◎夢の話 第1110夜 ナマコの女房 もしくは海神の娘 (R13)
九月二十一日の午前二時に観た奇妙な夢です。
目を覚ますと、俺は砂浜に横たわっていた。
「あれあれ、俺はなんでここに」
頭を強く打ったらしく、よく思い出せない。
確か俺は四十歳くらいだったな。名前は何だっけ?
とりあえず起き上がって、周囲の状況を観察することにした。
十五メートルくらい離れたところに救命ボートが転がっていた。
どうやら俺はこれに乗ってこの浜辺に着いたらしい。
そう言えば、雨が激しく降っていたから、ボートを逆さまにしてその下でしのいだ。
雨が上がったところで、外に這い出たが、そこで倒れて眠り込んでしまったのだ。
「そういえば貨物船で荷を運んでいたのだったな」
俺は貿易会社の役員だが、その会社は女房の親族のものだから、ほとんど従業員だ。
頭が上がらぬので、女房や舅の言うなりに働かされている。今回は大量の輸出品を送るにあたり、海賊の出る海域を通るので、「監視役」として荷に付き添わされたのだった。「監視役」と言えば聞こえはよいが、実際には保険のそのまた保険で、もし海賊に襲われ、俺が死んだりすると、荷の保険に加えて、俺の生命保険が女房に三億下りる。意味は「いつ死んでくれても構わない」ということ。息子が出来てからは、俺は「用無し」の立場となり、周囲に邪険に扱われている。
浜を見て回ったが、二時間ほどで元の場所に戻った。どうやらここは島らしい。
人の住んでいる気配がないから、きっと無人島だ。
なんだか見たことのある島だと思ったが、『キャストアウェイ』という映画の舞台になった無人島にそっくりだった。
「インド洋の孤島なら助けは来ない。船に掛けた保険や俺の生命保険が下りるから、探そうとも思わんだろうな」
万事休すで、俺はたぶん、ここで一生を終える。
だが、その反面、それは「女房やその家族から解放される」ということでもある。半分は気が楽になった。
映画の『キャストアウェイ』では食料を探したり、火を熾したりするのに苦労していたが、俺はさほど困らなかった。眼鏡を持っていたからレンズで太陽光を集めることが出来たし、干潮の時に磯で幾らでも食料が拾えた。暇な時に「サバイバル動画」を観るのが趣味だったから、それも役に立った。ま、三日目からは米の飯が恋しくなったが、それもじきに慣れる。
一人で暮らすのは苦にならない。何故かと自分に訊いてみると、もう十年くらいの間、家族や仕事の人間関係でも孤立していたからだと気づいた。
そんな日々の中、俺は浜であるものを見つけた。
浜辺を歩き食い物を探していると、それが打ち上げられていた。
「それ」とは巨大なナマコ状の生物だった。
長さが1メートル50センチほどの筒状の生物だ。色は茶色で、外観が巨大なナマコ。
「ナマコなら食えるよな」
そう思い、俺はそいつを浜に引き上げた。
浜から五十メートルのところに岩窟があり、上を木々が覆っている。満潮時に波が届かぬし、海風とは逆の向きだから、俺はそこをねぐらにしていた。
その岩窟のすぐ近くに、岩山から水が流れ落ちて出来た、直径二十メートルの水溜りがあったから、俺はその池にナマコを放した。
水に入れる前にそのナマコをよく観察したが、表面がすべすべで心地よい。
まるで幼児の尻っぺたの感触だった。
「こりゃ抱き枕にすれば気持ちよさそうだ」と思った。
翌朝、寝ぐらで目覚めると、体の半分がひんやりしている。横に目をやると、すぐ隣にあのナマコが横たわっていた。夜の間に池を出て、俺のところに来たようだ。たぶん、体温に惹かれて寄って来たのだろう。
このナマコは手触りが何とも心地よいから、俺は何気なく女性の背中を撫でるようにゆっくりと表面を撫でた。
俺はマッサージが上手で、昔の彼女たちは皆が俺に背中を撫でてくれるように頼んだ。
カバみたいになった今の女房も、毎日、俺に背中を揉むように強要する。
俺はその女房にする百倍の丁寧さで、ナマコの肌を撫でた。
すうと、ナマコの方もそれに反応し、小さくプルプルと震えた。
このナマコには、好みの温度があるらしく、日中の暑い盛りには、ずっと池の中に沈んでいる。
朝夕は岸にいるが、夜になると俺の隣に来て寄り添う。たぶん、27度から35度くらいの間が適温なのだろう。
俺は抱き枕が必要な性質だから、隣にひんやりしたナマコが来るのは歓迎だった。
ま、女房以外なら、誰でも、あるいはナマコでも歓迎だ。肌触りが良いから、撫でているうちにこっちが眠くなる。ナマコの方も体温に加え、撫でられるのが気に入ったらしく、ぴったり寄り添うようになった。
おかげで、時々、隣に女性がいる夢を観るようになった。妙齢の美人で、心優しく、口数が少ない。
