日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第996夜 悪魔来る (その1)

◎夢の話 第996夜 悪魔来る (その1)

 最近は居間に布団を敷いて、そこで寝起きしている。

 心臓の調子が悪く、二階への階段の上り下りがキツいためだ。

 十三日にも午前二時に居間で横になったのだが、その時に観た夢だ

 

 我に返ると、俺は自分の家の居間にいた。

 気が付いたら中央に立っていたのだ。

 視線を前に向けると、テレビの前に布団が敷いてあり、そこに男が寝ていた。

 どこぞのオヤジが俺の布団で眠っている。

 「何だ、コイツ。他人(ひと)ん家で」

 だが、男の顔に見覚えがある。

 「ありゃりゃ。コイツはもしかして・・・」

 この時、俺の後ろの食卓で物音がした。

 すぐに振り返る。

 そこに座っていたのは、黒い外套を着た妖怪顔だった。

 「お前はアモンじゃないか。何でここにいる」

 アモンは口の端を歪めてニヤリと微笑んだ。あの世の者は笑うと一層気色が悪い。

 

 「そろそろ準備が出来たかと思ってさ」

 そのひと言で、俺はコイツの訪問の意図を悟った。

 「俺を迎えに来たのか。お袋が来てくれればいいと思っていたのに、想像していた通りお前が来たか」

 アモンは顎で俺を促し、テーブルに誘った。

 「半分は当たっているが、半分は違う」

 「何だよ。その半分って」

 「生き死には関係ない。お前は俺たちの仲間になることを決心したようだから、迎えてやるために俺はここに来たのだ」

 「じゃあ、ここで寝ているのは」

 「もちろん、お前だ。生きているお前はオヤジだが、魂の方はほれ、自分を見てみろ」

 アモンが指で示したのは、ガラス窓だった。

 そこに写っていた俺は、どう見ても三十歳くらいの姿をしている。

 「なるほど。夢の中の俺はいつもこれくらいの年恰好だ。すなわち、俺の魂がこの姿だということなのだな」

 「その通り。お前の魂は、自分が望む姿を取るのだ」

 俺は目の前にいるアモンと同じように、全身黒づくめの服装だった。

 

 「じゃあ、アモン。今、俺は死ぬわけではないのか」

 「何を言って居る。お前を立たせて置くために、俺がどれほど手を尽くして来たか、お前だって分かっているだろ」

 これには思い当たるふしがある。

 俺はもはや全身が機能不全に陥っている。時々、体のどこかに腫瘍が出来る。

 その痛みたるや、鎮痛剤を幾ら飲んでも効かぬほどだ。

 このため、検査を受けるのだが、ひと月もすると自然に消えている。

 先週、今週と俺は二か所でフルコースの検査を受けたが、何も見つからなかった。

 検査の直前に痛みも消えた。ま、心臓だけはうまく動かない。

 「あれはお前が」

 アモンが頷く。

 「そうだよ。病を治すのは神ではなく俺たちの方だからな。お前の寿命はもう終わっているから、そいつを立たせておくのはひと苦労だ」

 「どうせなら心臓と腎臓も治してくれればいいのに」

 「それは治せんぞと、ミルファスが伝えた筈だ」

 「ミルファスって誰?」

 「ほれ。あの観音さまで会っただろ」

 はあ。御堂観音で会ったあの女か。確かに「心臓と腎臓は宿命のひとつだから治せない」と言った。

 他の腫瘍はあっという間に治った。胆嚢も脾臓も、そして大腸も腫瘍が消失したのだった。

 俺を調べた医師が首を捻っていたが、それは今週も同じ。

 酷い腹痛や大腿痛が、例によって数日で消えたのだが、体の重さは変わらないし足が動かない。

 

 「そんなのは死ねば治る」

 「体が無くなりゃ、そりゃ痛みも消える理屈だが、そいつは微妙だな」

 「ま、いいさ。でも腹を括ったのなら、勉強を始めて貰わぬとね」

 「勉強?」

 「修練と言う方が正確かな」

 「何をするんだよ」

 「この世に正義と秩序をもたらすために、穴を開けることだ」

 「穴」

 ここでピンと来た。

 俺は一度死んだことがあるから、生死の境目を幾らか跨ぐことが出来る。

 生きている者が本来見えぬものが見えるし、死者の心が読める。そして、その逆も。

  

