◎病棟日誌 悲喜交々 1/16「一緒に帰ると」
朝の体重計測の担当は介護士のバーサンだった。
「仲宗根美樹です」
バーサンが首を捻る。
「えええ。誰だったかな」
近くに師長(五十台)がいて、「そりゃ俺も知らんですよ」。
「おいおい。昭和四十年代に『島育ち』とか奄美の歌を歌っていた歌手だわ」
東海林太郎は憶えていても、仲宗根美樹は知らんてか。
ま、当方もほとんど知らない。子どもの頃に名前を聞きかじったことがあるだけ。
バーサン対策の作戦を組み替え直す必要がありそうだ。何の作戦かはともかくとして。
この日の穿刺はまたユウコちゃん。
東日本観光はどこに行くべきかで連日議論している。
前回、その候補地のひとつとして秋田大館を挙げた。
大館の目玉は、もちろん、「比内鶏のきりたんぽ鍋」だ。普段スーパーで売ってる「きりたんぽ」とは別次元のものが食べられる。現地に行かねば本物は食べられない。
「新幹線の乗り放題1万円ってのが安くていいですけど、指定料金が別にかかりそうなんですよ」
ユウコちゃんは二十台半ばで、「なるべく節約」コースが希望だ。
「それならジェットスターで「片道3800円」で行けばよい。往復1万円を切る。あとは飛行場から遠くないところで」
「どこがお勧めですか」
確か秋田にジェットスターは飛んでいない。
「大館が向かぬなら北海道でいいんじゃないか。蟹を食って、温泉に入る。飛行機代が1万円内なら、その温泉で一泊」
飛行場から温泉までは遠くない。
「北海道でしか食べられぬのは、蟹とかジンギスカンなど知られているものの他に、でっかいホッケとか鮭だ。皆が持つイメージとはまるで違う。もはやまったく別の食い物だよ」
ちなみに、家人は「格安航空券を使ってお彼岸に岩手に墓参りに行こう」と言う。でもジェットスターは花巻には飛んでいないような気がする。
「じゃあ、北海道から降りてくれば」
「それじゃあ、東京から新幹線で行くより時間と金が掛かるべ。北海道から岩手までの方が長い」
という話を昨夜したばかり。
この日の病院めしはハンバーグだった。
七年目になるがハンバーグが出たのは今回初めてだ。
肉はリンが多く禁忌食品の類だからと言う理由らしいが、この日のを食べてみると混ぜ物が多く肉が少ない。たぶん大豆の代用肉を使っている。なるほどこれなら食べられる。。
帰り際に出口で、アラ四十女子と一緒になった。
「帰る時に連れ立って出ると、関係がばれちゃうよ」
と、軽口を言う。
「中高生の時には、女子と一緒のヤツがいるとガン見したもんだっけな」
「憶えてないなあ」
「男子と一緒に帰る時に見られたりしなかったのか?」
「その頃には男子と一緒に帰ったことがないです」
ここでヒヤッとする。もしかして、ごく若い頃から病気がちだったかもしれん。この子が腎不全になったのは抗生物資が原因だったが、ずっと我慢して来たのかも。
それなら昔をあれこれ掘り返すのはかわいそうだ。
ここで話を切り替える。
「俺は男兄弟で、母はずっと病院にいたから高校生まで女性に接したことが無い。だから女子とはうまく話しが出来なかった。緊張し過ぎたんだよ」
「じゃあ、大人になったらその反動が出たんですね」
隣のベッドに居た時に、師長と散々女性の話をしていたのを聞かれていたから、女性好きの印象があるらしい。
お笑い芸人の性加害が取りざたされているが、ああいう人は思春期にとにかく我慢して来たことが背景にあったりする。
貧乏な家庭で育ち、中高生時代には勉強もスポーツも出来なかった。トコトン不良にもなれない。
女子と一緒に帰る同級生のことを羨望の眼で見ていた。
大人になり、それを解消しようと女性に手を出すが、過去は変えられぬので、幾らっやっても満足できない。どんどんエスカレートする。要は劣等感の裏返しということ。
ある意味で、心情がよく分かる。
女きょうだいがいると、「女性」に夢を抱かぬから、ひゃらひゃらと話が出来るのだが、そういうヤツを見るとやたら腹が立ったもんだ。
その芸人は、売れて金回りも良くなったが、やはり過去は変えられない。
態度が傲慢なのは「自分の過去に仕返しをしている」ということで、心底より女性に悪意を抱いていたわけではない。
飢えが止まらず、同じ行為を繰り返すので、ドラキュラと同じ状態だ。とにかく際限なく欲望が沸く。
「消えぬ過去」への反感があり、自分の落ち度を絶対に認められない。
かたや、この病棟には絶望が満ち溢れている。
それに抵抗するために、ことさら食欲や性欲に絡めた話をして、生きる気力を振り絞ろうとするわけだが、これがアラ四十女子に伝わるとは限らない。
あまり軽口を言うと、ハラスメントにもなりそうだし、過去の傷を逆なですることにもなりかねぬから、加減を考える必要がありそうだ。
思春期には、春先に女子と一緒に公園のベンチに座っただけで、すごく緊張したっけな。
どうしてよいか分からない。
何も持たぬ時が最も楽しい時だってのは、それからかなり後になってから分かった。その代わりに夢や希望がふんだんにあったわけだ。