◎怪談 第六話 「覗き窓」 (あらすじ)
ある小学校で起きた話だ。
五年生が三クラスあったのだが、各々の担任は一組が小林先生(女性)、二組が仲飼先生、三組が庄司先生(2,3組は男性教諭)という先生たちだった。
この小学校は創立百年を超える古い学校で、創立以来同じ場所に建っている。このため昔の跡がそこここにあり、校舎の裏には防空壕が残っている。もちろん、今は防空壕を閉鎖してあり児童が入れぬようになっている。
校舎自体も昭和に建てられたもので、かなり古びている。
トイレなどは改修されているが、それでも全体が古めかしい。
こういう学校なので、幽霊話も多く、休み期間にPTA活動で学校に来た父兄たちが、廊下を走る子どもの足音をよく聞く。
夕方だから児童が学校に忍び込んだわけではなく、深夜になると一層何者かが走り回る。
時折、「笑い声」や「あああ」と子どもの叫ぶ声が響きもした。
これがあるので、宿直の先生は夜の見回りをしなくともよいことになっていた。今では宿直の制度も無くなっている。
年度初めに、よく問題となるのは、新任の先生が頻繁に事故に遭うことだ。校門の入り口を入って校舎につく間に転んだり、車同士がぶつかったりする。
ちょうどその辺は、元々、沼があったところなので、「障りがあるかも」と噂になる。毎年、必ず1/3くらいの教師が自転車の転倒事故や車両事故で怪我をする。
こういう背景の学校だが、異変は二組の庄司先生のクラスで起きた。
やや発達障害気味の生徒(小沢君)がいて、授業について行けない。
学校では特別支援学級への入級を勧めたが、母親が強く「普通クラス」を要望し、通級に入っていた。
授業が小沢君のところで止まるので、やはり他の生徒が快く思わぬようになり、小沢君へのいじめが始まった。
かなり陰湿、巧妙で、傷跡が残らぬようにタオルで拳を巻いて、お腹を殴る。
こういう気配は何となく分かるのだが庄司先生は自分のことで頭が一杯で、小沢君のことまで気が回らなかった。
これは庄司先生の個人的事情による。
三十台の庄司先生には、妻がいたが、同じく小学校の教員をしている。大学の時に奨学金を受給したが、教員になってから僻地の学校を希望して赴任すると、奨学金を返さずとも良くなる。
そこで、庄司先生の奥さんは山間の学校に単身赴任して、週末に家に帰る生活を続けていた。
そして、赴任先でその奥さんは同僚と不倫関係になった。
たまたま、その学校に庄司先生と以前同じ学校に居た教師が赴任しており、奥さんの不倫を庄司先生に報せてくれ、このことが露見した。
庄司先生は離婚問題について頭が一杯で、児童に気が回らなかったのだ。
先生はいじめの報告を受けると、手っ取り早く加害児とされる児童数人に話を聞いたが、誰一人いじめを認めない。小沢君の体を調べても、外傷が見当たらぬので、小沢君本人に確かめるが、しくしく泣くばかりで何も言わない。
言えばさらにいじめられる恐れがあるからだが、庄司先生は「双方がいじめは無いと言っている」と校長に報告した。
要は面倒臭かった、ということ。
その後で、庄司先生は小沢君に「皆と仲良くするんだぞ」と伝えると、小沢君は少しの間考えていた。
その後、この時だけは何時になくはっきりと「先生はボクを守ってくれないの?」と言った。
庄司先生は、「何か問題があれば、すぐに先生に言うんだぞ」と言って話を終えた。
ところが、それからひと月が経ったある日のことだ。
庄司先生が放課後に一人職員室に残り、雑務をこなしていると、廊下の先から「あああ」という呻き声が聞こえた。
だが、こういうのはこの学校では時々あるし、まだ明るいから、教室に児童が残っているケースもある。
無視をして仕事を続けていると、背後で声が響いた。
「先生。どうしてボクを守ってくれなかったの?」
小沢君の声だった。
「え」
はっとして振り返るが、そこには誰もいない。
慌てた庄司先生が廊下に出ると、何やら学校中にどろっとした嫌な気配がある。
「たぶん、俺の教室の方だ」
五年生の教室は三階で、三組は一番奥の部屋だった。
階段を駆け上がり、廊下を走る。
三組の教室の前で、庄司先生は足がすくんだ。
教室の入り口の扉には必ず「覗き窓」がついている。
扉の上も窓になっているから、桟の上のガラス戸を開けると、その桟にロープを掛けられるようになる。
小沢君はその後ろの入り口の桟に縄跳び用のロープをかけ、そこで首を吊っていた。
既にまったく動かなくなっており、小沢君が亡くなっているのは明らかだった。
「なんてことだ」
庄司先生は、小沢君の前に立つと、そこで叫び声を上げた。
「あ、ああああああ」
小沢君はビニールのロープで首を吊ったから、首が強く締まった。
このため、首から上への圧力が異様に高まり、眼窩から目玉が飛び出し、舌が口からはみ出て、顎の先まで伸びていた。
「あ、あああああ」
庄司先生が恐怖に駆られて叫ぶ声が校舎中に響いた。
校舎には用務員が残っていたが、庄司先生の声を聞き付け、急ぎ三階に駆け上がって来た。
そこで起きている事態を見て、用務員は庄司先生を後ろに引き下げ、急ぎ警察に連絡を入れた。
庄司先生はその後、四か月の間、休職した。
自分の受け持つ児童が自死した上に、その悲惨な状況を直接目にしてしまい、心にカタルシスが起きたのだ。おまけに離婚の心労が重なり、四か月のほとんどを病院で過ごした。
