日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎例大祭は十九日だった(609)

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令和三年十月十七日撮影。

例大祭は十九日だった(609)

 昼過ぎになり、この日が十七日だったことを思い出した。

 「もしかしていつもの神社の例大祭だったかもしれん」

 すぐに出掛けることにした。

 

 神社に着いたが、幟が立っていない。

 調べてみると、祭りは十九日で明後日火曜だった。

 火曜なら通院日だから、参拝は遅い時間になるが、それはそれで構わない。

 

 この神社に参拝するようになったのも、猫のトラが導いてくれたおかげだ。

 ある時は友だちのように、ある時は彼女のように接したから、思い出が各所に沢山ある。

 トラは先立ったが、いずれまた会えるかもしれん。

 

 神殿の前で地震を撮影したが、まったく問題なし。

 私に関わろうとするような影が見当たらない。

 「これもお不動さまや地蔵さまでご供養したからか」

 バーサンのもたらす「悲痛」や、アモンが与える「怒り」がどこかに消え、前向きな気持ちに替わっている。

 「ま、今自分がやれるだけの手を尽くすだけだ」

 

 不動明王は「衆生救済」の意思を表すものだ。

 普段は「己を救う者は己のみ」を身上としているわけだが、自身が這い上がる道筋が見えた時には、幾らか他の者も引っ張り上げようと思う。

 

 気持ちが落ち着くので、今後は「お不動さま」と「六地蔵」を定期的にお参りすることにした。

 とりあえず、照明が勝手に点いたり消えたりしないでくれると人事に専念できる。

 ちなみに、「心持ち」については、ある一瞬からガラッと変わる。

 今回、その「一瞬」は「不動明王の前に立った時」だと思う。そこでは、いつも過ごして貰っていることのお礼を述べた。

 

 今日の真言はこれ。

 「今が苦しくて堪らないと思いなせば、この夜を越すことさえ辛いと思う。だが、これは誰の身にも起きるごく普通のことだと見なせば、案外、ひとは困難を乗り越えられる」

 これくらいの問題など、俺さまには別にどうと言うこともないざんす。 

◎今日の笑えるニュース 「駐米韓国大使が米国政府のスポークスマンに就任」

◎今日の笑えるニュース 「駐米韓国大使が米国政府のスポークスマンに就任」

 「李大使は13日にワシントンの在米大使館で開かれた国会外交統一委員会の国政監査で、与党「共に民主党」の金映豪(キム・ヨンホ)議員の関連質疑に「米国は韓米日三角同盟の重要性をとても強調している」としてこのように言及した。

 彼は5月に文在寅ムン・ジェイン)大統領の訪米を推進し米側核心高官と15回にわたり主に大使官邸で対面協議をしたとし、「このうち7~8回は韓米日関係に対する関心だった。その結果、米国が韓国の立場を本当によく理解することになった」と話した。

 その上で「(韓日関係が)難しいということの原因が韓国にあるとみる認識は断言するがない。(米国は)日本が韓日関係改善において立場がとても強硬だとの立場を持っている。米国は完璧に理解している」と話した。」

 引用ここまで中央日報十月十四日配信)

 

◆素朴な疑問と感想

 「一体何時から、駐米韓国大使が米国政府のスポークスマンになったのか」

 恐らくは自分がそれに近いことを一方的に話して、コメントが無かった(=無視された)。それで、「俺の言う通りのことが受け入れられた」と見なす「いつもの韓流解釈」だろう。

 生まれつきの嘘つきで、自分の吐いた嘘を心底より信じられる「詐欺師に最も適した能力」をお持ちのようだ。

 小学生の時に「誰それさんがこう言ってたよ」と告げ口をする女子児童がいたが、行動パターンがそれと同じ。要するにこの大使は児童レベルの思考をお持ちだということ。

 結局は「誰それさん」を利用して「人を思いのままに動かそう」とする。そんな見え透いた根性が丸見えだ。

 当惑させられることには、こういう大使みたいな人格の人があの国には五千万人くらいいることだ。 

 

 しかし、文大統領は日本人にとって大恩人だ。彼の主張により、日本人の多くは1965年の日韓条約・日韓請求権協定を読み直したし、2015年の日韓協定(自称元慰安婦)を詳細に目を通した。