 「この世とあの世は障子を隔てた関係にある。互いに相手が見えぬのだが、相手の気配は双方が感じる。俺は半運は死人だから、障子のどの位置が薄くて、穴が開きやすいかが分かる。だから、そこに穴を開けて、お前たちが通れるようにしろというわけだ。要するに穴とは通り道のことだ」

 この「穴」は時々、色んな所に出来る。

 数年前には、宿谷の滝の手前に出来ていたし、その前には赤城山だ。もちろん、御堂観音にもあった。

 数か月ごとに出来ては消える。

 

 「穴は不規則に出来るから、俺たちにもどこに出来るのかを予測できない。そこでお前がその穴を見付け、俺たちをそこに導け」

 「今、お前は俺の前にいるじゃないか。何故そんなものが必要なのだ」

 「今は障子の向こう側から話している。生きた人間が俺たちを検知出来ぬように、俺たちは人間の頃に働き掛けることは出来ても、なかなか手を出せぬのだ」

 「ひとが死ぬまで待っては居られぬということ?」

 「そう。魂は肉体という外殻に守られているから、その肉体が滅ぶまで、魂という種には届かない。栗や胡桃の実と同じだ。だが、穴があれば殻の中に入れる」

 

 (所用があるので、追ってその2に続く。)

◎平常心が大切(606)

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令和三年十月十一日撮影

◎平常心が大切(606)

 当たり前のことだが、お寺二か所を回った後は、神社に参拝した。

 これで二日連続の参拝だ。

 ま、それでも、一日経つと、もはや昨日の検証は出来なくなる。同じ行動を再現できないためだ。少しでも紛れがあれば、解釈が変わってしまう。

 

 ご供養を重ねたことだし、異変らしい異変が起きなければ、少し救われる。

 いつもいつもバタバタと何かが起きてばかりでは、神経がピリピリして来る。

 若干、「あれ?」と思うところはあるが、はっきりと肩を掴まれるよりはまし。

 

 大人であれば、ひとつ二つの変事が起きたくらいでは動じない。

 それが二つ重なっても、「変なことが起きるなあ」くらいだ。

 だが、三つ重なると、途端に不安になって来るものだ。

 後はとかく考えすぎる心境に陥る。

 健全な思考を保つためには、マイナスの負荷が掛かる要因を取り除く努力が必要だと思う。何でも無い人は、そもそも何でもないわけだが、人によっては、あれこれが寄り付きやすい者もいる。

 いつも今日くらいなら、少しは人事に集中できる。

 

 追記)その後、居間でビデオを観たが、午前三時頃になり、ごとごとと二階の廊下を歩く音が聞こえた。

 つい先ほど、家人に「夜中に足音がしていた」と話すと、家人がこう答えた。

 「本当だね。音が煩くて、よく眠れなかった」

 でも、ダンナと息子は一階にいた。私や家人が聞いた足音は、一体誰のものだったのか。小雨模様で、窓は閉め切っていたから、近所の家の音ではない。そもそも家の廊下に響く音だ。

 だが、こういうのは両方とも慣れている。 「それじゃあ、きっと幽霊だね。ははは」と笑った。

 昔、次女が小さい頃、「家の中で男の子を見た」と言っていた。あの足音は子どもではなく、大人の音だ。たぶん、体重が五十キロ前後の女だと思う。

◎そして観音寺へ(前記事の続き)

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令和三年十月十一日撮影。

◎そして観音寺へ(前記事の続き)

 「今日やろうと思ったことはなるべく今日のうちに」とよく言うが、普通の者にとって「出来やしないこと」の代表事例だ。

 病気を抱える前までは、私もそう。試験対策などぎりぎりまでやらない。

 だがさすがに今は違う。

 明日はたぶん生きているだろうし、明後日もまあ生きている。だがひと月後は分からない。急に具合が悪くなり、「もはやここまで」と思うことがあるためだ。

 「今日の内」はともかく、「やろう」と思ったら、数日に終えねば出来なくなってしまう。

 そこで、昨日、宿題に残した「観音寺の六地蔵の前でお焼香をすること」を実行することにした。

 平日なら条件が違い、きっと駐車場にも入れる。

 

 先に能仁寺にお参りをし、そこから観音寺に向かった。

 さすがに疲れたので、詳細は書かぬが、首尾よく六地蔵の前でお焼香が出来た。

 六地蔵は、通常、お墓の前に安置されているが、墓地の中は静寂でよい。

 「ここにベッドを置いて寝たら、きっとゆっくり眠れる」と思う。

 きちんとご供養をしている墓地では、何も異変が起きぬから、私などはゆっくり休める。

 

