夢の話 第419夜 ばばへら
眼を醒ますと、車の助手席に座っていた。
運転席には、自分と同じくらいの男が座っている。
でも、「自分と同じくらい」って、いくつだろ。
大体、オレは誰なのか。
そこでオレは尻のポケットから財布を出して、免許証を見た。
年齢は30歳らしい。名前は「田中コウイチ」と書いてある。
「なんだか、何かの賞でも取っていそうな名前だな」
ここで、次第に記憶が甦って来る。
オレは何かの取材で、みちのくを訪れたのだ。
隣にいるのはカメラマンで、オレが記事の文章を書く方だ。
けしてノーベル賞は取っていない。
「しばらく寝ていたみたいだな。スマンスマン。今度はオレが運転を替わろう」
「起き掛けでしょ。大丈夫ですか」
隣の男は、確か野村と言う名前だった。
すると丁度その時、道の先にパラソルが見えた。
「あ。ちょうどいいや。あそこにばばへらが立ってら。ちょっと寄って、あれを食えば眼が醒める」
「ばばへら?何ですかそれ」
野村は名古屋の育ちだから、「ばばへら」を知らない。
「ばばへらってのは、婆がへらでよそってくれるアイスのことだよ。正確にはシャーベットだけどね。北奥の夏の風物詩だな」
パラソルの近くに車を停める。
ビーチパラソルの下には、シャーベットのタンクがあり、その脇に「ほっかむり」をした婆さんが立っている。
車を降り、婆さんに声を掛ける。
「お母さん。暑くて大変だね。アイス2つくださいね」
婆さんは、コーンに山盛りのアイスを盛って渡して寄こした。
車に戻って、アイスを食べる。
「ばばへらは元々、あるひとつの会社が始めた商売で、トラックの荷台に婆さんとタンクを乗せて、朝、道の各所に1人ずつ置いて行ったもんらしいよ。今は荷台にそのまま乗せたら不味いだろうけどね。幌でも掛けてんのかな」
ありゃ。オレは何でこんなことを知っているんだろ。
まるで、この近くで育ったみたいな記憶だな。
「ばばへらは秋田や青森側にはたくさん居るが、岩手の側には少ない」なんて、細かな情報まで頭の中に湧いてくる。
オレの人生の記憶では、静岡育ちだから、こういうことを知っているわけがないのに。
アイスを食べ終わると、今度はオレが運転席に座り、車を発進させた。
まっすぐ道なりに南下すれば、いずれは目的の町に着くだろ。
十分ほど走っていると、また道の脇にばばへらが立っている。
「またいましたね。何キロごとにいるんだろ」
野村が振り返って、婆さんを見ている。
「皆そっくりだろ。ほっかむりをして、割烹着みたいな服を着てるから、同じ人に見える」
「本当ですね。ハハ」
そのまま、田舎道を小一時間ほど走らせた。
高速を使えば早く着くのだろうけど、それではつまらないので、下の道を走る事にしたのだ。ドライバーが2人いるから、疲れたら後退すれば良い。
「今日は天気が良いですね。北の方でも、朝夕は涼しいのに、昼はこんな風に気温が上がるのかあ。あれ」
野村が何かに驚いたのか、急に声を上げた。
「田中さん。あれ。あの婆さんって、僕らがアイスを買った婆さんじゃないですか?」
それとほとんど同時に、車がパラソルの脇を通り過ぎる。
「え?」
オレは振り返って、ばばへらを見ようとしたが、婆さんの顔はパラソルの下に隠れてしまっていた。
「まさか。有り得ねえよ。もう1時間以上走っているもの。もうすぐ県境に着く筈だよ」
道が真っ直ぐだし、迷子になって元の場所に戻ったなんてことはない。
「同じ格好をしているから、見間違えただけだろ」
「そうですかあ」
少し気になったが、オレたちはそのまま車を走らせた。
20分くらい走ると、再び、道の脇にパラソルが立っている。
その横を通り過ぎる時には、街中で若い娘を見る時のように、男2人が揃ってそっちのほうに顔を向けた。
「ほら。また最初の婆さんですよ」
野村の言う通り、確かに、アイスを買った時の婆さんに似ている。
「そんな馬鹿な。確かめてみよう」
オレは道の端にスペースを見つけ、そこでUターンした。
道を引き返し、パラソルの近くに車を寄せる。
ドアを開いて車を降り、パラソルの方に歩み寄る。
「すいません。アイスを2つ下さい」
オレが声を掛けると、婆さんがタンクからアイスをへらですくって、オレたちに手渡して寄こした。
「あの。オレたちは前にもここで、お母さんからアイスを買いましたっけ?」
婆さんがにっこりと笑う。
「今日は2度目だね。どこへ行って来なすったの?」
おいおい。オレたちはどこに来ちまったんだろ。
オレたちは、2時間前に居た場所から、実際には百メートルも抜け出ていないのだった。
ここで覚醒。
夢を全部覚えているのは、寝ていても頭が働いている部分が多いからだろうと思います。夢の中では、まったく別の名前で、別の人生を送っている事が多いです。
目覚めている時の現実と繋がっている情報の方が、むしろ少なくなってます。
たまに、どっちの人生の方が本物なのかと思う事があります。