川越は街並みが古く、道を歩いているだけで落ち着きます。
お店も沢山ありますし、美味しい物も多いです。
しかし、誰もが口を揃えて言うのは「渋滞がスゴい!」ことです。
土日はとても車では入れません。
人も車も街に溢れています。
今日(土曜)は家人と2人で医大に行ったのですが、帰路は「喜多院に寄って行こう」ということになりました。
医大から途中まではバスで行けますが、生憎の雨降りで、女性用の傘が1本だけです。
眼科の診察を終えたばかりなので、前も良く見えません。
そこで、タクシーに乗り、喜多院に向かいました。
さすが、雨の土日で、平日なら本川越駅と往復できるくらいの時間と、4割増しの料金が掛かりました。
街に入る直前で、ピッタリ動かなくなりますね。
「ここは本当に良い街だけど、これだけはねえ」と運転手さんと話しました。
もちろん、好き嫌いで言えば、好きな街のひとつです。
埼玉県内に住むようになって30年近く経ちますので、生まれ育った田舎よりかなり長いです。
もはや、体の奥まで埼玉が染みついたのかもしれません。
「現に自分が住み、かつ今後も住むであろう」地だという意識があると、もはや平気でけなせます。
埼玉の悪口なら幾らでも出て来ますが、それも今後もずっと向き合って生きていくから、ということです。
さて、喜多院から駅に向かって歩き、途中で蕎麦を食べて帰りました。
眼疾のため、家人に手を引かれて歩くわけですが、時々、ふっと頭に浮かぶ言葉があります。
「牛に引かれて善光寺参り」
前半の「牛に」がポイントですか(笑)。
家人には「こういう言葉がある」とは絶対に話しませんが、交差点の度に「牛」を思い出すと、やはり微妙な表情になってしまいます。(自覚あり。)
たまに家人に「何?何考えてるの?」と訊かれますが、さすがに「何でもない」と答えます。
内心ではその都度、ドキッとしています。
うっかり口にしたら、間違いなく「暴れる」でしょうから。
もちろん、「牛」以上にポンコツオヤジなのに、きちんと手を引いてくれているので、家人には感謝の気持ちで一杯ですよ。
この世でサイコーの牛です。