「毎年、秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の番外編です。
5月4日午前5時の記録。
前日が母の四十九日で、親族でお墓に行き、納骨を済ませました。
雨が降り気温が下がっていたのと、お墓が急斜面の上にあるため、すっかり体調を崩し、帰宅してからは横になったり起きたりの状態です。
午前3時頃にようやく眠りに就き、その眠りが浅くなって来た頃、物音がしました。
そこで、瞼を開き、起き上がろうとします。
すると、頭の上の方で人の気配がしました。
そっちに目を向けると、そこに立っていたのは、黒い人影でした。
影と言うより、真っ黒い煙か雲の塊です。
その黒い人が口を開きます。
「〇▲◆※$、来てけだのっか。※◆▲」
一部しか聞き取れません。
私を歓迎するかのような言い回しが断片的に含まれています。
一瞬、母が来てくれたのかと思い掛けましたが、しかし、母とは似ても似つかぬ声色でした。
女のようでもあり、男のようでもあります。
「おかしいぞ」
すると、すぐさま洗面所の方で、ガッタガタという音が響きました。
「こりゃ、到底、寝ぼけたんじゃないぞ」
物理的現象を伴っています。
ここで体を起こして、周囲を見回しましたが、特段何もありません。
言葉に脈絡が無いのは、死んでから時間が経っており、自我が壊れつつあるからです。
すなわち、もちろん、無くなった母が息子のために現れてくれたということではありません。
法要の後で、まったく別の者を連れ帰っていたのです。
なるほど。今、母の振りをして私や家族に取り憑けば、受け入れて貰える可能性が高い。
そこで、精一杯、母の真似をしたのでしょう。
振り込め詐欺と同じ仕掛けです。
四十九日の法要を済ませましたので、今後、私は神社や他のお寺を訪れることが出来ます。
邪気を祓わず放置するとどうなるかは、このひと月半で良く分かりました。
私のような者は、きちきちと祓って行く必要があるようです。
一度悪縁を取り込んでしまうと、頭で考えることが、自分の考えなのか、あるいは「誰か別の者」の考えなのか、区別がつかなくなります。次第に同化して、何事かに異常に執着するようになってしまいます。
悪霊が憑依するというのは、肩に乗るのでも、災いをもたらすのでもなく、魂が同化するのです。
自我が自分のものではなくなってしまいます。
あの真っ黒い雲の塊が今も脳裏から離れません。
また、死者の声には心が無いので、酷く不快でした。