日刊早坂ノボル新聞

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◎焼き鳥丼の顛末

焼き鳥丼の顛末

 金曜は多忙なので、夕食の支度が出来ない。所用で外出した折に「弁当でも買おう」と考えた。

 すると、たまたま吉牛の前を通った。

 幟に「焼き鳥丼」と書いてある。

 メニューの多角化を図っているわけだ。

 なら試しに買ってみよう。

 

 中に入り、家族分の牛丼と、焼き鳥丼を注文した。

 店員は「少しお時間を頂きます」と言う。

 午後の三時頃で、客は数人だが「お時間」とは。

 様子を窺うと、どうやら店員が一人だけで、持ち帰りの方の手配をするために待たねばならないようだった。ドライブスルーがありそっちの客は車の中だ。

 「日中なのにワンオペとは、いよいよ人手不足なのか」

 だが、少し考え過ぎだったようで、暫くすると奥からもう一人が出て来た。

 昼のピーク時を過ぎたので、交替で休憩を取っているわけだ。

 

 夕方になり、子どもたちに「どれを食べる?」と訊くと、「牛丼」との答え。

 焼き鳥丼の試食は当方がすることになった。

 食が細くなっているので、大体、一食を二回から三回に分けて食べる。

 最初に開けて見ると、山盛りのネギだ。

 鶏が少ないぞ。

 吉牛の牛肉は米国産だが、こっちはたぶんブラジル産か。

 単価的にどうなんだろ。

 

 食べ始めると、えれー不味い。

 こういうのは個人の嗜好だが、相手の立場を慮っていては情報が歪むと思う。あくまで個人の感想を前提に、「エレー不味い」だ。ちとしょっぱ過ぎて、鶏の長所が消えている。

 こう感じるのは、たぶん、「焼き鳥丼」というネーミングにもあると思う。誰もが、焼き鳥のたれ焼きの、あの甘じょっぱいタレをイメージする。この味付けはあれとは全然違う。

 

 そのままでは不味いので、上から焼き鳥のたれを振ってみると、これなら納得だ。これが「焼き鳥丼」だろ。

 だが、たれを甘くすると、鶏肉の少なさが際立ってしまう。

 これはこれで研究された結果ではあった。

 具材にかける費用が幾らで、「全体のコストをどれくらいで抑える」という目安の中で、よりよいものを目指す。その結果が塩辛い味だった。売価四百円前後で丼を設定するとこうならざるを得ない。

 

 結局三分の一も食べられなかったので、翌日になり、レンジで温めて、残りを食べようとした。

 当方は熱めの方が好きなので五百ワットで一分四十秒ほどレンジにかけた。

 すると、あろうことか、発泡スチロールの底が溶けてしまった。

 耐熱加工なしの安価な素材だったわけだ。

 結局、プラスティック臭くなってしまい、残りは食べられずに終わった。

 

 斯様に商品開発は難しい。ほんのちょっとした材料の選択で、総てが台無しになってしまう。

 レンジ温めに耐えられぬこの器では弁当には向かぬから、焼き鳥丼の味の改良以前に、器を取り換える必要がある。

 

 注文は付けたが、吉牛にはかれこれウン十年はお世話になっている。外食産業の寿命は二十五年から四十年だから、凄く長持ちしている会社だと思う。

 今の売価自体、学生時代のあの頃と殆ど変わらない。

 感謝する気持ちの方が大きいと付け加えて置く。