 その結果は、「既に総て終わっている」ということ。これはもはや純然たる「歴史の解釈の問題」になっている。今や政府が謝罪したり賠償したりする段階などとうに終わっている。未解決の問題などどこにもない。条約・協定にそう書いてある。

 文大統領は今年の春、正式に「2015協定は友好」との見解を示したが、それなら既に「不可逆的な解決」を見ているということになる。

 すなわち、この後は韓国の国内問題であって、今後、日韓が協議することはない。

 

 それとも、半年ちょっと前の言葉すらも反故にするのか。

 ただあきれるだけ。  

 今はもう、多くの日本人が「韓国と付き合うことに何らメリットはない」と考えている。

 経済交流がどうのとかは関係が無い。まともに付き合うには相手が卑怯すぎる。

 信義を持たぬ者と付き合っても被害と不快感が増すだけだ。

 韓国はそういう自国を受け入れてくれる相手と付き合うのがベストだと思う。

 日本国と日本人はもう違う。

◎起きる人にだけ起きる

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あの世(幽界)との関り

◎起きる人にだけ起きる

 あの世とこの世を跨ぐ現象は、誰の身にも同じように起きるわけではなく、特定の人にだけに起きる。

 他の人には影響がなく、何でもない場所なのに、人によっては、足を踏み入れるだけで具合が悪くなる場合がある。

「人を選ぶ」のだ。

 先日の「階段の灯りが消える」という事態もそれだ。

 家人や息子が上り下りしても何ら異常が起きぬが、私が通ろうとすると途中で灯りが消える。一度(または数度)だけなら、「たまたま接触が悪かった」で済む。

 あるいは、ずっと消えたままなら、「電球が切れた」か「回線不良」を疑う。

 だが、この「消灯」は人を選んで起きている。数度だけでなく、毎夜毎晩、私が通る度に起きる。通り過ぎると直っている。

 要は私に向けて「見てくれ」「聞いてくれ」と働き掛けていたのではないかと思う。

 

 「自分にだけ起きる」というのは、なかなか薄ら寒い事態だ。ここに至り、初めて「何かしらのメッセージがある」ケースを想定することになる。 

 相手のことが見えず聞こえず、気配が薄くとも、「何かのメッセージがある」という事態を予期し、さらには先手で立ち回らぬと、返事はどんどん先に進む。

 カーナビが誤作動を繰り返したり、信号待ちの時に背後から車が突っ込んで来たりする。

 一回の出来事(事故)だけを切り取ると、「ただの偶発的な出来事」なのだが、これが二度三度と重なると、もはや偶発的とばかりも言えなくなって来る。

 私の実体験だが、交差点に停止中に、後ろから追突されたことがある。車を修理に出し十日後にこれが戻って来たのだが、その日の内に、また同じように後ろから車が飛び込んで来た。相手の運転手に聞くと、「前に意識が行かず、まったく見えなかった」とのこと。

 初回と違い、「戻ったその当日に」「再び交差点で追突される」ことは偶然では置き難い。 

 こういう経験が重なると、「信じる」とか「信じない」の次元ではなく、前提として「あると仮定して」「どう対処するか」という話になる。

 その方が対処が早いし、後手にも回らぬからだ。

 

 二十年以上前に、岩手から東京に向かって高速道路を走らせたことがある。

 S市まで順調に南下していたのだが、そこで急遽、カーナビが「(一般道に)降りて下さい」と指示した。時間的にも距離的にも、高速を直進するのが最も近いのに、「降りろ」と言うのだ。

 その時、私は少し疲れていたのと、食事を摂りたかったので、ナビの指示に従い、高速を降りた。

 カーナビが案内していたのは、市の繁華街の方向だった。寄り道になるわけだが、目的地は東京なので、いずれは国道の方に戻ると考え、そのまま進んだ。夜遅い時間帯だったが、ラーメン店でもあればそこで何か食べられる。

 ところが、カーナビは街の中をぐるぐる回らせるだけで、一向に国道に出ない。

 同じ個所を三度通る事態になったので、ようやく「誤作動」だと気付き、カーナビを消した。それから、道路標示だけで街を出て、バイパスに出たところで、再度、カーナビを「距離優先」で入れた。こうすれば国道以外に選択肢はない。