庄司先生が休んでいる間、一組の小林先生が三組の面倒も見た。庄司先生の代替の教師の手が空かず、「しばらくは補充出来ない」と教育委員会に言われたからだ。
庄司先生は秋口に学校に戻って来た。
職員室で庄司先生は、「先生方にご迷惑をおかけしましたが、もう大丈夫です」と挨拶をした。
とりわけ、小林先生には世話になったので、丁寧にお礼を言った。
それから、めいめいが自分のクラスに向かった。
小林先生が自分のクラスの朝礼で、「三組の庄司先生が戻られた」という話をしている時に、三階中に叫び声が響き渡った。
「ああああああ」
叫んでいたのは、庄司先生だった。
小林先生が急いで廊下の奥に向かうと、庄司先生は教壇の端に丸くなり、後ろの入り口に視線を向けたまま、ずっと叫び続けていた。
「庄司先生。どうされましたか?」
小林先生が声を掛けたが、庄司先生は変わらず叫び続けている。
仕方なく、小林先生は職員室に連絡して、先生方に来て貰った。
それから、庄司先生は再び休職し、心療内科に入院した。
漏れ伝え聞いたところによると、庄司先生が教壇に立った時に、後ろの入り口の覗き窓から誰かが覗いていたそうだ。
そこはちょうど小沢君が首を吊った場所だったのだが、その扉の窓から、「眼窩から両眼球が飛び出し、舌を顎まで垂らした小沢君が覗いていた」のだった。
庄司先生は、そのまま退職することになった。
はい、どんとはれ。
怪談としてのひとまとまりはここまでだ。以下はストーリーには書かない・書けない部分になる。
現実にこの学校で起きたことは、そんな生易しいものではなかった。
庄司先生が去った後、代用教員が来るまでの間、やはり小林先生が三組を見ていた。
その流れにも慣れた冬の初めに、いつものように小林先生は一組の後に三組に向かった。
ところが、朝の連絡を始めた時に、教室の後ろの入り口の方から声が響いた。
「あああああ」
この声は、三組の児童の誰もが聞き、皆が騒然となった。
庄司先生に起きたことが、既に周知されるようになっていたのだ。
「きゃあ。あれ小沢君の声じゃない?」と女子の誰かが叫んだ。
「こわい」
児童が動揺しているので、小林先生は直ちにこの子たちを宥めることにした。
「大丈夫。気のせいですよ。何もありませんから、考え過ぎです」
だが、けして大丈夫ではなかった。
小林先生が声のした方に眼を向けると、後ろの扉の窓から目玉の飛び出た児童が教室の中を覗いていたのだった。
小林先生は我を忘れて、「ああああああ」と叫んだ。
はい、どんとはれ。(二度目)
現実の事件はこれでも終わりではなく、この学校では異変が相次いで起きた。
学校は三組の教室を閉鎖し使わぬようにし、児童は音楽教室で授業を受けることになった。
校長は学校が休みの時を見計らい、僧侶を招き供養を施した。
この小学校での変事はそれで収束に向かったのだが、一方、一組の小林先生は庄司先生に続き教師を辞めた。小林先生は学校の帰りに買い物に寄ったが、そのスーパーのガラス戸に「目玉の飛び出た子ども」が映ったからだった。
この出来事の最も恐ろしいところは、当事者でも何でもない小林先生のところに「障り」が寄せて来たことだった。小林先生はその障りの重さに耐えきれず、翌年、自死した。
理不尽な展開だが、あの世の障りはそういうものだ。起きる者にはどんどん起きるが、その一方で、関わりのない者には一切何も起こらない。
二組は三組の隣の教室だったが、ここでは何も起きず、隣の教室の異変を誰一人感じることが無かった。その後三組は代用教員が来るまで、二組の仲飼先生が指導した。
仲飼先生は何ひとつ異変を感じることが無かったが、これは児童たちも同じだった。
庄司先生は、今も病院にいる。
救いの見えぬ話なので、まだどこまで収めるかを思案中で、まだ編集には送っていない。なお文中の氏名は総て仮名となっている。
追記1)学校の異変が収束に向かったのは、僧侶がご供養を施したためではなく、「障り」が小林先生一人に向かったからだった。退職してから、小林先生の周辺では異変が続き、夫や子どもとは別居することになった。誰一人として、小林先生に起きていることを理解出来ず、「思い込み」だと称し、接したので、小林先生はどんどん孤立し、精神がもたなくなった。障りが最後までついて回ったのが、当事者である庄司先生ではなく、隣のクラスの担任の小林先生だった。これが何とも言えず怖ろしい。
追記2)以下は事実として起きたことではないが、数行だけ書き足したいことがある。
小林先生が自分に起きたことを、校長以下他のl先生に説明しようとする。
だが、皆が口々に「あなたは疲れており、それが原因で妄想を観ている」と言う。
家族からは「心を病んでいる」「治療が必要だ」と無理やり病院に行かされる。
だが、そう言い立てる人たちの後ろに、小沢君が立っていた。眼が飛び出ているから、絶対にこの世の者ではないし、物が倒れたりするから、妄想でもない。
他の者は周囲で物音がし、調度類が倒れるので、訝しげに思うが、小林先生の言うことは信じない。小沢君が見えるのは小林先生一人で、他の人には何も見えないのだ。
状況を理解出来る者が「自分の他に誰もいない」と悟った時の孤立感が怖ろしい。怖いのは幽霊よりも、全きの孤独だ。