日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

沼宮内城址にて

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岩手町を通り掛かったので、国道沿いの奈良屋さんで、キジ蕎麦を食べました。地元の人も知っているかどうかはわかりませんが、この地では、400年以上前からキジ蕎麦が名物です。
南部氏は、京好みで、料理人や女性を多数、彼の地から呼び寄せましたので、味付けは、昆布-塩系統の薄味がベースになってます。カツオを使っても、キジの味が濃いのでわかりません。醤油は風味付け程度ですので、汁は基本的に透き通っています。

食事の後、店の人に「沼宮内城はどうやって行くのですか?」と聞いたら、「沼宮内城?」と首を捻ります。店員は、近くにいた年配のお客さんに同じことを尋ね、「城跡公園ね」と返されます。
確か、城跡公園と聞こえたましたが、少し表現が違っていたかも。

入り口は、標識を丁寧に見ていかないと、わかりにくくなってます。
この地では、まだ桜が散った頃ですので、訪れる人は少ないと見え、タイヤの痕などもありませんでした。

沼宮内城は、河村民部の開いた城で、代々、三戸-盛岡の南部氏に仕えました。
民部の所領田ということで、「民部田」という地名があり、そこから転じて、民部田さんという名字の方も居られます。今の町長さんも確か民部田さんではなかったでしょうか。

天正19年に、浅野長吉(政)、蒲生氏郷ら遠征軍5万騎が、この沼宮内城に途中滞在し、南部利直ら地元の侍と軍議を開いたと伝えられています。
この城は山城で、平坦な場所が少ないので、人で埋めつくされただろうと思います。
兵糧の手配や、それこそ下(トイレ)まで、まずは大軍の移動を支えることが大問題だったことでしょう。