◎古貨幣迷宮事件簿 「公営銭座の金属材」
画像の品は、二十年くらい前、まだネットオークションが始まった頃に、静岡の古道具屋さんが出品していたものだ。その当時は蔵出し直後で、墨書きがはっきりしていた。
断片的にしか分からぬのだが(読めぬ)、「※※御用※※」と記してある。
「こりゃ公営銭座に向けて渡そうとした金属材だ」と見えたので、応札してみたが、割と安価に落札出来た。ただの卑金属の塊なので、興味を持つ人が少なかったと見える。
だが、届いた品を見ると、紛れもなく「ドコソレ銭座用の下げ渡し品」らしい由が記してあった。
と言っても、静岡(三河?)方面は関心の主対象から外れるから、「とりあえず金庫に仕舞っとこう」と中に入れた。
ありがちな話だが、この品の存在をすっかり忘れてしまい、十数年ほど金庫に入れっ放しにしていた。
ある時、ふと思い出して、金庫から取り出して見たのだが、封を開けると同時に、パラパラと細かい紙片が散った。
それを観ると、包みの紙が千切れて落ちたものだった。
中の金属が鉛か錫で(たぶん鉛)、その化学変化の影響で和紙が劣化したのだ。
「イケネ。しくじった」と思っても、もはや後の祭りだった。
公用銭座の金属材なら、資料としては十分すぎるのに、それをあえて腐られてしまった。
X線などで撮影し、墨書きのシルエットを辿ることが出来るかもしれぬが、もはやそこまで探究する気力がない。
ちなみに、空気を遮断したら、その後は紙と材質の劣化が止まった。最初からこうしていればよかったし、せめて撮影しておくべきだった。
これが例えば、「栗林銭座」のものだったら、郷里の品だし、死ぬ気で調べたと思う。
形式が
1)分銅型になっている
2)一個ずつ和紙に包まれている(封印墨書)
となっているものが「正しい扱い」だと分かるだけでも、重要な意味を持っていたのに、九分は私が損ねてしまった。
これは、お金を出して買うコレクターがいないので、景品にしようと思う。
この頃の私は、ネットオークションで品物のやり取りが生じた時には、必ずその相手と情報交換に努めた。知識が増えるし、仲良くなれば、何か出物があった時に、オークションを通さずにやり取りできるようになるからだ。
この品を出品した方は、かなり高齢の方だったが、古道具屋さんらしく「この品はこうで」「あの品はこうで」と様々教えてくれた。
高齢者らしくネットは不得手のようで、画像が粗いことが多かったが、天保銭百枚を出品した時にひらめきがあり、すぐにそれを引き取った。
枚単価が六百円くらいが相場の時に、@八百円だったから、割高に見えるのだが、地金の光り方が本座銭と違う。
着品した品を検めると、百枚のうち本罪銭は三四枚しか無かった。多くが水戸銭だったが、曳尾やら離郭やらまで混じっていた。
当たり前だが、当人にお礼の書状を書き、菓子折を送ったが、その後、一二年くらいはやり取りがあり楽しかった。
損得は別として、きちんと知識を享受してくれるような「先達が絶対に必要だ」と痛感した。
ネットオークションなどで品物をやり取りする人は多いだろうが、品物だけでなく、「人と知り合いになる機会」「知識を得る・教えて貰う機会」でもあるのだから、一歩二歩踏み込んで意見を交換すると役に立つ。
ふっつりと連絡が途絶えたが、たぶん、その頃に亡くなられたのだろうと思う。
あの古道具屋さんの名前も失念してしまったが、確実に学びがあった。
私が先達として尊敬する「数少ない先達」の一人だった。
少し思案しているのは、人間は「ただで貰った品を大切にしない」傾向があることだ。墨書きが分かれば、当該の資料館にでも寄付出来たのだが、いずれにせよ私の死後は宙に浮く。なるべく地元に返したいものだが、さて。