◎「本当は誰のこころ?」の続き
肉体や理性は、殻となり、魂を守る働きをしている。
よって、肉体、理性の勝る者は「別の者のこころ」が入り込みにくい状況にあるようだ。
病気などで体が損なわれたり、感情が理性よりも前に出るようになったりすると、殻が薄くなり、他の者のこころが入り込む余地が生まれる。
私が寄り憑かれやすいのは、体が損なわれ、殻が薄くなり、垣根を飛び越えるように入れる状態となっているからだと思う。殻の厚い者はそもそも「別の者のこころ」を知覚することもないから、「存在しない」のと同じだ。
そういう者にとっては、「あの世など存在しない」ように見えるし、実際の状況はその通りだろう。
だが、もちろん、いつの日か肉体は滅ぶ。それまでが「殻に守られていただけ」と知ることが出来るのは、徐々に弱って行き、状況を見る時間が与えられた者だけではないかと思う。
いきなりこの世を去る者は、死後も自我が残ることを知らずに死ぬ。
で、そういう者は生前と同じ暮らしを続けようとするのだが、既に大脳を持たず、合理的に考えることが出来ないから、記憶にある生前の行動を訳も分からず繰り返す。
ただ道を歩いている者や、雑踏の中にじっとしている者は数え切れぬほどだ。
私はいよいよあの世が近くなってきたせいか、道を歩く黒い人影を頻繁に目にするようになった。
車を運転している時に、後部座席に居たりするのは、幾度も書いて来たとおりだ。
自分に取り憑こうとする人影が写った画像があるから、気が変にならずに済んでいるわけだが、これが無ければ、自他ともに「心に病気を持つ者」だと認めざるを得ないと思う。
心に障害のある人の姿と言えば、「頭の中で声が聞こえる」という症状だが、これが頭の中ではなく、外から聞こえ、かつ当人だけでなく傍にいた人の耳にも同じように聞こえるとなると、もはや「心の病気」とは言えなくなる。