◎夢の話 第687夜 女が見ている
18日の午前3時に観た夢です。
我に返ると、縁側のへりに座っていた。
「ここはどこだろ」
大きな家で、縁側廊下が二十メートルも続いている。
「ここは・・・。子どもの頃の近所の家のようだし、お袋の実家にも似ている」
前に向き直ると、そこは中庭で、庭石やら池やらが薄らぼんやり見える。
夕方なのか朝方なのかは分からないが、空が暗い。
「夕焼けも朝焼けも無い。してみると天気がよくないのか」
大きな庭石の後ろから、もやのようなものが回り込んで来た。
どうやら霧が出るらしい。
そうなると、季節は秋なんだな。
霧は瞬く間に庭一杯に立ち込め、景色がまるで見えなくなった。
山に行くと、ほんの5分のうちに、周囲がまったく見えなくなるほど霧に巻かれることがあるが、そんな時と同じだ。
前に向き直ると、霧の中に何かが見える。
何か赤っぽいものが微かに覗いているのだ。
「さっきは無かったぞ」
すると、すぐにそれが何か分かった。
霧の中に人が立っていたのだ。
「ありゃりゃ。何時の間に。いったいどこから来たのだろ」
そこに立っていたのは、女だった。
霧が動いて、それまでより見えやすくなる。
女は庭の中央に立ち、俺のことを見ていた。
女はまだ若い。27から32歳くらいまでの間だ。
着物を着て、髪は肩まで。
視線を俺に向け、そのままただじっと佇んでいる。
「う。こいつ。生きた人間じゃないぞ」
女の視線には生気というものがまるで無かった。
テレビやDVDで「心霊動画」みたいなのを流すことがあるが、あれはまずもって作り物だ。
判別は簡単で、眼の光を見て、意思や心の動きが見えたら、それは人間だ。
役者が演じている。
本物の霊には、そういう心の動きがまったくない。
念だけの存在だから、心が無いのだ。
人は生きている人間の恨みや怨念がそのまま死後も残ると想像して、霊の存在を脚色するが、実はまるで違う。幽界の住人にはもはや心が無く、氷のように冷たく固い視線をしているのだ。
「何故俺のことを見ているのだろう」
すると、さらに霧が動き、女の表情がはっきり見えた。
その女は、俺が滝の近くで撮った写真に写っていた女だった。
その時は眼だけが写っていたのだが、その時の視線とまったく同じだったのだ。
ここで俺は総てを悟った。
「何てことだ。全部が同じ女じゃないか」
旅館の玄関のガラスに映った女も、滝の手前の渓流の辺に立っていた女も、そしてその渓流に眼だけを出した女も、皆同じ女だった。
「俺に取り憑いているというわけでもないようなのに、何故繰り返し姿を現すのだろう」
答は簡単だ。
何か願いごとがあるのだ。
女は長く暗闇の中にいたが、ようやくひと筋の光を見つけた。
襖の小さなふし穴から漏れ出るような光だ。
そして、その小さな穴が俺だった。
「何せ俺は二度心臓が止まったことがあるからな」
臨死体験ってやつだ。そいつのお陰で、俺自身があの世と繋がる「穴」になったのだろう。
女は誰かに殺されて、どこかに埋められている。
「家に帰りたい」
それが女の願いであり、執着心だ。
その一念で自我を保っている。そしていずれ程なく悪霊に変わる。
「早いとこ行くべきところに送ったほうがよさそうだ。だが、いったいこの俺に何が出来る」
女が生きていた時期、時代が何時のことか分からないし、死者にはもはや思考能力がないから、生前のことを正確には思い出せない。それでどうやって連れて行ける?
よしんば連れて行けたにせよ、それなりの時間が経っていたら、もうそこには女や女の縁者がそこにいた痕跡が失われていることが多いのだ。
「じゃあ、どうすれば・・・」
俺は困惑し、女から眼を離せずにいる。
女は心のない冷たい視線で、俺のことを見続けていた。
ここで覚醒。
このところ、右脚だけが「まるで象のように」浮腫んでいたのですが、この夢から醒めると、その浮腫みが消えていました。
脚が片方だけ浮腫むのは、多く左脚で、心臓病の影響のことが多いのですが、私はいつも右脚です。
食事とも関係がなさそうなのですが、まったくもってよく分かりません。