 死者が進むべき道は六つで、これが六道だ。

 その六つの道に入れぬ者が所謂「六道無し(ろくでなし)」なのだが、ろくでなしの最たる者が幽霊だ。

 幽霊は死してもなお、生者と死者の中間の世界である「幽界」に留まり、自我を存続させようと足掻いている。「自我を存続させる」とは、要するに現状のまま生き残ろうとすることだ。

 そして、生き残ることに執着し、悪縁(霊)化してしまう。

 ひとつ間違うと、私も悪縁の仲間入りだろうから、せめて六道の端っこに入れて欲しいものだ。

◎飯能 能仁寺にて

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令和三年十月十一日撮影

◎飯能 能仁寺にて

 昨日、観音寺に行けなかったことを記したが、文中で観音寺のことと、すぐ近くにある能仁寺のことを混ぜこぜにして書いていた。

 横に物産店があるのは能仁寺の方。能仁寺と観音寺は三百㍍くらいしか離れていない。

 でも誤りは誤りなので、そのお詫びも兼ねて、能仁寺と観音寺の両方にお参りすることにした。この日は月曜だから、道路で詰まる箇所も無いし、最初から裏道を行く。

 

 能仁寺前の公共駐車場はやはり空いていた。これは物産店が休みだったこともあると思う。

 買い物が目的でない者には助かる。

 

 この寺は広くて、かつ掃除が行き届いている。

 「善き寺」の条件はこれだ。

 お勤めの行き届いた寺社・神社には、生死を問わず良き者が集まる。

 「持病有り」の者にとっては、歩く距離が長いのはしんどいのだが、急な階段が数百段あるよりははるかに助かる。

 本堂の前には焼香場があったので、ゆっくりと母のご供養をした。

 (今日はちょっと疲れたので、あまり記述できない。)

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能仁寺のお不動さま

 

◎夢の話 第995夜 五箇門山の鬼

◎夢の話 第995夜 五箇門山の鬼

 二日前に観た夢です。

 恐らく「盗賊の赤虎」のストーリーを思い描いていたと思う。

 登場人物に名前が無かったので、赤虎のそれを当て嵌めた。

 

 囲炉裏に腰掛け、炭火を眺めている。

 俺は赤黒いその光と炭が焦げる匂いが好きだ。

 子どもの頃を思い出す。

 

 そこに手下の一人が駆け込んで来た。

 「お頭。お蓮さまが攫われました」

 「何だと」

 蓮は俺の妹だ。二年前に道で俺の前に立ちはだかり、「飢えた妹のために己を売る」と叫んだ。俺はその十歳の娘のことを気に入り、以後は「妹」として育てていた。

 蓮の妹の方はまだ小さいから、俺が懇意にする寺に預けている。

 

 「町に出掛けた折に、どうやら後を尾けられていたと見え、町外れで攫われたとのことです」

 「護衛はどうしたのだ」

 「三人とも散々に殴られたようです。仔細を見ていた供の女子が直ちに駆け戻って来ました」

 「如何様な相手だ」

 「それが・・・。どうやら侍たちのようです」

 「こちらの一行が盗賊の仲間だと知っていたなら、手下どもを捕縛する。人攫いなら、盗賊のことは襲わぬ。なら、蓮が俺の義妹で、俺が大切にしていることを知る者だ。そいつらは俺に用事があるのだ。して、どっちに向かったのだ?」

 「三本松城にござります」

 その城の主は、一年前に城と領地を手に入れた者だ。元の主の家臣だったが、その主を追い出し、自らが情趣の座に座ったのだ。名を山喜高安という。元の主の方は三本松左膳という名だ。

 

 俺はここで思案した。

 「そのご領主殿がこの俺に何の用だ」

 盗人の頭領に侍が用事とは。

 俺はここで腰を上げた。

 「ま、行けば分かる。さて、皆を集めろ」

 「しかし、相手は侍です。その城に乗り込んだら」

 戦闘になる。こいつはそう言いたいわけだ。

「俺に用事があるから蓮を浚ったのだ。捕縛したり危害を加えたりすることが狙いなら、手下どもをそうして居る。まあ、何もせず、俺を迎え入れるだろう」

 

