◎夢の話 第1143夜 夜の道
五輪を朝方まで観たが、イライラして寝付けなくなった。ようやく五時半頃に数十分眠れたが、その時に観た夢だ。
我に返ると、暗い夜道に独りで立っている。
「この道には覚えがある」
これは奥州道中(街道)で、まだ砂利道だった頃の実家付近だ。道路が舗装されたのが昭和四十年前後の前回東京五輪の時だから、その時代の道に立っている。
「じゃあ、これは夢だ。俺は夢の世界にいるのだ」
そもそもその頃なら、俺はまだごく小さい子どもだわ。
じっとしていても仕方がないので、テキトーな方向に足を踏み出すことにした。
すると、程なく、道の脇から「シャグシャグ」と水の流れる音が聞こえて来た。
「あれは妖怪の小豆洗いが立てる音だから、ここは芦名橋付近だな。やはり郷里の実家の近くだ」
そのまま歩いて行くと、星明り?の下、廃屋が見えて来た。
コンビニのような、あるいは昔の個人商店のような建物だが、中には何もなくがらんとしている。
「こいつは俺が大学の一年生かそこらまで住んでいた家だが」
今も倉庫として使っているから、こんな廃屋ではない。
そもそも似てはいるが、実家と間取りが違う。
ここで気付く。
「こいつは俺の実家に似ているが、実家ではない。俺自身の記憶から再構成されたものだわ」
となると・・・。
これは純然たる「夢の世界」か、あるいは「幽界の入り口」の二つに一つだ。
前のヤツなら問題ないが、後ろのは不味い。
俺は幾度か死に掛けたことがあり、お迎えにも会った。
それ以後は、時々、異世界の中に紛れ込むことがある。
眠っている時だけなら「夢だった」で済むが、目覚めている時に、自宅から三十㍍のところで道に迷うことがある。いつも見ている道なのに、全然覚えがない。
ここで、三つ目の「認知症の者の見る世界」があるということにも気づく。これもアリだ。
もっとも不味いのが二番目で、うっかりすると元の世界に戻れなくなる。「死出の山路」の先にあるのが幽界で、このルートは生きたままあの世に入れる。
幽界は心象と現実の境目のない世界で、各々が各々の世界観の中で暮らしている。同じ空間の中にいるのだが、見聞きするものは、その当事者が思い描いた心象だ。
要は「見たいもの、見ようと思うもの」で外界が構成される。
他の自我(幽霊)も、その者なりの眺め方で外界を見る。
「俺は夢の中にいるが、しかし、ここは幽界に直接繋がっているかもしれん。ひとつ間違うと、出られなくなるかも」
ちなみに、死んで「峠」を越えて入るのが「幽界」で、もし、そこに生きたまま入ってしまうと「異世界」になる。
生きた者は思考が働くので、周囲の状況が余計に理解出来ず、苦しむ。心根が外見に現れる世界なので、殆どの者が醜い姿をしている。理性知性で隠しているが、心根は皆醜く、欲に塗れているからだ。バケモノみたいなヤツが沢山いる。
「異世界に迷い込んだ」体験話の大半は妄想によるものだが、中には実際に現実とはかけ離れた場所に迷い込むケースもあると思う。そこはこの世とあの世が重なる空間で現実に存在しているからだ。時々、画像を公開している「アモン」みたいな魔物もこの世界の住人だ。
「こりゃ、何とか無難に元の世界に戻らないと」
ここで俺は、少し戻り、道別れの中央に立った。
いずれの道も先は真っ暗だ。
道は三つで、現実の分岐路の数と一致している。実際、実家の近くには三叉路がある。
さて、どっちの道に進めば、夢から覚め、元の世界に戻れるのだろう。うーん。
決断を下す前に、ひとつ気が付いた。
「もしここが幽界なら、店の中にお袋がいたかもしれん。お袋に会ってからにしよう」
俺は小走りで店の廃屋の前まで戻った。
ここで覚醒。
この後の選択は「南に進む」だったと思う。で、夢から覚めた。
たぶん、東が本格的な「峠」の向こうで、北はボケ老人。
母親は店の中にはいなかった。
追記)ここで言っとくが、世間ではこの手の体験談はよく聞く話だ。
だが、私はそれを写真に撮影した上で言っているので、念のため。
恐らく「お迎え」に会った以後は、この世とあの世を跨いで暮らしている。
画像を添付し、「アモンはあの世で何か関りがあった気がする」と考えたら、サイド電話が「プリン」と鳴った。いつも記す通り、この受話器は回線と繋がっていない。