日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

きれいすぎる水

夕食時に居間に下りると、テレビに○○○テツヤさんが写っていました。
高校生、中学生の娘2人が、その番組を見ています。
バラエティ番組のようでしたが、○○○テツヤさんはいつもながら教訓半分のウンチクめいた話をしていました。

「お前たち、こんなヤツが担任だったら、さぞ嫌だろうな」と水を向けると、次女の方がすかさず「そうだよね~」と返します。
(よくわかってんじゃん。)

コーヒーをいれ、再び2階に上がる途中で、昔のことを思い出しました。
あれは学生の時です。

私は講義が始まる前、教室の外でタバコを吸い、吸殻を備え付けの灰皿の「周囲に」散らかしていました。
そこへ同じクラスの学生が通り掛り、「モラルのないヤツらがいるんだよな」と顔をこちらには向けずに
つぶやいていきました。
ソイツは確か両親とも教員で、自分も教員を目指しているという男でした。

「ああ、あんなヤツが教員になるからダメなんだよな」
男が通り過ぎた後、灰皿の近くにいたもう1人とそんな話になりました。
オレたちは道に吸殻を捨てたりはしない。そこには片付ける人がいないから。
でも大学の構内では吸殻を灰皿のそばに投げ捨てる。
ここには、掃除を仕事にしているオバサンたちがいるからだよ、と話は大盛り上がり。

構内の清掃をしていたのは、主に70台のオバサンたちです。
年金生活の暮らしの足しにパートで働いているようでした。
もし、学生が構内をきちきちときれいにしていたら、このオバサンたちの仕事は無くなります。
でももちろん、それで学費が安くなったりすることはなく、せいぜい教職員のボーナスが増えるくらいでしょう。

なぜ灰皿のそばに捨てるのかと言えば、「散らかってはいるけれど、片付けやすくする」ためだってことです。
この世の中、様々な境遇の人がいますので、一面的なモラルをあてはめるのは適切でないように感じます。街中が美しく、かつ年寄りに仕事の無い社会が果たして住み心地の良い社会でしょうか。
きれいすぎる水に魚は住めません。

もちろん、こんな話も私や私の仲間の勝手な理屈だったかもしれません。

それでも、自少なくとも分の意見を言う時には、正面を見て言うべきだったろうと思います。
「モラルが・・・」云々は、結局は自分の心を満たすためだけのもので、何ひとつとして外に働きかけたわけではありません。
あの同級生は、その後教員になって、生徒に道理を説いたりしているのでしょうか。
さぞや近視眼的な人間が増えていることでしょう。