◎古貨幣迷宮事件簿 「P05 細倉当百」
かなり昔、山手線O駅至近に「Oコイン」があった頃、土曜の昼に店に行くと、店主が後片付けをしていた。この日は早じまいをするようだ。
せっかく来たのに申し訳ないと思ったのか、女店主はこう言った。
「これから品物を見せて貰いに行くけど、※※君も一緒に見せて貰う?」
(まだ二十台の初めだったので、「※※君」と呼ばれていた。)
突然だが、こんな面白い機会は無いから、一緒についていくことにした。
タクシーで着いた先は、ごく普通の家だった。
高齢の男性が一人で住んでいたようだが、少し失礼な言い方をすると、そんなに立派な家ではなかった。
中に迎え入れると、その家の主が収集品をあれこれ取り出して見せてくれた。
「こりゃスゴイ」と思ったのは、いわゆる「地方貨」が一揃い全部そろっていたことだ。専用のショーケースにひとつずつ並べられていたが、カタログに載っていない品が百種類以上あったように思う。
その中に鉛銭も数十個あったが、いずれも状態がすこぶる良かった。
鉛素材なら金属として劣化が早く、どうやって時代を見るのか疑問に思ったが、これは「時代劣化」と「出所」しか根拠らしい根拠がないようだ。
素人でも型を採り、溶けた鉛を流し込めば作れそうだが、まずは本物を見て覚えるしかない。その意味では、「未使用」の状態はむしろマイナスに働くと思う。
実際、絵銭額などで大量に作られていた時期もある。
ついでだが、その家の主人は別のコレクションも見せてくれた。
この時出したのは金塊だった。十キロバーが二つと、一キロバーがごろごろ入った木箱だ。当時はグラム一千円台だったが、今ならとんでもない資産だ。
家を何軒か買えるくらいの資産だったが、他にも日本刀など各種の品が取り揃えてあった。家自体はごく普通の家で、邸宅ではなかったが見掛けとはまるで違う。
その一年後か二年後くらいに、O駅の高架下のゴミ捨て場でゴミに混じって金塊が見つかったが、私はそのニュースを見て、「あのご主人は亡くなったのだな」と思った。
遺産を整理する時に、「十キロバー」みたいな品があるものだから、遺族はそっちに気を取られ、がらくた箱の中までは検めなかったのだろう。
確か、遺失物の持ち主は現れなかったのではなかったか。ま、持ち主が分かれば、税務署の関心を引きそうだ。一キロ二キロを捨てても、他に金現物数十キロがあるから平気だ。この場合は、たぶん、相続の申告しなかった。口座と違い、金現物は換金しなければ分かり難い。
あるいは、盗まれた品の一部か。持ち主が現れぬのでは、いずれにせよその二つのいずれかだと思う。
かなり脱線したが、掲示の細倉当百は鉛銭だ。収集家が鑑定に苦しむジャンルになる。
この品はOコインズの店主に「付き合いで買ってくれ」と請われ、一枚だけ購入したものだ。
当時、仙台領の旧家で土塀を壊したところ、その中からこの銭種が百枚以上出て来た。(資産として隠したのではなく、礎にしたのではなかろうか。基礎にクズ金属を入れることはよくある。)
その処分整理をするのに「付き合ってくれ」というわけだ。
この程度なら興味が無いジャンルでも別に問題はない。時々付き合っていれば、次は順番が回って来ることもあるし、良い品を優先的に見せて貰える。
その辺は、私も事業主だったので呼吸は分かる。しかし、時々、「文政一分金三十枚を付き合いで」みたいなことがあったので、さすがに閉口させられた。興味のない品を何十万円も買わされるのはしんどい。
だが、もちろん、「現存一品(または数品)」みたいな品は優先的に見せて貰えたと思う。たぶん、三人目だ。
さらに脱線しているが、要するに「出所がはっきりしている」という条件に合致する。土塀の中に入っていたので劣化が進んでおらず、鉛素材の割には状態も悪くない。
肌の状態や検印の特徴も申し分ないと思う。
こういう性質の品は、ネット出品をパッと買ってもほとんど意味が無い。
銀貨幣以上に信用に問題があるからだ。
「何時どこからどのように出た品か」が重要な銭種になる。
「蔵から出ました」は論外。
ちなみに、参考までに、錫や鉛が劣化しやすい例を挙げる。
後段の画像は、錫か鉛の「公用材」のようで、分銅型にまとめられ、封印後墨書きがなされている。私がしくじったのは、入手後、金庫の中にこれを放置していたことだ。
すっかり忘れており、六七年後に取り出したが、かなり表面が劣化しており、その影響で封印紙がパラパラと崩れていた。
写真撮影をしていなかったので、どこでどういう風に使用されたものかが分からなくなってしまった。公用銭座の金属材なら「お宝」のひとつだし、あるいは重要な歴史の証拠品になる。
慌ててビニールで封印したが、「後の祭り」とはこのことだ。
小判一枚よりこっちの方がよほど面白い。
注記)推敲や校正をしませんので、不首尾があると思います。