日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第949夜 母が倒れる

夢の話 第949夜 母が倒れる

 四月十二日の昼食後に居眠りをしたが、その時に観た短い夢です。

 

 郷里にある枡沢橋の袂に行き、北上川を眺めている。

 水面の下に岩が見え、その周辺に魚が黒々と集まっていた。

 「うわあ、スゲーな。何千匹かはいそうだ」

 何時の間にか、すぐ近くに男がいて、「ありゃ凄いですね。あんなに魚がいるとは」

 その男を見ると、割と有名人だった。

(これはユーチューブを掛けながら眠り込んだためで、評論家が話すのを聴いていたから、その人が夢に現れたようだ。)

 俺はその男に答えた。

 「ここはもう周囲に住民がほとんど居なくなり誰も釣らなくなったせいだね。自然と魚も増える」

 男と別れ、自分の家に向かう。

 (この時帰ろうとしていたのは、大学の一年くらいまで住んでいた店舗兼住宅だった。その後で倉庫となり、今はだれも住んでいない。)

 

 玄関から家に上がろうとすると、母が現れた。

 「ああ、お袋。戻っていたのか」

 長らく入退院していたが、また退院したんだな。

 しかし、頭のどこかで「お袋はもう死んだだろ」という声がする。でもたとえ「あの世」からにせよ、戻って来てくれるのは嬉しい。

 すると俺の後ろに壮年の男性が現れた。

 「あ、ヤスミ先生」

 ヤスミ先生は近くの個人病院の医師で、高校の先輩にあたる人だ。

 俺が五歳くらいの時、竹串を加えて歩いていて、前のめりに転んだことがあったが、その時に頬の内側に突き刺さった串を手術で除去してくれた。

 真っ直ぐ刺さったら即死だったが、少しずれていたので助かった。頬の外側から切ったので、いまだに顎にその時の傷が残っている。

 

 「ちょっと山であれこれ採って来たから、少し置いて行きます」

 先生は籠を持っていたが、中にはスグリの実やらが沢山入っていた。

 「中に入って休んでってください。すぐに帰って来ますから」

 父は外に出ているらしい。

 先生が応接間に入る。

 

 俺が家の外の水道で魚を洗っていると、突然、「大丈夫ですか?」という声が響く。

 すぐに中を覗くと、母が倒れていた。

 ヤスミ先生が母の様子を看ている。

 この時、ドアの向こうで母の足が少し痙攣しているのが見えた。

 俺は慌てて中に入った。

 

 母の顔色が青くなっている。

 「心臓病を発症したんだな」

 それなら薬を七錠飲まさなくては。

 先生が薬を口に運んだが、痙攣しているので、うまく飲んでくれない。

 そこで、俺が母を抱えて、飲ませることにした。

 一個ずつ口に運んで含ませる。

 一個含ませるごとに、「どうか回復してくれ」と祈った。

そして「やはり俺でなくては、母の面倒を看るのは難しいよな」と思う。

 ここで覚醒。

 

 眼が覚めた後、暫くの間考えさせられた。

 恐らく、母への思慕が観させた夢なのだろうが、夢の中に最初に出て来る異性は大半が「自分自身の分身」になる。

 母であっても異性だとすると、倒れるのは私自身だ。

 おいおい。まさか予知夢じゃないだろうな。普通の人なら「ただの夢」でも、実際に心臓病を持病とする者では、少し意味が違って来る。

 ま、すぐに現実化してもおかしくは無い状態だ。

 

 その上、少しだが、「母が自分のことを『そろそろ来てくれ』と呼んでいる」ような気がする。

 持病の状況よりも、こういう時の「気がする」というのは、私の場合、最も不味い。

 自分が持っている最大の武器は「直感」だと思うが、これはプラスにもマイナスにも働くからだ。

 

 「大群の魚」は「大きなお金」のこと。大漁を目前にして沈没するかもしれん(笑)。

 母に「もう少し待ってくれ」とお願いしなくては。

◎一年前の振り返り 「白いノースリーブの女」

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令和二年四月二十二日撮影

◎一年前の振り返り 「白いノースリーブの女」

 「あの世」系の画像は、時間の経過と共に変化する。

 いわゆる「心霊現象」は、不可視域の光(概ね赤外線)を曲げ、画像に歪みを生じさせる。カメラは人間の眼より捕捉範囲が広いため、「画像にだけ写る」ことがあるのだが、人影の周囲の景色に歪みを生じさせる。