 今、俺の根城の近くにいた手下は五十人だった。

 俺は手下どもを率い、三本松城に向かった。

 三本松城は山城で、高い山の頂にある。参道を上って行けば、上から狙われやすいのだが、委細構わず前に進む。

 やはり、侍共は攻撃して来なかった。

 大手門に着くと、役人の一人が門裏の櫓の上から声を掛けて来た。

 「もおし。きさまは赤虎か」

 「見ての通りだ。これが侍に見えるのか」

 「では、赤虎。お前だけ中に入れ」

 すると、横から俺の腹心の惣右衛門が声を発した。

 「なりませぬぞ。これは罠かもしれません」

 俺は笑って、爺を制止した。

 「大丈夫だ。何事も起こらぬ。お前らはこの門で待って居るがよい」

 そして俺はすぐさま侍に返答した。

 「よおし。分かった。俺一人で入ろう。だが、この門は開けたままにして貰うぞ。もし何か魂胆があるなら、俺の手下がこの城を焼き払うからな」

 「勿論だ。我が方はぬしに危害を加える積りはない。入れ」

 

 俺は手下を大手門に残し、城の中に入った。

 侍は俺を山水の間に案内し、「そこで待て」と言い残した。

 山水の間は接見用の部屋で、およそ三間四方の広さだ。

 程なくその部屋に男が入って来た。

 疑いなく山喜高安だろう。

 高安が口を開く前に、俺の方からこの件を問い質す。

 「これは何のつもりだ」

 高安は「うむ」と言い、少しく間を置いた。

 「実はぬしに頼みたいことがあるのだ」

 「ものを頼むやり口がこれなのか」

 「侍が頼んだとて、ぬしは引き受けんだろう。そうだな」

 それもそうだ。日頃は敵として対峙しているのに、「頼む」と言われたところで応じる訳がない。

 「もしぬしがこの件をやり終えたら、わしはぬしに銀二十枚と銭を十貫文やろう。破格の扱いだぞ」

 「だが、この件を引き受けなかったり、頼みごとを達成できなかったら、蓮を殺す。そういうことだな」

 「そうだ。しくじりは許されぬ」

 

 まずは状況を確かめねば始まらない。俺はとりあえず話を聞くことにした。

 「どんな用件だ」

 高安は俺の眼を見ながら依頼の内容を離し始めた。

 「ここから五十里先に五箇門山がある。これは承知しておるな」

 「ああ。曰くつきの山だ」

 その山には頂に上る途中に五つの門がある。各々の門には鬼が棲んでおり、けして上に上れぬようになっている。山頂の神殿を守るためだ。

 神殿には、門外不出の文書が仕舞ってある。天地の神を動かすための起請文だ。

 「その五つの門を破り、人が通れるようにして欲しいのだ」

 

 「おいおい。相手は鬼だということになるぞ。それを俺たちが倒すのか」

 「いや。山頂に上るのは数人だけだ。道が細いから縦にしか並べぬ。大勢が従えば、敵が気付き、上から岩を落とす。ぎりぎりまで一人二人で進むしかないのだ。それに」

 「何だ」

 「門番は鬼ではなく人だ。鬼が守っているのではのう、武芸者が守って居るのだ。これで少しは楽になっただろう」

 この高安は明らかに隠し事をしている。だが、俺は応じることにした。

 「ああ。分かった。相手が人なら、どんな奴でも構わぬ。五人を倒せばよいのだな」

 あっさりと俺が応じるので、高安は少し意外そうな表情をした。

 「受けてくれるのか」

 「ああ。支度を揃えて貰えば。すぐにでも行こう」

 「では一刻のうちに取り揃えさせる」

 

 そこで俺は控えの間に移され、そこで待機することになった。

 もちろん、俺には山喜高安に従う気など毛頭ない。話を早く終わらせたいだけだ。

 そして、その話の終わらせ方とは、「山喜高安を殺して、蓮を救い出す」ことだ。

 侍の依頼など知ったことか。

 そこで、俺はすぐさま部屋を抜け出し、高安の寝所に向かった。

 幸い、家来どもは、大手門の俺の手下の方に気が向いている。城の中は警備の者が手薄だった。

 寝所に近づき、様子を窺う。板戸が一尺ほど開いたままだったから、それを静かに押し開き、中に侵入した。

灯りは三間先の燭台にひとつだけで中がよく見えぬが、五六人の男女がいるようだ。

この中に高安がいる筈だから、そいつを捻って、蓮の居場所を確かめ、首を折ってやるだけだ。 

 だが、俺はそこで意外なものに直面した。

 部屋の者たちがいずれも「おいおい」と声を上げて泣き叫んでいたのだ。

 「なんだこれは。一体どうなっているのだ」

 

