日刊早坂ノボル新聞

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『死の国』ノート 8)霊界のエネルギー

『死の国』ノート 8)霊界のエネルギー
                          話し手:神谷龍慶
                          聞き手:早坂ノボル
■信仰と宗教
(早坂)「それでは、現世を生きる者にとっての日常に話を戻しましょう。霊魂のあり方は霊界、幽界、現世界と三層に分かれており、相互に関わっているわけですが、普段の私たちはどのように振舞えばよいのでしょうか。より具体的には、信仰あるいは宗教への関わり方のことです」 
(神谷)「皆さんは、ほとんどの場合、何か信仰を持つ家族の仲に生まれ、そこで育ちます。それを自分のものとしても結構ですし、新たに自分なりの信仰を求めても良いでしょう。どんな宗教に入信するかは、あまり重要ではありません。信仰は各人のもので、宗教は人の決めたものです。ただ、先ほど申しましたように、信仰の違いを基に他者を排斥するのは誤りです。信仰を異にする者については、さりげなく情報交換をするのがよいと思いますが、自らの考えを押し付けたりしてはなりません」
(早坂)「しかし、この世には、女性や子どもを虐待するような信仰、宗教もありますが」
(神谷)「それは話が別です。他者をないがしろにすることは個人の信仰、集団での宗教云々以前の問題です。これを信じる人たちを説得し、放棄して貰う必要があります」
(早坂)「そのやりとりの中で憎しみが生まれ、争いが生じる。そんな要素もありますね」
(神谷)「確かに難しい問題です。何時の間にか、信仰の問題が人と人との関係の問題にすり替わってしまうわけです。ここは、我々がどのような存在かということを丁寧に説明し、敷衍してゆくことが重要になります」
(早坂)「あえて否定はせず、情報を提供してゆくわけですね。そうなると、かなりの時間が掛かります」
(神谷)「その通りです。知識だけではなく、ひとの心そのものを変えてゆく必要があり、長い時間が掛かるでしょう」

■礼拝の仕方
(早坂)「私の実家は代々、曹洞宗の信者で、私にとって、お葬式と言えば、曹洞宗のしきたりによるものです。霊魂の循環を知った後でも、これは変えなくても宜しいわけですか」
(神谷)「はい。霊魂の循環は、どの宗教、信仰とも矛盾しません。霊界に個はなく、全体と部分が不可分の関係にあるということだけです」
(早坂)「では、各々の宗教のしきたりに抵触しない、もしくは拘束されないやり方で、霊界のしくみを思い起こす方法はあるのでしょうか」
(神谷)「霊界からエネルギーを受け取る手段はあります。まず日中については、両掌を上に向けること。すなわち日の光を掌で受けるという方法です。日差しがあまり強くない曇りの時でも、こうすることでエネルギーを感じ取れると思います。私は車を運転している時に、赤信号で停止すると、両手をハンドルの前に出してエネルギーを受けています」
(早坂)「真夏の日差しの下では、多少暑いかもしれんですね」
(神谷)「そういう時には、ごく軽く、短めにします。これは昼の話ですが、夜も同じやり方で行います。今度は日の光ではなく、霊素・霊気のエネルギーを受け取るためです」
(早坂)「霊素が降りて来るのですか」
(神谷)「霊素は常に地上に降り注いでいます。これが強くなるのは夜間ですので、これを両掌で受けるわけです」
(早坂)「礼拝する際にはどのようなことを考えればよいのでしょう」
(神谷)「感謝して拝領することです。霊界は命の源ですので、今ここに存在していることを感謝し、エネルギーを拝領すれば宜しい。神仏に祈願したりするわけではありませんので、どのような信仰、宗教とも矛盾しません。エネルギーを貰うから手を広げるし、逆に送る時には手を合わせます。お葬式の際には、多くの宗教で、故人に対し手を合わせますが、これはこちらから故人に念を送るためです」

(早坂)「なるほど。貰うから手を広げる。あげるから手を合わせる。日頃は掌で母なる海からエネルギーを貰うわけですね。ところで、今回、霊素の話が出ましたが、これはどういうものなのでしょう」
(神谷)「人間、すなわち生者が感じ取れる霊素は、いわゆるオーブに近いものです。霊素自体は眼には見えませんが、これが集まったものが煙の玉や光の玉のように見えることがあります」
(早坂)「ああ、分かります分かります。私は煙玉と呼んでいますが、夜、空に向かって撮影すると、光の角度や環境にもよりますが、時々、丸い玉が写ります。では次回はその話について伺います」