 また、撮影直後には、さざめくように波立つ気配が感じられることが多いのだが、時間が経つと、次第にそれは無くなって行く。

 逆に、臨場感が消え、冷静に見られるようになるため、錯覚や思い込みを除外することが出来る。

 このため、半年後、一年後に、過去の画像を再確認すると、撮影時点では分からなかったことが見えて来る。

 

 画像は昨年の四月二十二日のものだ。

 例年、四月五月は異変が少なく、ほとんど何も起こらない。

 この月も、さしたるものはなく、引っ掛かったのはこの時の画像だけだ。

 この画像では、右側に何となく人影が立っているように見える。

 これは画像だけでなく、目視の段階でも同じだったと思う。その理由は後述する。

 室内の物や、外の景色が同時に写り込んでいるため、判別が容易ではないが、それらとは別に、半透明のシルエットが見える。(ウェブ画像では難しいかもしれぬ。)

 割合、腕とスカートが見やすいのだが、腕は室内外に見間違う物が存在しない。

 スカートは階段の手すりと重なっているのだが、それとは別の白い布が朧げに見えている。

 

 即座に「あ、これは」と確信する理由は、「時々、見ていたから」だ。

 「白いノースリーブの女」は、ひと頃、盛んに画像に残った「人影」で、いつも同じ服装をしていた。

 最初は私の「背後から抱き付いている」という構図が多かったのだが、この頃には徐々に離れるようになったようだ。

 昨年の後半くらいからは、殆ど姿を見せなくなった。

 

 「時々、見ている」ことで、それが先入観になっているのかもしれぬと思い、もう一度見直した。しかし、スカートや体の線は「見間違い」とも言えるものの、腕は「そう見えるような別の物」が存在しない。

 画面では判別が困難だろうが、手指の先には指も付いている。

 過去に見た人影と同一なのであれば、スレンダーで、顔だちもきれいな女性なのだが、あの世の者(幽霊)は、どうしても薄気味悪く感じてしまう。

 既に感情だけの存在で、それも多くは負の感情だから、温かみを持ちようがない。

 どんなに美人でも幽霊となると、親しげに触られるのは、あまり良い心持ちがしない。でもま、凶悪な怪物・妖怪やデロデロの自殺者よりはまし。

 

 ま、いずれにせよ、何かを語るには不鮮明だ。

 加えて、こういうのは先方が自己主張をする対象(すなわち私)が決まっているので、第三者はまったく関りが無い。

 よって他の人は「そんなのは気のせいだよ」とスルーするのが正しい。

 幽霊は自身と接点を持たぬ相手には関わろうとしないから、「見ない」「見えない」ことで、面倒ごとを避けられる。

 「肯定」「否定」に関わらず、興味本位に「眼」を覗き込まぬのが無難だ。

 画像であっても、先方が見ている(あるいは「見られる」)場合があると思う。

 波と同じで、同調すると共鳴もする。

 

 これまで長く観察して来たが、もはや「死後の存在」を疑うことは無くなった。問題は生きた人間の「知覚・認識の規格に合うか合わぬか」という話だけだ。

 「あの世」を正しく理解すれば、今生の改善に役立てられる。

 

 追記)画像を追加する。他にも要素があるのだが、「たまたま」「よく分からない」のいずれか。

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◎今日の四文字熟語は「千載一遇」 

 

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今日の四文字熟語は「千載一遇」

 今朝の病院のエレベーターでの四文字熟語の問題はこれ。

  

  おお、割と遊べそう。

 まずは外堀から。

千夜一夜:砂漠の夜は長し。

「千秋一日」:なんか違うような気が・・・。なるほど、コイツは「一日千秋」が正解だった。

 あれあれ。ここで止まってしまう。

 苦し紛れに造語してみる。

「千年一途」:「ずっとあなたを想い続けています」みたいな感じ。 

 ううう、と唸っているうちに「チーン」と到着。

 