 この時、俺の背後から声を掛けて来る者がいた。

 「山喜高安殿は、赤虎殿とまったく同じ境遇なのだ」

 すぐに俺はその場から跳び、そこで身構えた。

 「誰だ。お前は」

 すると、男がゆっくりと姿を現わした。

 前の方では、物音に気付いたのか、山喜高安が灯りを持って歩み寄っていた。

 その灯りに、男の顔が照らし出される。

 

 「それがしは天魔源左衛門と申す。高安殿の奥方さまは、わが主、七戸彦九郎さまの妹御なのだ」

 天魔と言えば、奥州に名高い乱破の一族だった。

 ここに山喜高安が近寄った。

 「赤虎。隠し事をして済まなかった。実は五歳になるわしの娘が三本松左膳に攫われてな。五箇門山の神殿に匿い、わしに来いと申して来たのだ。わしが参れば、わしも娘も殺される。もし侍の姿を見れば、娘が殺される。左膳の狙いは、わしへの復讐と、この地を取り戻すことだからな」

 と、ここで覚醒。

 覚醒したが、この先のイメ-ジもきちんと残っている。

 

 すぐに「これって、『死亡遊戯』だな」と思う。

 あるいは、西部劇の攻めパターンだ。

西部劇の定番には『アラモ』やその系列の『要塞警察(アサルト13)』みたいな「守りパターン」もあれば、堅固な砦を如何に攻めるか、といった「攻めパターン」もある。

 アクション映画などは、いずれも系統的に二つに分類出来る。

 

 五つの門にいる武芸者はいずれも個性が強いのだが(『死亡遊戯』に同じ)、中には本物の女鬼が混じっている。

 盗賊の赤虎は天魔源左衛門の補助を得ながら、一人ずつ倒して行く。 

 やはり考えていて、最も楽しいのは、侍の話ではなく「盗賊の赤虎」の話だ。

 自分自身がアウトサイダーだからだと思う。

 

 書き殴りで、推敲や校正をしていません。

 いずれ物語にするかもしれないし、あるいは寝かせておくかも。

◎少しウンザリな日(605)

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令和三年十月十日撮影

◎少しウンザリな日(605

 先日、六地蔵の前でお焼香をしたら、少し気分が良くなった。

 そこで、母のご供養のために、別の六地蔵に行こうと思い、日曜の朝から支度をした。

 家を出る時に、家人が「どこに行くの?」と訊くので、「墓参り」と答えた。

 本物の墓ではないが、意味は同じだ。

 

 「埼玉西部」「六地蔵」で検索して、パッと出た電話番号でカーナビを設定し、すぐさま出発。

 行先は飯能だったが、途中はもの凄く渋滞した。

 飯能は山ひとつ向こうが青梅だから、さして混雑しないだろうと思っていたのに。

 ま、「ムーミン谷」が出来てからは、日祭日はやたら混む。コロナで少し人出が少なかったが、もう営業を再開したのだろうか。(よく知らぬので念のため。)

 飯能駅の方向に進むので、ここで気付く。「もしや観音寺では?」。

 観音寺は大きな寺で、最近、敷地の一部を発酵食品の物産センターみたいな施設に貸した。

 このため、週末や休日は、すごく混む。

 前に着くと、やはりその通りで、駐車場の前の道路に車が長く並んでいる。

 ここで「六地蔵」を諦め、山門前をスルーして、秩父方面に向かってみた。

 ところがこっちもかなりの人出だ。

 緊急事態宣言が明けて、皆が大喜びで外出したわけだ。このところは感染者が少ないから、そういう気持ちも分かる。

 ここで、秩父の札所も諦め、すごすごと帰ることにした。

 

 戻る途中で、いつもの神社の近くを通ったので、急遽、参拝することにした。

 この日はまったく予定にない行動だ。

 予定外の行動だから、気持ちに準備が無く、ただぼーっとして神殿に向かった。

 普段は、事後に検証が可能になるように、周囲の景色を数十枚撮るのだが、神殿の前だけにした。

 無難に拝んで、「この日は何かしらをした」という気分になれれば、それでよい。

 

