の今でした。

ここで覚醒。
寝入ってしまった父親に、息子が布団をかけてくれたのですが、体の前だけでしたので、背中が寒かった。それでこんな夢を見たようです。
改めて思い出すと、私は上の叔父の方に似ているのだな、と感じます。
実は気が荒く、そういう自分を押さえ、隠すのが日々大変です。