日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 「悲喜交々」十月十八日

病棟日誌 「悲喜交々」十月十八日

 治療が終わり、更衣室で身支度をしていると、たまたま看護師のO君が入って来た。

 ロッカーの飲み物を取りに来たらしい。

 O君は私を見ると、「痩せましたね」と言った。

 「一年前と比べると十二キロくらい落ちたかな」

 「随分と締まりました」

 「あんまり良いこっちゃないよ。次から次へと女が寄って来るからだもの」

 これでO君が「へ?」という表情をした。

 「生きてる女のことじゃないよ。去年の十月から、死んでる女や男がどんどん寄り憑くから、こんなことになっている」

 「そうなんですか」とO君は苦笑い。対応に苦慮しているようだ。

 「笑い事じゃないよ。O君は俺に似たところがあるから、いずれ自分にも俺と同じことが起きると思わなくちゃならんよ」

 時々、O君も後ろに死んでるヤツを連れて歩いている。

 それを見ているから、こんな話をするわけだ。体調が悪かったり、人事トラブルが続いたりするのは、何者かに仕組まれている部分があるわけで。

 O君は一時、上司たちから、酷く叱責されていた。他の看護師には言わぬような酷い口調で一人だけ糾弾される。

 それが本人のせいではないと分かるので、前々からそれとなく、O君にお祓いのやり方を教えて来た。

 魔除けの鈴を渡したこともある。 

 ま、あまり強く言うと、「変な宗教の人」と思われかねぬから、それとなく程度だ。  

 私のどの教会にも団体にも入っていないわけだし。

 

 ついこないだも、O君の顔つきが変わっており、五㍍の位置から見てそれが誰だか分らなかった。

 すっかり何か(女)に「乗られて」いたわけだ。

 「信用できんだろうから、後で俺の状況が分かる写真を見せてやるからね。こんなことは冗談で言えることではないんだよ」

 他の人なら一切関わるつもりはないが、O君の場合は、もはや障りが出ている。早く対処法を覚えぬと生死にも関わる。

 「交差点や駅のホームでは一番前に立ってはいけないぞ」といつも助言している。

 こういう人なら話が別だ。

 ま、ウェブには公開しない画像を見れば、一発で理解出来ると思う。

 視覚的にはっきりと確認出来ぬ部分が多いから、一般の人はたかをくくっているところがある。私やO君のような者は実害があるから、そんな認識では済まされぬのだ。

 

 O君同様に、息子にも身の処し方を伝えたいが、今はどのタイミングで言えばよいかを計っている段階だ。

 だが、いずれ私に起きたことと同じことが息子にも起きる。

 母は私には何も言わなかったが、私は考えが違う。きちんと状況を把握し、早く対処すれば、決定的な事態の悪化を避けられる。

 だいたい、私は最初に心臓が止まってから三十年、まともに「お迎え」に会ってから五年以上、生きている。

 ま、それも「いつかは負ける戦」で、次第に劣勢に陥る。この一年は、「次から次へ」の状態だったから、かなり危機的だった時期もある。医師や看護師が「程なく亡くなると思った」と認めるほどだ。

 

 そういう風に乗り切れるのも、もはやあと数か月だけかもしれん。

 既に今年の肺症状が始まったので、一月二月にはピークが来るだろうと思う。

 受け止められる者、受け止める必要のある者に対しては、きちんと「これから起きること」を伝えようと思う。

 

 帰宅してから、「そう言えば、去年の今頃から悪いのが寄り付き始めたのだったな」と思い出し、昨年の画像を点検し直すことにした。

 やはり一年経つと冷静になっているので、見え方が違う。

 嫌な感じのがさほどの問題が無く、「気のせい」に見えたものが、実はあの世現象だったりする。

 特に気を付けるべきものは、「気配を消してあるケース」だ。こういう場合は魂胆があり、入念にそれとは分からぬように自らを隠している。

追記)四角い窓の「女」は、八幡さまで出た「女」に似ている。執着の対象が子どもであるところも同じ。なお子どもの姿は女が創り出したもので実際は女一体だ。