 だが、ファインダの画像をチェックすると、何やら気配がある。

 「しまった。十月だから何時出てもおかしくないのに」

 気に関わる箇所が幾つかある。

 だが、検証出来ない素材では、確たることは言えない。

 印象を語っても仕方が無く、この日の参拝は、「想像や妄想」「気のせい」の範囲に留まる。

 追検証が出来ないのに、「私はこう感じる」を言い合っても実りは殆どない。

 それでも、次の回に気を付けるべき要素は分かったので、頭に入れて置くことにした。

 

 この数年では、今年の私自身の気配が最も悪い。

 近い将来、突然、この世を去るかもしれんが、それは「連れて行かれた」ということだ。

 そして、まだ心も魂も整っていないので、今度はコテコテの悪霊としてこの世に戻る。

 何せ、ちょっと外に出たくらいで、亡者たちが後をついて来る。

 

追記)時々記すように、「もし見間違いや錯覚であれば、何も不都合なことは生じない」が「幽霊に寄られているのに、これを否定し何も無いと見なす」ことで、共感・同化が進んでしまうかもしれぬ。寄り付かれているケースを念頭に置き、いつでも対処できるようにして置けば、悪影響を早期に取り除くことが出来る。

 こういうの(寄り付き)は特別な人に起きる時別な状態ではなく、誰の身にも時々起きている。

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◎前記事「敵を知らば」の追記

◎「敵を知らば」の追記

 「お迎え」二人が「片方はジャケット、もう片方はジャンパーを着ていた」という話をすると、師長は「意外だ」という反応をした。白い着物を着ているイメージがあったらしい。

 (どうやら「死神」のイメージのようだ。)

 だが、あの二人はごく普通の格好で、生きている人との違いは「周囲の景色(光)が歪んでいる」という点だ。

 上代中古の説話文学の中にも、「冥土から来た者」の描写があったりするが、例えようもなく「凄まじい」。外見は普通のオヤジたちなのだが、瞬時に「この世の者ではない」と知らされる。

 私は「来るな」「コノヤロー」と叫んだが、周囲の患者は無反応だった。

 たぶん、患者たちは私が寝ぼけていると見なしたのだろうが、まだ午後七時前で夕食の直後だった。私はベッドの上で半身を起こして居り、もちろん、この出来事の最初から最後まで覚醒していた。

 果たして、他の患者にあれが見えていたかどうか。

 

 とにかく早く見つけ、傍に来る前に『俺はお前のことを見ているぞ』と牽制する必要があるから、小さい変異も疑って掛かるきらいがある。

 縁の無い者なら、どうということもない出来事にも「これはアレが来る兆しではないか」という疑念が先に立つ。

 アレに比べると、怪談やホラー映画など、童話レベルだと思う。

 

 でもま、いずれ半分くらいの人は、アレに会う。

 (もう半分の人は、アレに向き合う前にこの世を去る。)

 仮にアレに会ったとして、その場合の対処法は、たぶん、金太郎さんの振る舞い方が参考になるのではないか。

 この世の者ならぬ存在に接すると、とてつもない恐怖を感じる。その恐怖で、体が強張るのだが、それで、相手に絡め捕られてしまう。

 恐怖心はあの世の者を利する感情だ。

 (時々、「怖がってはいけない」と書くのは、この一面があるためだ。)

 怖がらず、冷静に対峙する必要がある。

 

 となると、日頃から「あの世」を観察し、「起こり得ること」「現実には起こらぬこと」をきちんと見極めて置く心構えが必要だ。

 

 画像は既に幾度も公開したものだ。

 当初は驚いたのだが、その後も別段、何も起きない。

 他の人にもこういうことがあるので、現実には「誰の身にも日常的に起きている事態」ではないかと思う。幽霊は、自身に近しい者、自身が共感する者に寄り付き、感情を共有し増幅するのではないか。時に意図を持たぬ場合が多いようで、要は「自我を存続させようと思っている」、「生き延びようと思っている」がために、誰彼なく寄り付くのではないかと思う。

 一時の感情に左右されず、「本当の自分の心は何か」を省察する姿勢があれば、悪影響は生じず、幽霊も自ら去って行く。

 

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幽霊が人に寄り付いた状態。誰の身にも時々起きている。