 ところが、それから山道に入ったかと思うと、どんどん奥に入って行く。

 当初は、「山ひとつ向こうに国道がある」と思っていたので、そのまま従った。

 すると、車は山の中に入って行き、道がさらに細くなる。

 片側一車線道路だったが、その先で着いたところが、寂れた廃寺だった。

 すぐにバックにバックを重ねて元の道に戻り、広そうな道路を辿って、ようやく国道に出た。

 

 そういう経験があり、以後は何となくS市を避けるようになった。

 高速を通るのは致し方ないが、一般道ではS市内に入らず外側を迂回した。

 こうして十年くらいの間、S市を避けていた。

 だが、さすがに十年も経つと、あの体験のことは忘れがちになった。

 知人友人に「冗談めいた恐怖体験」として話せるようになった程だ。

 それで少しガードが緩んでいたらしい。

 「そろそろ大丈夫だろう」と根拠なく思い、S市の手前から一般道を走行してみた。

 取り立てて問題も無さそうだったので、市内で食事をした。

 ところが、やはりそれでは終わらなかった。

 食堂から出て、高速に戻るべくカーナビを「インター」に向けたのだが、ここでぐるぐる回りが始まった。最初は通るのがやっかいな細い路地をくねくねと回ったかと思うと、今度は次第に人家の少ない道に入って行く。

 そのままどんどん道が細くなり、片側一車線に。それも細くなり、車の左右のガラスに長く伸びた草が当たる細道に入り込んだ。

 さすがに「この先には行けない」と思ったところで、カーナビの経路指示が一瞬で全部消えたのだ。

 先が行き止まりの山道に誘導されたいたわけだ。

 例によって、バックにバックを重ね、方向転換が出来るところまで下りると、そこからは道路標示だけで元の道に戻った。

 さすがに二度目は冷静だったので、「片側が崖」の細い山道から転げ落ちずに後進出来た。

 こういう出来事があったので、「どうもS市とは相性が悪いようだ 」と多方に記した。

 この体験のことは、このブログにも書いている。過去記事が残っていれば、直後の状況も記してあると思う。

 

 「どうにも反りの合わぬ人」がいるように、「相性の悪い土地」もある。

 だが、そういうのは、他の者(当事者以外)には無縁であることの方が多い。

 そこに住む人にとっては、何の問題も生じず、異変が起きるのは、その当事者だけだ。

 これは冒頭の「階段の灯り」の件によく似ている。

 家人や息子には何も起きないのだが、私の時だけ起きる。

 あの世の住人(幽霊)が注視しており、メッセージを送っているのは、私だけということだ。

 

 幽霊は、自身を認識し、見聞きしてくれる者のところによく集まる。その者が意識すればするほど、さらに集まる。

 「見てくれるから」「聞いてくれるから」と言う理由だが、それ以外にも、「接点を持たぬ相手のことは認識そのものが出来ない」という要素もある。

 死ねば五感を失うので、「眼で見て、耳で聞く」ことが出来なくなる。その代わりになるのが、「心に生じる感情のうねり(波)」だ。これが自分と似ている者であれば、五感は無くとも「相手がいる」と悟ることが出来る。

 生きている者がなかなか死者を認識出来ぬように、死者も生者のことをうまく認識出来ない。認識出来るのは、自分に近しい者だけになる。

 となると、「なるべく接点を持たぬ」という対処法も、当然成り立つ。

 「そんなものはないと信じる」ことで、接点が生じ難くなる。怪しい地には近づかなければよい。

 

 だが、私のように「一度は死んだことがあり、否応なしに接点が生じてしまう」者はそうは行かない。もし相互に影響が生まれそうであれば、なるべくそれを早く察知して、手を打つことが必要になる。

 既に黄昏時を生きているわけだから、陽が沈んだ後のことを意識しないわけには行かぬのだ。日没はすぐそこだ。

 こういう話は「あの世との関りがもたらす異変」をあまり感じたことの無い者には、奇異な話に聞こえると思う。起きぬ人には何も起きないから、当たり前ではある。

 