 後で辞書を引くと、

「千慮一失(せんりょのいっしつ)」:絶対に失敗しないと思われた賢明な人でも、失敗することがあるということ。十分に考えて準備していても、思わぬ手抜かりがあるということ。

 

「千慮一得」:愚者でも、千の中に一つぐらいはよい考えもあるだろうということ。自分の意見を謙遜けんそんして言うことば。

 

「千篇一律」:作られた多くの文章や芸術作品などが、どれも同じ調子や体裁で変わりばえのしないこと。また、平凡で何の特徴もないこと

 おーい。当方への悪口かよ(被害妄想)。

 

「千金一刻」「一刻千金」:わずかなひとときが千金にも値する意から、楽しい素晴らしいひとときが過ぎ去っていくのを惜しんでいうたとえ。

 当方の場合は、使える時間がそもそも少ないので、「無為に寝て過ごす」以外なら、楽しかろうが悲しかろうが構わない。

 酸いも辛いも人生のうち。(もう甘い味は無い。)

 

 と来ると、正解はやはりお馴染みのこれ。

「千載一遇」:滅多に訪れそうもないよい機会。二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態。

 「千載」は「千年」のことで、千年に一度会えるかどうかという好機を指す。

 出典は『文選』王褒「四子講徳論」らしいが、ピンポイントで文脈を辿れる資料がネットにはないので、これも宿題。


 ベッドで「千載一遇」を考えつつ横になっていたが、治療の後でトイレに行った。

 薬の影響でお腹の調子が悪く、慌てて便座に座ったのだが、なんだか嫌な直感が走る。

 原因を確かめると、便座の端に誰かのウンチがほんの少しついていた。

 この辺、病棟内には「重篤な高齢者」ばかりだから、まともに便座に座れない人があちこちにいる。

 そのまま出たら、まるで当方の不始末に見えるだろうから、掃除をしようとしたが、病院のトイレは専従の者が消毒するので、室内に掃除用具が無い。

 仕方なく、ペーパーと消毒スプレーで掃除をした。大人になったので、こういうのはまったく平気だ。

 だが、後で「ブラシくらい置いとけ」と文句を言うことにした。

 

 患者がトイレ掃除をさせられるのは、滅多に無いよな。

 ま、使い方は違うが、今日は「千載一遇」が標語だし、こんなもんだ。

◎酒豪女子

酒豪女子

 看護技師のエリカちゃんが「すごくお酒が好き」と言うので、「どれくらい飲むの?」と訊いてみた。

 すると、答えが「2時間で7杯くらい」とのこと。

 7杯。7杯って、何を7杯なのか。

 それを確かめると、「ビールの大ジョッキ」ということだ。

 2時間で大ジョッキ7杯なら、1杯がざっと15分だよな。

 でも、その後に続きがあった。

 「とりあえず」

 おいおい。普通、最初に言う「じゃあ、とりあえずビールを」ってのが、「大ジョッキ7杯」ということか。

 これでスイッチが入り、若かりし頃の失敗談を話した。

 

 昔、まだ二十代の頃、夜のクラブ活動に精を出していた。

 まだ院生で、昼に研究員のバイトをし、夜には丸暴と麻雀を打っていた頃の話だ。(さすがにここは言わない。)

 モデルみたいなホステスとようやく食事をするようになり、「同伴(出勤)」でなく、休みの日に会ってくれることになった。

 少し高級な和食屋で食事をして、その時も、ビールやら日本酒を飲んだ。その「おねーさん」はかなり飲める方なので、その段階で結構飲んでいる。

 その後、場所を替えることになり、サンシャインのトリアノンに行った。ほれ、かなり上の階にあるバー?だ。

 「好きなものを飲めば?」と言うと、「おねーさん」はカクテルを頼み始めた。

 それもベースがウォッカだったりジンだったりと混ぜこぜだ。

 一応、付き合うから、同じ調子で頼んだが、「おねーさん」は15杯くらいを平気で飲んだ。

 ゲゲ。それじゃあ、酔いますって。

 当方はかなり酔ったが、しかし、「おねーさん」は平気な顔をしていた。

 最初から「飲み潰す」つもりだったのかもしれん。

 

