成田往復の疲労からか、翌日は血圧が200超になってます。
さすがに調子が悪く、寝たり起きたり。
これは夕方、少し横になった時に観た夢です。
「墓を掘る男」(392夜)の続きのような状況でした。
まずは前回の夢の概略から。
俺はタクシーの運転手。瀕死の客を乗せたら、その男が「あんたに金をやる」と言う。
男はすぐに死んだ。俺は男に言われた通り、男の死体を埋めることにして、郷里の墓地に向かった。
場面はそこから。
俺はアタッシュケースを外に出し、その穴に男の死体を入れた。
さらに、墓地に来る途中で生石灰を買っていたので、死体の上にそれを被せた。
これは死体の分解速度を高めるためだ。
俺はサスペンス小説が好きなので、この辺の知識はふんだんにある。
死体を埋めると、さすがにくたびれたので、ここで一旦引き上げる事にした。
俺は金を車に積み、実家に向かった。
俺の育った家は、この墓地から二キロ程山を下った所にある。
訪れる人の無い俺の生家は、さすがに荒れていた。人が住まなくなると、家は数年で朽ち始める。
父母が死んでから七年も放置してあったので、もはや「あばら家」に近くなっている。
俺は金の入ったボストンバッグとアタッシュケースを床の間に運び込んだ。
ここなら、たとえ灯りを点けても、外に光が漏れる事は無い。
再びアタッシュケースを開けてみる。
中の金は二千万ずつ小分けされ、一つずつ新聞紙に包んである。
それをビニール袋に入れ、きれいに目張りして。紙が劣化しないように保たれていた。
「細かい仕事だな。まるで俺のお袋がやったみたいだ」
俺の母親は几帳面な人で、何をするにもきちきちと整理整頓して置く人だった。
ここで俺はピンと来た。
「まさか、お袋が・・・」
床の間の奥には父母の仏壇がある。
俺はその仏壇を開いてみた。
仏壇の中には父母の遺影が仕舞ってあった。
俺は母親の遺影を仏壇に立て掛けると、スマホで三億円事件の犯人を検索した。
すると、すぐにモンタージュ写真が現れた。
その画像を遺影の隣に並べると、なんとまあ、「瓜二つ」とはこのことだ。
「やっぱりな」
あの犯人はお袋だったのだ。
犯人の写真を見る度に、「何だか女性的な野郎だ」とは思っても、それが女だとは考えない。
頭に塵ほども考えが無いので、毎日、眼の前で顔を見ていても、気づかない。
「それが女で、しかも自分の母親だったからな」
ま、日本中の誰一人として、あの犯人が女だったとは考えなかっただろう。
もちろん、正確には「犯人のひとり」だ。
単独犯では三億の金を運搬することすら、難しい。
バックアップする仲間が居た筈だ。
直接、現金輸送車を襲うのは、警官に扮した一人。その他に、周囲を見張り、警官役を保護し、隠す役が要る。
「それが親父だ」
なるほど。「誰がやったのか」を特定出来れば、「どうやったのか」は案外簡単に推理できる。
母は女性にしては背の高い方だったから、パトロール警官の扮装をすれば、男っぽく見える。
その母が現金を奪った後、父が金と母を回収したのだ。
あの事件の直後に、犯人がそれこそ「忽然と姿を消した」のは、そういうわけだ。
俺はここで、仏壇の中や母親の箪笥の中を調べ直した。
何か犯罪の証拠とか、俺に対する手紙のようなものが残されてはいないかと思ったのだ。
ところが、それらしきものは何一つ残っては居なかった。
「これもお袋らしい」
父も母も緻密な考え方をする人で、周到な性格だった。
証拠らしきものを残す訳が無いのだ。
「しかし、あの二人はいったい何のためにそんな犯罪を犯したんだろ」
二人とも贅沢を好む人ではなかったし、金にはほとんど関心を示さなかった。
しかし、それは何となく分かる。
俺はあの二人の息子だからな。
おそらく、犯行の理由は「存在証明」だ。
何かきっかけとなる出来事があって、それを克服するために、自分たちが「何時でも、どんなことでも出来る」ことを証明しようとしたのだ。
「きっとそうに違いない」
ここで、俺はもう一度、金を点検してみた。
ひとつ一つの束が二千万で、新聞紙に包んである。その新聞紙をよく見ると、○とか×という印が書いてある。
「こりゃ何だろ」
包みを開いて中を見たら、理由は簡単だ。
○が回収券で、×が発行券だった。
分かり易く言えば、金融機関から集めた金と、これから配る金の違いで、要するに冊の番号がバラバラな札と続いている札を分けてある。
「使える金と、使えない金という意味だ」
続き番号の札はどこにどうやって配ったかという記録がある。これを使えば、すぐに分かってしまう。
使ってもバレない金は回収券のほうだ。
三億円事件の札は、六割方番号が分かっている。ところがこれは一枚も流通していない。
だから、事件以後、まったくと言ってよい程、札の足取りが掴めなかったのだ。
札の束は十四個。
万券だけでなく五千円札もあったから、金額を検め直すと、二億二千万円分だった。
ここで訂正だ。
さっき俺は、この犯行は「存在証明」だと考えたのだが、少し違っていた。
しっかりと八千万円は使ってあった。
バラ券は残り四千万あったが、おそらく新券に切り替わった後は両替するのを止めたのだろう。
「箪笥貯金があった」という口実で両替出来るのは、せいぜい百万かそこら。
日本の北と南でさりげなく両替しても、交換された金が行き着くのは日銀だ。
旧券なので、交換されれば、廃棄されるわけが、これが処分されるのは、一箇所しかない。
「要するに、よほど食うに困った時に、何万円かを両替するくらいだってことだ」
ここで覚醒。