 異変は人を選んで起きる。

 これまで怪談めいた経験談には、それが起きた場所の地名を記してこなかった。

 これは「ホラー話の場所(スポット)」という喧伝にならぬようにするためだ。

 そこに住む人にとっては、よき街であり、愛すべき故郷なのだから、それを貶めることになっては申し訳ない。

 だが、「人を選んで起き、他の人には影響が無い」のであれば、別に地名を記しても構わぬと思う。何故なら、あの世的な関りを持たぬ者が訪れても、何も異変は起きぬからだ。

 文中の「S市」とは白河市のことだ。

 この地に限らず、こういう出来事(変事)が私には時々起きる。

 私だけに起きているのであれば、まったく問題にはならないが、他にも幾らか知覚域の広い人はいると思う。

 

 この対処法は割合簡単だ。

 初段階に於いて、何となくヒヤッとした感覚がある。「こそばゆい」にも似た感覚だ。

 そういう時には、「きちんと挨拶をする」ことだ。

 「これから私はこの地に足を踏み入れますが、貴方さまの邪魔をしたり、この地を汚したりするつもりはありません。通り過ぎるだけですので、通行を許して下さい」

 文言の内容はあまり重要ではなく、大切なのは「畏敬の気落ちを示し、丁寧に頼む」ことだ。

 これで殆どの場合は無難に通行出来る。

 

 今では白河市周辺にも自由に行き来することが可能になった。

 思い起こせば、二十歳頃に「合宿免許」でこの市に訪れたが、その時既に「異物」として認識されていたようだ。

◎古貨幣迷宮事件簿 「栗林鉄銭の解法」再録整理

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栗林鉄銭の解法

◎古貨幣迷宮事件簿 「栗林鉄銭の解法」再録整理

 以前にも紹介したが、栗林鉄銭の見極め方について再度記す。

 鉄銭は整っている品が少なく、面背文すら読めぬ場合が多い。このため、鉄通用銭の各々について「これがどの銭座製」と分別できるケースは半分にも満たぬ筈である。

 ただ、幾らか「それと類推できる品」があり、その代表例のひとつが栗林前期銭である。(他には橋野銭などが分かりやすい。)

 まず、一般的に、鋳造貨幣についてその鋳地(銭座)を特定するには、次の要件がある。

1)その銭座固有の銭種である。

2)その銭座独特の製造手法に拠っている。

 

 栗林銭が「比較的類推しやすい」と言うのは、1)について「仰寶大字」という固有銭種を持つことと、2)銭座の事情により、特別な製造手法を採用した、ということだ。

 仰寶大字については、「浄法寺山内に伝鋳銭(写し)がある」と言われるが、山内にせよ他での密鋳にせよ、砂鉄経由の地金を使用している。「鉱鉄製の仰寶大字」であれば、まずは栗林製と見てよい。

 これが最初のステップだ。

 次に2)製造手法に移る。仰寶大字の母銭には、背面の外周を強く削り取ったものが見られる。いわゆる「ゴザスレ」状の研磨よりもかなり急傾斜となっている。

 また、背面であるから上側となり、砂笵より取り出しやすくするための加工ではない。この加工の施されていない母銭もあるが、大半のこの銭種は背面が削ってある。

 他の銭座にはこのような加工はない。両面とも緩く研磨したものだけである。

 よく調べると、背盛や仰寶といった銭種にも背面研磨母銭が幾らかある。

 あるいは、通常の両面研磨(ゴザスレ)よりも、輪が削り取られるほど削った母銭も存在している。

 「岩手に於ける鋳銭」には、これと符号する事柄が記してある。

 要約すると、下記の通り。

イ)栗林銭座では、当初、橋野高炉より銑鉄を購入していた。

ロ)材料費が嵩むので、後に自前の高炉を建設し、橋野からは買わなくなった。

ハ)橋野高炉では、栗林という素材の販路が減ったので、今度は高炉内で鋳銭を行うようになった。

 このうち、イ)に関連して、「費用の節約」という要請があったことで、製品(鉄銭)を縮小させるに至った。

 後は推測だが、見栄えをなるべく損なわずに済むように「背面だけを削り取った」ということだ。

 もちろん、様々な方法を試しもしたのだろう。小型化(小様母)や磨輪加工を施したことも、「材料の節約目的」で説明できる。

 「小様母」「磨輪母」は山内座でも見られるが、鉄素材が違うので、それが手掛かりとなる。

 そうなると、鉄銭の仕分け手順は、1)素材が鉱鉄、砂鉄のいずれの由来か、2)鋳銭がどのような工程で行われたか、を観察して行くというものになる。

 

