◎危うく竈神(カマドガミ)さまを野晒しに
数日前に冷蔵庫やエアコンを買い替えたのだが、家の中に機械を運び入れるために、一旦、中のものを外に出した。
当日、工事の人が帰ると、台風の影響で雨が落ちて来た。
家人が「荷物をどうしようか?」と訊いて来たので、「どうせ大半はゴミだ。濡れてしまえば踏ん切りがついて捨てられるから、ほっとけ」と答えた。
しばらくして、竈神のことを思い出した。
「たぶん、あれも外に出ているのでは」
急いで庭に出ると、やはり真ん中にござっしゃった。
危うく雨に打たれてしまうところだった。
「竈神」は火防の神さまで、厨房の上にこれを飾る風習は、ほぼ全国に広がっているわけだが、殆どが「お札」や「絵札」になっている。これが仙台藩の北部や盛岡藩の範囲では、「お面」を飾る風習に変じている。
竈の程近くにある柱や、竈の上の梁に掲げて、出火から守ってもらうのが目的だ。
この地方では江戸期の半ば以降には、お面の形式をとるようになったと言われるが、詳しいことは分からない。
庶民の家では縦三十センチくらいのサイズだが、豪農になると家格に応じ大きなものを掲げた。豪商の家にあった話を聞いたことが無いので、農家が中心なのではないか。
これは五十㌢を超えているが、庶民宅にはこれを掲げられる大きく太い柱が無い。これくらいになると、町村に一軒か二軒の「旦那さま」の家でしか飾られなかったようだ。
この品自体は、岩手県の北上から江刺の間の旧家が飾っていたもので、家が二棟あったから神さまは二体あった。もう一体も当家のどこかにある。
安政年間に作られた品なので、概ね百七十年前くらいの古民具となる。素朴だが、この形式が作られたのが明治初めくらいまでではないかと思う。(盛岡領の話なので、仙台領では少し違うかもしれん。)
十年くらい前に制作風景をテレビで観たので、今でも作っているところはあると思うが、さすがに数段きれいなつくりになっていた。だが、農夫が鉈や鑿を使って作ったような素朴さや味わいは、昔の品の方が深いようだ。火事を防ぐ手立てが限られているから、「心の底から防火を願った」ということなのだろう。
そんな願いがこの面には込められている。
盛岡領では、二戸までの範囲で時折散見されるようだ。私の郷里は岩手郡だが、朽ちた家のあった跡(今は畑)から、この竈神が発見されている。
古民具とは言え、作られた時代が古く、仮にこれに値段を付ければ、下値で五万円くらいからだと思うが、現実には買い手が無さそうだ。この手のは実際に飾るために入手するわけだが、今ではこのサイズに見合うような家に住む人がほとんどいない。
どこか郷土資料館にでも寄贈しようかと思うが、「ドコソレ町の何という家にあったもの」という情報が欠落したので、資料性が薄い。こういうのは「見れば分かる」ではダメだ。
これを買い出した業者に話を聞いていたが、メモを取っておらず、年数が経過すると忘れてしまった。
ま、古民家を訪れたり、資料館を回っていたりすれば、ひと目型を見ればそれと分かる。
今気付いたが、もう少し当家に居て貰う必要があった。
長患いとコロナの悪影響で、家計はもはや「火の車」だ。
何とかこの竈神さまに鎮火してもらわねばならぬ。