日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊界通信 食器棚から茶碗が落ちる

◎霊界通信 食器棚から茶碗が落ちる
 食器棚から茶碗がひとりでに落ちたので、もう一度14日の画像を確認することにした。
 私を中心に右側奥には林があるが、左側は駐車場で四五十㍍先まで空きスペースだ。
 よって、私の頭の左は木々の影ではなく煙玉。これはいつも出る。
 普通は「でっかい女」なのだが、黒い煙玉(黒玉)の後ろには、女性と男児がいた。これはもはや二十年以上に渡り、この市内で撮影した時に現れる。この日は不鮮明だったが、黒玉が強すぎて歪めていた。
 一番差し歩に気付くのは、左後ろの「妙な感じ」だが、これは左の二の上に手が乗っているから。この女性の手だ。
 私はその場に居るから、触感や音(声)などを合わせて総合的に判断出来る。画像だけで認識するのは難しいと思う。
 もちろん、気付く人は気付く。

 茶碗が落ちた件は理屈が通らぬが、理屈が通らぬ時には、却って物理的な原因があることの方が多いので(要は見落とし)、まずは静観することにした。何かあれば、きちんと伝えて来ると思う。
 何故落ちたかは脇に置いて置くとして、胸の高さから落ちた瀬戸物の茶碗が壊れぬのは、少し腑に落ちない。床は板間で、これで割れずに済むことがあるのか。
 PGの始まりなら、それはそれで証拠を映像で撮れるかもしれん。

 「死後の存在」を認識すれば、生き方が根底から変わる。
 「一生死ぬまで」ではなく、その後を見据えた生き方をする必要が生じる。無防備に死ぬと、為す術を知らず、ただ彷徨う存在になってしまう。一人でもその境遇から救うには、「死が終わりではない」証拠を出して見せることだと思う。
 話だけではダメだ。
 だが、写真・動画はあやふやで不鮮明だ。生きているうちにどこまで実証出来るものなのか。