◎病棟日誌 悲喜交々 2/27「コップの水」
火曜は通院日。
前回、左隣の患者が「動脈瘤20ミリ」の右隣の患者と同じ苗字だと気付いていたが、この市内にはよくいる名前なので、別の人だと思っていた。だが、看護師との会話を聞いていると、循環器専門病院を退院し、こっちに戻って来た、とのこと。
右隣のベッドを去って二週間だから、手術はしなかったらしい。していればひと月は入院するし、その手術自体の成功率が高くないから、いずれにせよ二週間で戻っては来られない。
血圧が上がれば、前回のように胸痛が起きるだろうが。「騙し騙し」戦法で行くのだろう。
心臓はベテラン患者なんだな。で、その治療で腎臓を壊した。
薬物は毒物と同じで、影響の強いものがあるが、最後に行き着くところが腎臓なので、最もダメージを受けやすいのがコイツだ。しかも、コイツは我慢強いヤツだから、最後のまで「イタイ」とか「しんどい」とか音を上げぬヤツだ。
異変を感じた時には、既に腎不全の真っただ中にいる。
心臓の薬と糖尿病の薬は、最も腎臓に悪影響がある。
糖尿病の糖吸収抑制剤は、腎臓向けではなく肝臓で吸収するタイプにしないと、数年で壊れ始める。
「生活習慣病」というのは、生活習慣だけでそうなるのではなく、それを抑えようと飲む薬を含めての範囲のことを言う。
よって、状況を改善しようと、きちきち薬を飲む人が先に腎臓を壊す。
「よかったな。戻って来られて」
今回は戻って来られたが、ま、じきに瘤が破裂する時が来る。
それが明日なのか、来月なのかは分らんが、必ず来る。
「コップの水」という例え話があるが、「コップに水が入っている。それをこれくらい足りないと見るか、まだこれくらいあると思うかで、人生観が変わって来る」というあの例えだ。
我々に残っているのは、もはや10㌫しかないのだが、まさに「まだ10㌫もある」だろう。
既に無くなった90㌫のことを考えても何も生まれない。あと10㌫に感謝し、その中でやれることを探す。これがここの患者の生き方になる。
ベテランになると、次第にこの考え方が身に着くから、割と人生が楽しくなる。
雑草の青さを見て、生きることに感動する。
もちろん、悟りを得ることで失うことも多い。
「自分は、もう約束を果たせない」と思ったのは、もう十年以上前だ。仕事の約束、友だちとの約束、いろんなことがあるわけだが、もはや体が言うことを聞いてくれない。
会合に出て、帰路にどうしても動けなくなり、最寄りのビジネスホテルに入り、横になって一晩過ごす。これが頻発したので、「もう約束は止めよう」と覚悟した。
約束してもどうせ果たせぬし、そうなると、自分を責めるようになる。
そこで、「親の葬式以外には一切出ない」と宣言した。
私は自分で決めたことをきっちり守る性格だから、これを厳守した。どう思われようが、こちらの状況など他人は理解できるはずもない。他人に否定的に思われる以上に、自分で自分を責めるようになるのが嫌なので。そうしたまでだ。
たぶん、これが功を奏し、幾度かの危機を乗り越えられて来た。とりわけ、直近の五年くらいは、「特別なケース」を作らなかったから、重大な事態に至らなかったと思う。残念だが、「親の葬式」だけ出る筈が、父の葬式には出られなかった。
ま、私には「危機が迫ると顔を出すお友だち」が沢山いるから、ガラス窓にそれを見付けたら、すぐに生活を見直す癖がついている。
充分に働けぬことが原因で、さらに将来の不安が高まるわけだが、その反面、「我に返ると、自分にはまだ沢山の幸福を抱えている」と感じる。失ったものではなく、手元にあるものを考えれば一目瞭然だ。そもそも明日は来ぬかもしれんのだから、先の不安を感じても意味がない。
てなことを考えさせられた。
で、ここで気付いたが、「さて、元々左隣にいた患者はどこにいったのか」。
元の左隣も「血尿出まくり」の患者だった。他の患者がいる前なので医師は明言しなかったが、たぶん、腎臓癌か膀胱癌を患っていた。さては入院病棟に去ったか。
治療が終わり、食堂に行くと、この日は早くに病棟に入ったので、他の患者がまだ数人いた。いつもは最後の一人くらいだ。
「おお。見たことの無い人ばっかりだ」
七十台以降の患者の顔触れがガラッと替わっていたが、ま、なるようになった、ということだ。
ベッドに居る時に、医師と周囲の患者との会話が聞こえるが、皆が「足が黒くなった」と言っていた。腎臓が悪いと、動脈硬化が普通の人の十倍のスピードで進むから、血行が悪くなり末端の組織から死んで行く。
七十台以降の患者なら、この病棟に来た時点で、余命は数か月だと思った方がよい。
だが、それを自覚すれば、「まだ数か月もある」だと思う。
生活感、人生観が否応なしに一新される。
それが出来ずに、嘆いてばかりいると、その「天から与えられた数か月の時間」を、ただ煩悶するだけで終えてしまう。
心疾患や脳疾患だと、発病してその日のうちに亡くなる人も多い。癌なら半年一年あるが、その時間を「貰いもの」だと見なすと、割合楽しく過ごせる。
私は怠惰な人間なので、もし「明日がある」と思える身なら、たぶん、やるべきことをせず、楽しみ(道楽)にのみ時間を食い潰したと思う。
今はようやく幾らかPCの前に座れるようになったので、取り置いて来た素材を作品に直している。
営業活動がもはや無理で、体力的にもう書籍化は出来ないから、ウェブマガジンなど通じて公開することになるが、やれることはまだ沢山ある。
ちなみに、小鹿野の旅館で「小さい女の子」に会ってから、著しく心身の状況が改善された。「この子に会ってみよう」と思って、あえて小鹿野に行ったのだが、想像した通りそこにいてくれたのは大きい。
たぶん、今は私の隣にいると思う。
いずれガラス窓写真にも出てくれるのではないか。
経済的には瀕死の状況だが、「ベッドから起きられなくて瀕死」の状態よりははるかにましだ。
記述が長くなった。
あの世仲間は、私と巫女さま、トラに新しく「女の子」が加わった。今は「同行四人」だが、次第にメンバーを取り揃え、四五十万はいそうな亡者の群れに立ち向かおうと思う。
あの世仲間は、死んだ後も一緒なので、もの凄く心強い。
これは直感だが、「女の子」は「まや」とか「まこ」みたいな名前だと思う。
追記)「二月の雨」みたいに、「表現は拙いが心を掻き立てる」路線が私の持ち味だと思う。ま、その主対象が「山家の人たち」だから読み手を選ぶ。
だが、今は少し良い話が書けるようになって来た。これは初めての感覚だ。
完成されたものなど何ひとつないが、「なあに俺は、人生の総てが現在進行形なんだよ」ってことで。