◎夢の話 第1148夜 治験
十月二十日の午後11時に観た短い夢です。
夢の中の「俺」は四十台の後半くらい。彼女はいるが独身だ。
何かの病気でひと月ほど入院したが、今は自宅に戻って療養生活を送っている。
毎日、寝たり起きたりしつつ、ネットで映画を鑑賞するのが日課だ。
そんな俺のところに友だちのコージから連絡が来た。
「いいバイトがあるぞ。一緒に行かねえか?」
「どんなバイトだよ。俺は病み上がりだから大したことは出来ねえよ。それにそれがもし闇バイトってやつならお断りだ。他人の代わりに強盗して捕まれば、やっぱり本業と同じ懲役15年だもの」
「持病有りのヤツに一番向いたバイトだわ。薬を飲んで寝ているだけ。一日20万だから三日間で60万になる」
「治験のバイトってことだな。それって、かなりヤバイ薬だってことだよね」
「ま、新薬ってことは確かだわ。でも、どうせお互いに身寄りもないことだし」
言われてみれば、俺は保険に入っていなかった。
ひと月入院し、さらに暫くの間、仕事を休まねばならない。個人事業主だけに、仕事を休めばすぐに金が詰まる。
結局、俺はコージと一緒に治験のバイトに行くことにした。
治験会場は郊外にあった。広大な敷地の中にポツンと刑務所のような建物が立っていた。
ここなら、治験者も情報も漏れにくい。
最初に会議室のような部屋に通されたが、俺たちと同じようなバイトが30人近く来ていた。
白衣を着た女が説明を始める。
「今回開発されたのはクロコドキシンという薬です。と言っても合成薬ではなく、生物から抽出された物質を複製したものですから安全です」
この薬は、細胞分裂の際に生じる遺伝子の書き換えエラーを防止し、正確なコピーを保つ性質のものらしい。
コピー機に例えると分かりよいが、毎日コピー機で何千枚と複写を続けていると、時々エラーが起きる。エラーの交じる出力を再度原稿にし、繰返し複写していると、どんどんエラーが増えて行く。これが老化だ。
「この薬はそういう出力エラーを排除し、正常なコピーを保つものです。内臓に働きかけるものではないので副作用はありません」
女性の研究者(たぶん女医)は長々と説明していたが、俺たちはそんな説明など聞いていなかった。
この女はたぶん三十二三歳だが、かなりの美人で、かつナイスバディだったから、俺たち二人はその女の容姿ばかり見ていたのだ。白板に向いた時の尻のセクシーな形と来たら大したもんだ。
コージが「おい。あの姉ちゃんはかなりイケてるな。是非とも食ってみたいもんだ」と囁く。
「何か症状が出ても告訴しない」という誓約書にサインすると、治験者は各々の部屋に案内された。いずれも個室で、テレビはあるし、雑誌の類も備え付けられていた。
各部屋には監視カメラが備えつけられており、四六時中見張られている。これは安全のためだろう。
退屈するかと思ったが、三日間は割とすぐに過ぎた。
施設の周囲を散歩するのは自由だったし、食事なんかも割と良かったのだ。
一日に二度、朝と夕方に、あの女医が問診に来た。
間近に見ると、やっぱりセクシーで、胸元から覗く肌が真っ白だった。
この女医を見る度に、俺の頭の中で「食いたい」というコージの:声が響いた。
四日目は、午前中二簡単な診察を受け、そこで解散になる。
朝目覚めた後、俺は洗面所の鏡を見て、あることに気が付いた。
顔の一部が少し硬化していたのだ。
耳の傍だから気付き難いとはいえ、触ってみるとカチカチだった。そこだけが少し緑色に変化している。
「おいおい。コイツは薬の副作用じゃあるまいか」
念の為、体を探ってみると、腰裏や太腿の後ろにも、同じように硬化した箇所があった。
もしこれが薬によるものなら、他のヤツにも同じものが出ている筈だ。
俺はそう思い、小走りでコージの部屋に向かった。
ノックをして、コージの返答を待たず扉を開ける。
コージはまだ寝ていたが、俺の気配を感じたのか、ベッドから体を起こした。
そのコージの顔を見て、俺は驚いた。
コージの顔は口が顎の近くまで裂けていた。
「コージ。お前は口裂け女みたいな顔になっているぞ」
想像の域を超えたものを見た時には、ひとは突拍子の無い考えを抱くものだが、この時の俺も例外ではない。
俺は頭の中で「コイツはオヤジだから、『口裂け女』ではなく『口裂けオヤジ』だわ」みたいなことを考えた。
だが、すぐ後に総てのことに気が付いた。
「なるほど。この薬はワニから抽出した成分が元になっている。ワニは老化しない唯一の生き物だからな」
たぶん、その薬の効果がすぐに出て、治験者は老化しない体に変化した。
「そう言やあ、クロコドキシンってのは、そのまんま正直にクロコダイルから取った言葉だわ」
「老化しない」ということは、死なない体になるということだが、その一方で俺たちはワニの外見に近くなっているのだった。
コージが慌てて呼び出しボタンを押す。
すると、ほんの一二分であの女医がやって来た。
女医が俺の顔をじっと見るので、俺は自分の頬に手を当てて見た。すると、この時には、もう俺の口が顎まで裂けていた。
俺はもはやワニになり掛けていたのだ。
ここで俺は『蠅男の恐怖』という昔の映画を思い出した。
空間転送装置を作り出した科学者が、自分で実験してみるのだが、装置の内部に入った時に蠅が一匹潜り込んでいた。
自分自身を転送し、再合成した時には、科学者と蠅が一体化し、蠅男になった。そんな映画だ。
ここで、俺はコージと顔を見合わせた。
「この女はなかなかイケてるよな。ここはお前と二人で、この女を食っちまおうか」
もちろん、三日前とは「食う」意味が違う。
俺たちは身も心もクロコダイルに変化しつつあるのだった。
ここで覚醒。