 まだ早い時間だったが(8時か9時頃)、送って行くことになり、タクシーに乗った。

 しかし、当方はすっかり気持ちが悪くなり、高田馬場で一人だけタクシーを降り、練馬まで歩いて帰った。

 体感では15キロはあるような気がしたが、実際には8キロくらいのよう。

 バス停の長椅子を繋ぐように、休みながら帰った。

 

 結局、口説くどころではなく、普通は最後に渡す「車代(という名のお小遣い)」も渡さなかったから、それっきりだ。

 ま、あんなに飲まれたのでは、身が持たない。

 エリカちゃんには大受けだ。

 

 てな話を調子に乗って話をしていると、それを脇で別の看護師のユウコちゃんに聞かれていた。

 ユウコちゃんは、酒も飲めぬし、男性の「夜の生態」のことは知らない。

 「ウチのお父さんもこういうことをしていたのかしら」という感想を言われてしまった。

 そりゃ二十台の頃は誰でもしてる。ただ言わぬだけ。

 

 ちなみに、後で麻雀の知り合いの丸暴に聞いたが、あのモデルみたいな「おねーさん」は、彼氏が丸暴だったらしい。

 そういう「夜」関係の話については、丸暴の耳はもの凄く早い。

 どこの会社にどれくらいの借金があるかなども、すごく知っている。ま、これは金融(金貸し)が生業だからということだ。

 それなら、「おねーさん」にちょっかいを出さずに済ませてよかったということになる。

 

 「いつか必ずネタになる」と踏んで、「夜に暮らす」男女のことを観察していた。社会学畑の研究者だったし、十分に研究の素材になりうる。

 当時も「俺が色んな所に顔を出すのは研究のためだ」と嘯いて、散々遊んでいた。(ここは所謂「論点ずらし」だ。)

 研究論文にはならずとも小説のネタはなると思うが、ジャンル的に送り先が無い。

 物語にするには、リアル過ぎる情報が多くなっている。

◎「浄化」を始める(574)

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令和三年四月八日撮影

◎「浄化」を始める(574)

 最近、治療の方針変更があり、まだそれに慣れていないので治療の後がややキツい。

 通院日には、帰宅してからも家で横になっていることが多い。

 木曜もかなり「よれて」いたので、とりあえず帰宅しようと思っていた。

 エレベーターで階下に降りる際に「四文字熟語」を撮影しようとしたが、この日は花の映像だった。「とりあえず」と撮影すると、たまたま画面が切り替わり、室内映像になった。

 別段異状なし。 

 だがそこで、「やはりすぐに始めよう」と思い立ち、神社に参拝することにした。

 

 参道を歩きながら、「俺に寄り付いても望みは叶わない。俺には助けられないので、皆さんはここで降りて下さい」と告げた。

 「今夜から悪縁断ちを始めるので、予め断っておきます」

 ご神刀で切られると、幽霊であっても痛みのようなものを感じるらしい。正確には「痛み」ではなく、「不快さ」のようだ。

 

 あとは日頃のローテーションどおり。

 自身の状態については既によく分かっているので、画像で身の回りを見る必要は無いが、これもルーティンになっている。

 ま、六月の末か七月くらいまでは、画像にはほとんど異変が残らない。これも例年のことだ。

 痕跡のようなものはあるが、「気のせい」で片づけられそうな水準だ。

 ましてや、この日は急に思い立ったので、改定していたのはコンパクトカメラだ。情報量を幾ら上げても解像度には限界がある。

 「ま、今日は降ろしに来ているんだから、他のは気にするなってこと」

 煙玉は割と出ていると思うが、それも鮮明ではない。この手に見慣れていなければ、識別出来ぬ程度のものだ。

 

 神社で祈願したから、あるいは祈祷で圧力を掛け、遠ざけたからと言って、悪縁があっさり消えてくれるわけではない。

 こちらに関わろうとする意思を捨て、納得して貰わぬ限りは、繰り返し付きまとって来る。

 遠ざけるため、「悪霊退散」と叫び、破魔の真言を唱えることで、逆に近付ける面も生じる。誰でも、いきなり罵られれば腹を立てるものだからだ。

 常に「相手からどう見えるのか」を想定する必要がある。

 

