日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「九月盆回し(ホ)」の品評と思い出話

古貨幣迷宮事件簿

◎古貨幣迷宮事件簿 「九月盆回し(ホ)」の品評と思い出話

 古貨幣関連の話題を振らなくなっていたせいか、雑銭の会の旧メンバーにはなかなか情報が届かなくなっている。古銭会で話が出てそこで・・・ということなのだろうが、その時には、先に進んでいたりする(=売れている)。

 断捨離であり形見分けの意味もあるのだが、当人の意図は伝わらぬものらしい。

 昔、南部のk会長の癌が五年目に再発した時に、ある程度自ら行く末を悟ったのか、k会長は自宅に私を呼んで頭を下げた。

 「これを買う人を探して欲しい」

 用件はコレクションの処分だ。と言っても5組だけ。

 かなりの希少銭種で、買える人が限られるから、「東京以西で買える人を探してくれ」。そんな要件だった。

 それから東京を含め、複数の古銭会で回覧したが、一枚80万とか百万の品なので、なかなか売れず苦労した。ひと組だけは返品したが、他は何とか納めることが出来た。

 k会長さんより既定の手数料は貰ったが、新幹線代には足りぬ額だった。

 もちろん、不満は無い。それがkさんの病院代になると知っていたからだ。k会長には、いつも良くして貰ったので、「出来れば治って欲しい」と願っていた。

 ちなみに、返品したのは秋田笹二分金だ。k会長のところに「バーサンが来て『買ってくれ』というのでそれを見ると、分金銀が十枚くらいで、その中に2枚入っていた」と言う話だ。限りなくウブに近い状況なのでk会長は真正品だと信じていたようだ。

 私は「幕末の配合ではない」と思ったので、あくまで「良ければ」と回覧に供したが、やはり売れなかった。後に関東のある入札誌に出ていたらしく、先輩から「あんたが出したのか」と言われたが、もちろん、私ではない。それはk会長の没後にご自宅を訪れ、コレクションを買い取った人の所業だ。

 収集家は、存命中にコレクションを処分した例は皆無で、亡くなった後にそれが残ると家族が困る。価値や売却手段が分からぬためだ。そして、死んだ後では、収集品はひと山幾らの水準に落ちる。一説では「買った時の3割2割」で、これは品物が売れるまで十年二十年かかるのが当たり前なので致し方ない面もある。その間、資金が眠ってしまうから金利分を控除すればそんなもんだ。

 これを回避するには、「存命中に当人が売り切る」しかないが、これが出来た収集家は皆無だ。こだわりがあり、なおかつ収集することは人生の一部だったから心理的に出来ない。

 私にせよ、「今月来月に死ぬ」と思ったから、大半を売却出来たが、しかしまだ残っている。これがアンティークの世界だ。なるべく、総てを売り切って死ぬ最初の収集家になりたいものだ。何事も「最初の人」であることには価値がある。

 収集家の嫌なところは、病気の時に見舞いひとつ寄こさないのに、葬式の時には多数が香典を持って現れ、「生前には仲良くさせて頂きました」と言うところだ。

 kさんにしても、自宅や病院に見舞いに来たのは数えるほどで、亡くなった後には百人以上が訪れた。魂胆ミエミエ中尾ミエだ。

 そういうのを見るとむかつくので、私はkさんの葬式には出ず、日を改めてご自宅を弔問した。もちろん、コレクションの話はしなかった。

 地元の誰か(複数)が訪れて丸ごと買ったのだが、NコインズOさんなどは、私が抜け駆けをして丸ごと買い取ったのではないかと考え、古銭会で「そういうことはしてはいけない」と私を叱責した。まさに見当違い。

 そもそも、そんなのは私がするわけがない。直接頼まれた5枚は扱ったが、それ以外は本人か遺族に直接頼まれぬ限り、私の方から「売ってくれ」と申し出るわけがないのだ。 

 k会長とは、その程度の付き合いではなかったから、当たり前だ。

 新幹線で花巻に行くと、k会長は決まって、車で私を盛岡まで送ってくれた。k会長の自宅は矢巾だから自宅を通り過ぎた先まで送ってくれたのだ。

 その時に、若い頃の話などを散々聞かされたものだ。

 私は程なく、kさんが亡くなった時の年齢を越える。合掌。

 

 えらく脱線した。

 みちのくの地方貨を見ると思い出すのが、Oコインズ旧店舗の2階だ。

 箪笥があり、たまにOさんが中を見せてくれた。

 南部の当百銭の母銭とか、地方貨がざらざら入っていた。

 この品もたぶんその中のひとつで、みちのく大会の折に買わせて貰った品だと思う(昔なので忘れた)。

 今はえらく値崩れしたが、業者さんが安価に出しているからだと思う。

 明治以後、絵銭額には必ずこの銭種の銅銭が組み込まれたし、近作の品が多く出回っているから、結果的に真正品の評価がガタ落ちになったのだと思う。

 「偽物を作ってはならない」と言われるのはこのためで、ネットだけで収集する人には皆同じように見えるから、結果的に良し悪しが分からずどれも偽物に見える。

 で、本物を見てもそれと分からず買えなくなる。

 

 この銭種は明治時代に文久山で叺に幾つか出たという記録がある。(書籍を処分したので確認出来ない。自分で調べること。)

 大半が割れ銭欠け銭だったので、「希少な地方貨」と位置付けられた。

 出来が悪かったのは、薄いつくりだったからで、湯が上手く流れず、鋳不足が生じやすいし、出来銭はすぐに割れる。

 このことひとつ取っても、真贋鑑定は容易だ。偽物は一様に厚く仕立ててある。

 これは製作を良くするためだった。鉄銭を薄く仕立てるのには熟練が要る。

 

 その意味では「銅銭と鉄銭の仕様が一致しない」典型的な事例だ。

 この銭種は、銅銭(概ね母銭)と鉄銭の間に連続性が乏しい。

 前回記した通り、「銅銭は銅銭で」「鉄銭は鉄銭で」作った印象となる。

 

 ここで質問だ。

 貴方が持っているその銅銭は、絵銭額を作る時に使用した母型ではないですか?

 要は明治中期以降の作品ということ。何だか銅銭には厚い品が多い。

 

 さて、下値は激安で、「地元返し」が目的なので、そういう人が優先されるされると予め記して置く。業者さんでも安く出しているが、それって検品できるのか?

 見ても良いの?

 ちなみにこの品は偽物値段なのだが本物だ。北奥から一歩も出ていない。

 よって北奥在住か、過去に付き合いのあった人のみが譲渡対象となる。

 

 文久貨泉は、一旦高炉で鉄を取り出した後、もう一度溶かして作成したから(反射炉?)製作が整っている。 

 南部領なら、高炉の湯出口に砂型を直接当てて、溶鉄を直接流し込んでいる。

 「作り方」を観察すると、鑑定は容易だ。

 

追記)いつも記す小話。

 収集家の某氏は末期癌となり、入院中だった。

 その某氏がkさんを病院まで呼びつけた。

 kさんはてっきり「コレクションの処分」に関する話だと思った。

 要は「俺はもう先が短いから、全部引き取ってくれないか」という要件だ。

 ベッドの脇に立つと、某氏が言った。

 「古銭の話なんだが・・・」

 kさんは「ああやっぱり」と思った。

 だが、その次に出て来た言葉は「あんたの持っているあの品を私に譲ってくれないか」だった。

 コレクターは病気で意識朦朧の状態でも、まだ収集欲から解放されぬらしい。

 これはk会長から聞いた体験談だ。