 時々、「鉄銭や密鋳銭は、分類志向では太刀打ちできない」と書くのだが、これは「面背の拓影や画像では分からない」という意味だ。背の極端な傾斜などは、実際に指の腹で触ってみて初めて分かる情報になる。

 「銭種」という意味では、少数の限られたもの(背盛や仰寶)だけになる。これはこれまでの銭譜の掲載方法で、拓本がひとつだけになる。

 また、それとは逆に、小異にこだわり、鋳溜まりの有無までを「違い」と認識し始めると、あっという間に数十、数百に細分化されてしまう。

 「何故そうしたか」「そうしなくてはならないのはどうしてか」を観察すれば、幾らか見えぬものが見えるようになって来る。

 まずは原則論を押さえ、変化のバリエーションは後回しで良い。

 

 現状では、栗林銭と橋野銭という「区別しやすい」鉄銭の相違についてさえ、殆どの収集家が認識していない。

 難しいのは、むしろ大迫銭で、これは複数の素材調達方法を併用していたことによる。参考掲示した大迫銭は、づく鉄経由の再精練銭であり、たたら炉、高炉から直接溶鉄を流し込んだものとは地金自体が違う。これまで、「大迫銭座では橋野高炉より素材を買い入れた」と記されて来たのだが、実情は「鉄の素材を広く買い入れて鋳zに絵を行った」が正しい。

 

 注記)いつも通り、一発殴り書きで推敲や校正をしません。不首尾は多々あると思います。

◎まだうどんは食べられず(608)

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令和三年十月十五日撮影。

◎まだうどんは食べられず(608)

 先日、飯能の観音寺にお参りしたのだが、本堂のところで板階段を一二段ほど靴を履いたまま上がった気がした。神社のコンクリの階段の時と混同したかもしれぬ。

 そこで、改めてお詫び兼お焼香に行くことにした。

 ネットには「うどんの屋台の営業は金土日」と記してあったが、この日は金曜だ。

 お焼香の後にでも、うどんを食べよう。

 

 この日の六地蔵参りには、六文銭を持参した。

 御存じ、川の「渡し賃」で、亡者一体ずつでも、六地蔵に助けて貰おうと思ったのだ。

 ちなみに、東日本の各地にある神社やお寺で、古銭を撒いているが、もはや一万枚を超えているから、古銭を拾った人がいるかもしれん。

 神社では神殿の柱の根元や、周囲の斜面、木々の根元に撒いている。

 お寺ではばら撒くわけには行かぬので、供養錢として備えることが多い。

 静岡から青森までの範囲にある神社やお寺で、もし古銭を拾ったら、それは私の仕業だ。

 ちなみに、これは厄除け用ではないので、安心して拾ってよい。

 子どもたちが神社やお寺馴染んでくれるための一助になればよいと思ってこうしている。

 気が付いたら、杖なしで歩けている。

 ま、観音寺の場合は坂が無いから、私のような者でもお参りが容易だ。

 

 ところで、観音寺駐車場内でのうどんの営業は、今は土日だけのようだ(貼り紙あり)。

 やはりコロナの影響で、営業を自粛していたらしい。

 ネット情報が少し古かった、ということだ。

 

 帰路には確認のため、いつもの神社にも参拝した。

 別段、驚くようなことはない(ゼロではない)。

 

追記)どうやら峠は越えた。

 階段の灯りのスイッチを入れ、途中の踊り場まで行くと、そこで灯りが消える。

 上りはまだ大丈夫だが、降りる時に足元が見えなくなると、転げ落ちそうになる。

 これが起きるのは私だけで、家人や息子の時には何ともない。何もせずにいると、毎晩同じことが続く。

 まるでホラー映画のようだが、電気製品の異常は、現実に起きたりする。

 尤も、井戸から幽霊が出たり、二階から降りて来たりすることはない(笑)。

 あの世の者はそんな手間など掛けず、一瞬で右後ろに立っている。常時、後ろに人がいるような気がするから、かなり気持ちが悪い。

 要はあのバーサンは「自分の存在に気付いてくれ」と言っていたということ。

 