 重ねて病気になったり、不慮の事故・事件が続いたりすると、ひとは「悪縁」の所在に結び付けて考えるようになりがちだ。だが、そういう考え方自体が悪縁を呼び寄せる要因になる。

 「こんなのはどうということもない」「きっと立ち直れる」と見なし、努めて明るく考えるようにすると、悪縁の方が近寄り難くなる。

 

 神社の帰路には、あれほど強かった「怒り」のスイッチに蓋が被さっていた。

 「色々と困難なことが続くが、目の前のことを一つひとつこなして行く外にない」

 この幾日間が嘘のように思えるほど、冷静な心境になっている。

 

 悪縁が「ひとの体調を崩させる」ステップには、「とかくマイナス思考に陥らせる」という要素があるようだ。

 怒りや悲しみ、恨みなどの心情は、体に過剰なストレスを掛ける。

 まだはっきりと因果関係は分からぬが、こういう影響で、自己免疫力が低下するのではないかと思う。

 そういう経過を辿るケースは「ごく少ない」とは思うが、そういう負荷が原因で心身に不調が生まれているなら、負荷を取り去ることで病状を改善出来るということだ。

 「信仰によって病気が治った」という話をよく聞くが、そういうのも十分に「アリ」だと思う。

 もちろん、神や仏が治しているのではない。ここを勘違いすると、本質を見誤る。

 信仰によって「自身の心が安定した状態になる」ことの効果だろう。

 仮に神が存在したとしても、生きている人間に手を出して人事を改変することは無い。

 それをするのは、偽善の方、すなわち悪縁だ。多く、眼に見えぬが、何かを貰うと、必ずそれは「借り」になっている。要するに、生前の内か死後かは分からぬが、何時かは返すことになるということだ。

 私は「生前も死後も、ただのものは無い」とよく書くが、これはそういう理由だ。さらに、「死後に返す」方が利息が高い。

 

 こういうのを避けるのは、それほど難しくない。

 花の咲くのを見て、「美しい」と感動する。

 その花が散るのを見て、「命のはかなさ」に感じ入る。

 「それなら一日一日を大切に暮らそう」と考える。

 このような流れで考えられるようであれば、悪縁は自ずから去って行く。

 悪縁に打ち勝つというのは、「追い払う」ことではなく、「乗り越える」ことだ。

 

 私自身に限って言えば、周囲から悪縁が消えてなくなることは無いと思う。

 先方には灯台のように見えるのだから、寄り付くのは致し方ない。

 灯台でも高波に流されることは滅多に無いから、波を乗り切るように、やり過ごして行けばよい。

 

追記1)◆「小さいひと」について

 たまに背丈が30㌢か40㌢の小さい「人型」が写る。
 一体、これがどういう性質のものなのかがサッパリ分からない。
 仏像みたいだったり、貧乏神みたいだったりする。
 今回は「個人的にコロナ不況の谷底にいるから、きっと貧乏神だ」と納得した(大笑)。

 ま、これは「たまたま」かもしれん(平坦で無味無臭)。

追記2)「黒いひと」

 幾度となく台所で視界の端に「黒いひと」を見ていたが、さきほど、それが急に陰から現れ近寄って来たので、一瞬、ドキッとした。

 だが、家人が「痩せて見せよう」と企み、「全身黒づくめの服を着ていた」だけだった(笑)。

  「黒いひと」を目撃するなどは、普通、一生の内に幾度も起きない出来事だと思うが、いざ見始まってしまうと、頻繁に見るようになる。

 そして、どれもこれもが「黒いひと」に見えてしまうようになる。

◎そろそろ限界に近づく

そろそろ限界に近づく

 怒りを抱えて「通り道」に立ち入ったので、あれこれと悪縁を拾った。

 それ以後、常に「何か」の影が近くに居るようになった。

 台所のカウンターの後ろに立つ「何か」は、これまでは「女」だったが、これが「男」に替わっている。

 

