日刊早坂ノボル新聞

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◎『ジョーズ』と『ゴジラ-1.0』

ジョーズ』と『ゴジラ-1.0
 月曜午後に、テレ東で映画『ジョーズ』を放送していた。
 途中から観たが、1970年代だから、もはや五十年くらい前の映画だ。しかし、今観ても面白い。
 中高生の時に映画館で観たと思うが、また大スクリーンで観たいと思った。

 そこで気付いたが、『ゴジラ-1.0』の中盤に、船をゴジラが追い駆ける場面があるが、あれはやっぱり『ジョーズ』がモチーフだった。
 『ゴジラ-1.0』を観ながら「ここは『ジョーズ』からだな」と感じたが、口を開けたゴジラが襲って来る構図はまるっきり『ジョーズ』だった。
 たぶん、『ゴジラ』の監督が『ジョーズ』が好きで、取り入れたのだろうと思う。それと分かるような作り方をしていた。
 こういうのは、作っている当人はすぐに分かるから、スピルバーグは『ゴジラ-1.0』を激賞した。
 中国人なんかの丸パクリと違うのは、「敬意が感じられる」ことだ。崩しが無くきちんと韻を踏んでいる。

 フランス人の『アサクリ・シャドウズ』は、日本文化を使っているのにまったく敬意を払わず、むしろ破壊しているから「盗用」だと言われる。ちなみに、こいつは実際酷い。敬意のかけらもない。
 フランス人は傲慢で今も差別主義的な思考をする。

 フランスなど「今に繋がる歴史」はせいぜい数百年だ。それ以前の国体や文化は完全に滅んでいる。日本は二千年前から今も同じ君主の国だわ。昨日今日のフランス人が弄んでよい立場ではない。

 ちなみに、中国や韓国の「歴史」はまだ百年経っていない。

 彼らは「起源主張」が好きだが、今に繋がらぬ起源には何の意味もない。

 韓国人はパスタの起源まで主張するが(確か)、今の韓国のどこに旨いパスタがあるのか?あれこれ起源主張をするだけ逆に見すぼらしく見える。今現在の見すぼらしさが逆に引き立ってしまうわけだ。

 ま、何かにつけ「俺が」「俺が」としゃしゃり出てしまうのは、千年以上もずっと中国王朝の末席に座っていたからだと思う。

 ところで、九月になり、『エイリアン・ロムルス』の上映が始まっている。数日中に観に行こうと思う。
 既に観た人のレビューを読むと、なかなか評判がよい。
 宣伝は原点回帰の雰囲気なので「実は1作目のリメイクかしら」と思ったが、監督が『ドントブリーズ』の人で、内容はこっちとほぼ同じ構図らしい。


 さて、持病有りの「ほぼコーレイシャ」には、映画くらいしか慰めが無い。日常から離れられるのは映画館の中だけ。
 その意味では小中学生の頃と殆ど変わらなくなっているのではないか。
 小学生の頃には、月に一度か二度、赤十字病院に入院している母の見舞いに独りで行った。片道一時間半のバスの旅は小学生3年生には長かったが、病院を出ると大通りでラーメンを食べ、映画を観た。
 最初はそれこそゴジラ映画みたいなのを観たが、程なくクレージーキャッツフランキー堺の大人向け人情コメディや洋画を観るようになった。
 小学生が一人で行動しているので、たまに補導されそうになったが、「今お母さんは買い物をしています」で切り抜ける術を覚えてからは平気だった。
 映画館の前に立つと、小学生の頃の心持ちを思い出す。
 映画の世界に集中するには、平日の観客の少ない時間帯に一人で観るおんが向いていると思う。完全に没入できる。