 ご供養を重ね、ようやく少しずつ消えて行った。

 調子が悪くなり、十日ほど無駄にしたので、人事の処理が大変だ。

 ちなみに、階段の灯りは、今は普通に点いている。電球なども前のままだ。

◎四次元ポケット(607)

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令和三年十月十三日撮影。

◎四次元ポケット(607)

 お寺を二か所ほどお参りしたら、肩の重さが取れた。

 「ありゃ。良い感じじゃないか」

 この日は所用で外出したが、帰路に神社に立ち寄って確かめることにした。

 この体の軽さなら、スパッと何も無くなっている筈だ。

 

 この日は小雨模様で、参拝客が少ない。

 好きな位置から撮影出来たが、やはり何事も無かった。

 十月桜が控え目に咲き始めているし、申し分ない。

 

 帰路、私と縁のある地のひとつに立ち寄った。ここは産直兼温泉施設だ。

 ガラス戸のかなり前で撮影したが、うっすらと煙玉が出ている。

 TPOが合わず不鮮明だが、幾度も見ているのですぐにそれと分かる。

 このところ具合が悪かった箇所に集まっているから、一所懸命に改善してくれているようだ。

 (もちろん、「想像や妄想」だが、つい数日前までは「白い煙玉」ではなく「黒玉」だった。)

 

 先週から今週の検査結果は、いずれも「シロ」だ。逆に、何故あれほど苦しんだのか原因が分からない。医師は「分からない」と言うが、私は分かっている。

 階段の灯りが、私が通る時だけ消えてしまう事態が始まった時から、体調が著しく悪化したのだから。それなら、どんな鈍感な者でも気が付く。

 こういう感じの時は、お寺でご供養するのが近道だと経験的に知っている。だから、その直感に従って行動した。

 「母のご供養のために六地蔵にお焼香しよう」と思い立ったので、翌日にはその通りにしたまでのこと。自分自身のためではない。

 自分の病気のことなどは忘れているし、そもそもその改善を神仏に祈願したこともない。

 だが、「ほれこの通り」で、このひと月で初めて血圧が百三十台にまで下がった。

 つい二日前には二百の上下だった。

 

 人間の心には、自己免疫力を強化するためのスイッチがある。それを探し当てられれば、境遇や状況なりに、幾らか、あるいはもの凄く改善される。

 もちろん、そのスイッチは心の中にあるので、その人自身が探し当てる必要がある。

 「治してくれ」と幾ら願ってもあまり状況は変わらない。治すには「自分の何を改善すればよいのか」とあれこれ試すことで、糸口が見つかることがある。

 もしそれを見付けられれば、まるで四次元ポケットから万能器具を取り出すように、状況が改善される。

 

 さて、体力が三十五パーセントくらいまで戻ってきた模様で、これなら十分戦える。

 まだハンデがあるが、元々、ハンデの無い勝負など存在しない。自分なりの道を行けばいいさ。

 人事は自身で解決すべきことだから、一心にやり通すということ。

 

 追記)不動明王の前で日輪が入ったのだが、「これは日輪だが、日輪のようでないところもある」と思った。転機はその時だと思う。

 やはりお不動さまは当家の守護神で、御堂さまとも仲が良いようだ。

 当たり前のことだが、神格(人の姿)のようなものは無い。神はあくまで理念だ。

 しかし、今は私の背後の重苦しい気配がすっかり消えている。

 (もちろん、幾らでも寄って来るから、いずれ数日か数週間すればまた寄り付く。)

◎古貨幣迷宮事件簿 「八戸銭ほど楽しいものはなし」

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◎古貨幣迷宮事件簿 「八戸銭ほど楽しいものはなし」

 八戸銭が何故楽しいのか?