 それから、概ね一週間くらいで異常が発生するようだ。

 ささいなことで怒りを覚え、逆上するが、やはり自分のものではないような気がする。

 夢の内容は妙にリアルだが、とにかく怒る。

 直接的な関係は分からぬが、体のあちこちに病原が出来ていると思う。前回、「その他の疾病」については「異常なし」だったが、今は前立腺や精巣、大腸に痛みがある。

 ついでだが、前立腺は直接その箇所が痛むことは無いが、直腸付近が痛くなる。このため、「大腸が悪いのか」と疑うが、腸ではない。

 心臓病の場合も、背中や大腿が痛くなったりするが、それと同じ。

 

 直接的か間接的かは不明だが、「悪縁(霊)が病気を持って来る」となると、人によっては対処法を身に着けて置く必要がありそうだ。

 逆に言えば、きちんと心魂を整えることで、体の状態が良くなり得る(人もいる)ということになる。

 これは、たぶん、人による。

 

 この他では、電子機器の異常が始まっている。

 電源しか繋がっていない受話器が、時々、「チリ」と何かを受信している。これは前からあるが、今は毎日複数回に増えた。

 PCの設定が書き換えられている。

 ブログやSNSの記事が崩れているが、侵入された形跡はない。

 

 そろそろきれいにする必要がありそう。

 これも「人によっては」だが、私だけではなく、「はっきりとそれと分かる変化が生じる」ではないかと思う。

 ケツに火が点いて来たが、しくじると、「この世とオサラバ」だけでは済まない。

 よって、今日から浄化を始めることにした。

◎言葉の由来 「伊達男」

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大太刀と最後は南部刀

◎言葉の由来 「伊達男」

 冒頭の画像は、いわゆる「大太刀」で、いずれも二㍍超級のものだ。

 サイズを比較するために置いている「大刀」との比較で、長さが違うように見えるのだが、実際には、どれも大きな違いは無い。

 大太刀は概ねこの近辺の長さになっている。

 

 尋常ではない長さだから、「普通の大刀の二倍近くあるから、これを振るのは容易ではない。実際に使用したのか?」などという疑問が起きる。

 ネットのコメントを見ると、「飾り物だろう」みたいなことが書いてある。

 しかし、「飾り物説」など、「おいおい。一体何を言ってるの?」という次元の話だ。 武具に「飾り物」「奉納用」の拵えはなく、いずれも実戦用途になる。

 熱田神宮の大太刀などは、「真柄直隆が姉川の合戦で使った(1570)」という伝承があるし、古式武術では戦後もこの大太刀の稽古をしていたから、それが画像で残っている。

 今のことは調べていないが、たぶん、今も稽古自体は行われていると思う。

 

 さてここからが本題だ。

 江戸幕府が開闢してから、60、70年ほど経過すると、ようやく社会が落ち着いて来る。刀の仕様も様変わりし、鍔が実戦用の大きなものから、やや小型の装飾を施したものに変わって来る。

 そのような世情の中、京の町を「大太刀を背中に背負い、馬で練り歩いた」侍がいた。これが仙台伊達藩の藩士たちで、伊達の侍はとかく派手好みで、目立つことを優先した。その侍が馬に乗った時に「背の刀が地面に届くほどの長さ」だったというから、疑いなく大太刀のことだろう。

 これを見た、京の町民は、「あれが伊達の侍だ」「あれが伊達の男よ」とはやし立てたという。

 これが今でもたまに使われる「伊達男」の起源となる。

 (出典は主に新渡戸仙岳『仙岳随談』による。)

 

 隣同士はとかくあまり仲が良くないものだが、この仙台伊達と盛岡南部はあまり良好な関係とは言えなかった。

 大太刀を担いで市中を練り歩いた伊達藩士と違い、南部藩士は質素なものを好んだ。

 「南部刀」はいずれも持ち主を体現するようなつくりで、簡素で実用的なものとなっている。

 冒頭最後の画像はその「南部刀」の一形態で、小刀とさして変わらぬサイズだが、平時ではこれ一本のみを差して歩いたようだ。懐刀よりは大きく、仕様は大刀(打刀)と同じだ。

 武家屋敷では鴨居が低く作られているが、これは大刀を自由に振り回せぬように設計したものだ。相手を青眼(上段)から切ろうとすれば、鴨居に当たってしまう。

 だが、この南部刀なら、容易に相手を狙える。剣闘を前提としていないので、鍔も不要だ。