日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第398夜 「墓を掘る男」の続き(392)

 成田往復の疲労からか、翌日は血圧が200超になってます。
 さすがに調子が悪く、寝たり起きたり。
 これは夕方、少し横になった時に観た夢です。
 「墓を掘る男」(392夜)の続きのような状況でした。
 まずは前回の夢の概略から。
 俺はタクシーの運転手。瀕死の客を乗せたら、その男が「あんたに金をやる」と言う。
 男はすぐに死んだ。俺は男に言われた通り、男の死体を埋めることにして、郷里の墓地に向かった。
 場面はそこから。

 俺はアタッシュケースを外に出し、その穴に男の死体を入れた。
 さらに、墓地に来る途中で生石灰を買っていたので、死体の上にそれを被せた。
 これは死体の分解速度を高めるためだ。
 俺はサスペンス小説が好きなので、この辺の知識はふんだんにある。
 死体を埋めると、さすがにくたびれたので、ここで一旦引き上げる事にした。
 俺は金を車に積み、実家に向かった。
 俺の育った家は、この墓地から二キロ程山を下った所にある。

 訪れる人の無い俺の生家は、さすがに荒れていた。人が住まなくなると、家は数年で朽ち始める。
 父母が死んでから七年も放置してあったので、もはや「あばら家」に近くなっている。
 俺は金の入ったボストンバッグとアタッシュケースを床の間に運び込んだ。
 ここなら、たとえ灯りを点けても、外に光が漏れる事は無い。
 再びアタッシュケースを開けてみる。
 中の金は二千万ずつ小分けされ、一つずつ新聞紙に包んである。
それをビニール袋に入れ、きれいに目張りして。紙が劣化しないように保たれていた。
「細かい仕事だな。まるで俺のお袋がやったみたいだ」
 俺の母親は几帳面な人で、何をするにもきちきちと整理整頓して置く人だった。
 ここで俺はピンと来た。
 「まさか、お袋が・・・」
 床の間の奥には父母の仏壇がある。
 俺はその仏壇を開いてみた。
 仏壇の中には父母の遺影が仕舞ってあった。
 俺は母親の遺影を仏壇に立て掛けると、スマホ三億円事件の犯人を検索した。
 すると、すぐにモンタージュ写真が現れた。
 その画像を遺影の隣に並べると、なんとまあ、「瓜二つ」とはこのことだ。
 「やっぱりな」
 あの犯人はお袋だったのだ。
 犯人の写真を見る度に、「何だか女性的な野郎だ」とは思っても、それが女だとは考えない。
 頭に塵ほども考えが無いので、毎日、眼の前で顔を見ていても、気づかない。
 「それが女で、しかも自分の母親だったからな」
 ま、日本中の誰一人として、あの犯人が女だったとは考えなかっただろう。
 もちろん、正確には「犯人のひとり」だ。
 単独犯では三億の金を運搬することすら、難しい。
 バックアップする仲間が居た筈だ。
 直接、現金輸送車を襲うのは、警官に扮した一人。その他に、周囲を見張り、警官役を保護し、隠す役が要る。
 「それが親父だ」 
 なるほど。「誰がやったのか」を特定出来れば、「どうやったのか」は案外簡単に推理できる。
 母は女性にしては背の高い方だったから、パトロール警官の扮装をすれば、男っぽく見える。
 その母が現金を奪った後、父が金と母を回収したのだ。
 あの事件の直後に、犯人がそれこそ「忽然と姿を消した」のは、そういうわけだ。

 俺はここで、仏壇の中や母親の箪笥の中を調べ直した。
 何か犯罪の証拠とか、俺に対する手紙のようなものが残されてはいないかと思ったのだ。
 ところが、それらしきものは何一つ残っては居なかった。
 「これもお袋らしい」
 父も母も緻密な考え方をする人で、周到な性格だった。
 証拠らしきものを残す訳が無いのだ。

「しかし、あの二人はいったい何のためにそんな犯罪を犯したんだろ」
 二人とも贅沢を好む人ではなかったし、金にはほとんど関心を示さなかった。
 しかし、それは何となく分かる。
 俺はあの二人の息子だからな。
 おそらく、犯行の理由は「存在証明」だ。
 何かきっかけとなる出来事があって、それを克服するために、自分たちが「何時でも、どんなことでも出来る」ことを証明しようとしたのだ。
「きっとそうに違いない」

 ここで、俺はもう一度、金を点検してみた。
 ひとつ一つの束が二千万で、新聞紙に包んである。その新聞紙をよく見ると、○とか×という印が書いてある。
 「こりゃ何だろ」
 包みを開いて中を見たら、理由は簡単だ。
 ○が回収券で、×が発行券だった。
 分かり易く言えば、金融機関から集めた金と、これから配る金の違いで、要するに冊の番号がバラバラな札と続いている札を分けてある。
 「使える金と、使えない金という意味だ」
 続き番号の札はどこにどうやって配ったかという記録がある。これを使えば、すぐに分かってしまう。
 使ってもバレない金は回収券のほうだ。
 三億円事件の札は、六割方番号が分かっている。ところがこれは一枚も流通していない。
 だから、事件以後、まったくと言ってよい程、札の足取りが掴めなかったのだ。
 札の束は十四個。
 万券だけでなく五千円札もあったから、金額を検め直すと、二億二千万円分だった。
 ここで訂正だ。
 さっき俺は、この犯行は「存在証明」だと考えたのだが、少し違っていた。
 しっかりと八千万円は使ってあった。
 バラ券は残り四千万あったが、おそらく新券に切り替わった後は両替するのを止めたのだろう。
 「箪笥貯金があった」という口実で両替出来るのは、せいぜい百万かそこら。
 日本の北と南でさりげなく両替しても、交換された金が行き着くのは日銀だ。
 旧券なので、交換されれば、廃棄されるわけが、これが処分されるのは、一箇所しかない。
 「要するに、よほど食うに困った時に、何万円かを両替するくらいだってことだ」

 ここで覚醒。