 それは「まだ誰も解明できていないから」ということ。

 

 通貨ですら「どこでどうなっているのか」分からないわけだが、絵銭に至っては、皆目見当がつかない。何をどのように見れば良いのかが分からない。

 ひとつはっきりしていることは、「従来の分類手法ではダメだ」ということ。

 「ダメ」というのは、「変化が多いので、すぐに三百、五百、八百と増えてしまう」ことによる。

 科学的思考法の基本は「分化と統合」なのだが、実は分化(この場合は変化)を観察することには、その中の統合(すなわち共通性)を観察することが含まれるはずなのに、やればやるほど多様性に惑わされてしまう。

 まずは、その変化が何故生まれたかということに着目すべきだ。

 

 画像の「八戸背盛」を見ると、地金が紫褐色であることと、鑢痕(輪側の線条痕)が縦斜めに入っていることで、山内系のそれとは違うことが分かる。

 最初の手掛かりはそれだ。

 次は銭径と面枌の変化だ。八戸銭の不思議なところは、銭径が著しく縮小しているのに、普通サイズの品と縮小銭の間を繋ぐ品が見当たらないことだ。

 山内(浄法寺)系にも縮小銭が多々あるが、こちらは鋳写しを重ねた結果であり、中間段階の品がきちんと残っている。

 ひとつの仮説は、母銭を作成する際に「粘土型を交えている」ことではないかと思う。砂笵を作る時に、この周辺では良質な硅砂(水晶)が採取出来なかったから、山砂を使用したが、通用銭ならまだしも母銭には適さない。表面が粗くなるためだ。

 このため、粘土型を採用し「滑らかな表面」の母銭を確保することを優先した。

 粘土型には、「型自体が縮小する」という不都合があり、このため、銭径が小さくなったし、それに伴って意匠が歪んだ。

 こういうストーリーだ。傍証のひとつは、目寛見寛座の各銭種だ。元々は一般通用銭から素材を採っているわけだが、銭径が著しく縮小し、面文も変化している。

 

 というようなことを踏まえ、「天命通寶の写し」を見ると、上述の「八戸銭」の要素を備えていることが分かる。

 まず、文字の読めぬ銭種であることと、製作手法により、鐚銭(赤鐚)ではないと言える。仕上げ用具(粗砥)が異なる。

 「恐らくは南部写し」となるが、次に「盛岡か八戸か」の疑問が湧く。

 主だった特徴は「紫褐色の地金(古色)」と「縦系の斜め鑢」だ。輪側処理がややランダムだが、一部に縦鑢箇所が含まれる。

 まずは八戸銭と見て良いのではないかと思う。

 天命通寶であれば、もちろん、絵銭としての意図による。古銭は「吉語」の意味で解釈されることがあり、「永楽通宝」や「隆平永宝」などは、この地方では盛んに作成された。朝鮮貨幣や八卦銭なども作られているから、清朝銭をモチーフとした絵銭が存在することに不思議はない。

 

 問題は大型「布泉」だ。

 このサイズの布泉銭は、中国の銭譜には載っていないから、恐らく幕末明治初年当たりの絵銭だろうと思われる。地金が古く、後出来には見えぬということもある。

 浄法寺銭にも小型の「布泉」が存在している。

 これも浄法寺銭なのかどうかは、類品が見当たらぬので何とも言えぬ。

  何せ、このサイズの「布泉」はこれしかなさそうだ。

 もっとも、幕末明治初年の盛岡・八戸銭には、総称の「南部錢」という都合の良い呼び方がある。ひとまずは南部絵銭で良いのではないか。

 

 ちなみに、「天命通寶」については「初見品」、「布泉」については「銭譜未掲載品」としてある。前者は「たぶん、この品のみ」、後者は「他にも存在する可能性がある」という解釈の違いによる。ま、いずれにせよ、数品だろうと思う。

 

 赤い色の品を見ると、何でもかんでも「浄法寺銭」にされるきらいがあるが、よく見れば、制作手順がまるで違う。

 八戸背盛は「一品もの」で、「一発で八戸銭が分かったような気になれる」品だ。

 購入時は山内背盛の四倍から五倍の値で入手したのだが、「すごく安い」と思った。

 恐らくこれが最初で最後ではないかと思われる。その根拠は、これを母として作ったと思しき25ミリを下回る当四鉄銭が存在しないからだ。要するに、小さくなり過ぎたので不採用になった。 

 

 注記)一発殴り書きで、推敲や校正をしません。不首尾はあると思います。

 早速訂正。「紫褐色」→「赤褐色から紫褐色」。ただの文言です。