そのうち、俺はナマコの全身を撫でるようになった。何せ、時々プルプルと反応がある。それがまるで心地よさに反応しているように見えるので、それを確かめたくなったのだ。
そこでナマコの頭から尻まで隅々を撫でてみた。
すると、胴体の真ん中から少し下の部分に、小さな割れ目があった。
指を入れてみると、中は湿っている。
「こりゃまるで、女の・・・」
一瞬、エッチな想像をしたのだが、しかし、別の考えがそれを打ち消した。
「おいおい。ナマコは生き物で、そいつにも肛門がある。コイツはケツの穴じゃないのか」
俺は慌てて指を引っ込めた。
事態が急変したのは、その日の夜だ。
俺は寝ぐらで横になっていたが、まだ半ば目覚めており上を向いていた。体はもう動かぬが、周囲の気配が分かる。
そこに、いつもの通りナマコが水から上がり、そろそろと俺のところに這って来た。
普段は俺の左側に寄り添うのだが、この日は俺の上に乗って来た。
水から上がったばかりの冷たい体が俺の上を這う。
俺はぼんやりとした頭で、昔の彼女のことを思い出していた。
俺たちは一緒にシンガポールに旅行をし、有名なホテルに泊まった。そのホテルはプールサイドが有名だが、そのプールで泳いだ後、俺たちは愛し合ったのだった。
「その時よりも、今の方が気持ちいいな」
モコモコと俺の下半身の一部が頭をもたげる。
すると、それを感じ取ると、ナマコが位置を変え、自分の割れ目に俺のイチモツをするっと吸い込んだ。
痺れるような快感があり、俺は瞬く間に射精してしまった。
その刹那、俺の脳内では幾千もの火花が飛んだ。
それとほとんど同時に、ナマコがプルプルと体を震わせたような気がした。
俺はそのまま深い眠りに落ちた。
翌朝、俺が目覚めると、すぐ隣に若い女が座っていた。
髪の長い女で素裸。これまでの人生で見たことのない美女だった。
「あなたは誰だ。どこから来た」
すると、女は小さく微笑んで答えた。
「わたしは海神の娘です。ナマコの姿は大人になる直前の姿で、幼体が一時的に変化したものです。例えて言うならサナギのようなものでず」
「それじゃあ、今の姿が本来のものだったのか」
「はい。そうです。人間と交情することで遺伝子を組み換え、その姿になります」
「それじゃあ、イルカと交接すればイルカになるのか?」
「半分がイルカ、半分が人間の姿になります。あなた方が言う人魚というものです」
ここで女が深々と頭を下げる。
「あなたが私を愛してくれたので、私は人間の姿になれました。どうも有り難うございました」
鈍感な俺だが、ここでこの女が俺の許を去ろうとしていることに気付いた。
「君はどこかに行こうとしているのか」
「はい。わたしの居場所は海ですから、海に帰ります。ではお元気で」
女はすくっと立ち上がると、背中を向け浜の方に歩き出した。
俺はその背中に声を掛けた。
「おいおい。まだ君の名前も聞いていないよ。せっかく会えたのに、もう俺の許をさってしまうのか」
女が振り向く。
「私の名前はミウ。いつかまた会うこともあるかもしれません。でも、二度と会わぬ方が幸せかも」
女は再び背中を向け、海に向け走り出した。
そして、ほんの十秒後に、女の姿は波間に消えてしまった。
その間、俺は呆気にとられてただ眺めていただけだった。
それから俺は孤島での一人きりの暮らしに戻った。
完全に孤独な暮らしだったが、俺は平気だった。ここは食い物には困らぬし、元々が人間嫌いだった。
一度、捜索隊が島に来たが、俺はそいつらが呼び掛ける声に応じず、島の反対側に隠れていた。
捜索隊は諦めて帰ろうとしたが、どういうわけか本船が出向しようとすると、船が傾いて沈んでしまった。まるで船底に急に穴が開いたような沈み方だった。
その間、どこからともなく女の歌声が聞こえていた。一人ではなく五六人の歌う歌声だった。
俺はその様子を見て、妙に納得した。
「あの娘は『二度と会わぬ方が幸せかも』と言ったが、これはこのことだ。たぶん、海神の娘はセイレーンのことを指す。通り掛かる船乗りを捕まえては魂を食らう」
それなら確かに二度と会わぬ方が良さそうだ。
俺はその後、毎日海を見て暮らした。幾度となく、あの出来事を思い出したが、俺の記憶は海神の娘姿ではなく、ナマコの方だった。日頃、俺が話しかける相手はそのナマコの方だったからだ。
夕方、海を眺めていると、たまに沖の方から歌声が聞こえる。
波間に人の姿が見えることもある。若い娘だが、ミウかとうかは分からぬ距離だ。
そんな時、俺はその人影に向かって、右手を挙げて軽く挨拶をする。
女の方も俺に向かって手を振って挨拶を返すと、すぐに波間に姿を消す。
ここで覚醒。