日刊早坂ノボル新聞

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◎「家族は幸福になるためのアイテムのひとつ」

「家族は幸福になるためのアイテムのひとつ」

 お師匠さまの夢から目覚めると、それまでの息苦しさが解消されており、薬も酸素缶も要らなくなった。

 ぜんそくの強い薬を貰っており、ほんの少し試したが、副作用が強烈なので、薬のせいで腹痛や異常なだるさが起きる。でも、今後はそれを使わずに済みそうだ。

 身体的要因だけではない異常が発生した時には、その別の要因を除くと、一瞬で治ったりする。たぶん、私も「別の要因」が関わっていた。

 

 もちろん、昨秋の稲荷の一件のことで、あれ以来、長らく攻め込まれていたが、今回少し押し戻したようだ。

 もちろん、「お師匠さまが助けてくれた」などとは言わない。

 変化を導くには、本人の意識が重要で、他力ではどうにもならぬこともある。そもそも師匠は「助けてやる」の類のことはひと言も言わなかった。

 

 今回、久々に次女が帰って来ることで、昔のことを思い出したりして、心が安らいだという心境の変化もある。

 悪縁(霊)はマイナス思考が好きで、当人が自らを責めるように導くわけが、逆に穏やかな心や感謝の気持ちを持つと居心地が悪くなるようだ。

 いつも「幸福になるには様々な道筋がある」と思う。

 自身の生き方を踏まえ、将来に「きぼう」を持つ心構えもそのひとうだが、「家族との関り」も重要なアイテムのひとつだと思う。

 

 この二か月は、夜になると息が出来ず、まったく眠れなかった。そうなると、イライラするし、心の中に怒りが溢れるようになる。

 死線を踏んでおり、棺桶の窓が閉まる寸前だったが、そこから幾らか後退できた模様だ。

 死に間際の者が「不可思議な者を観る」という、「夏目漱石シンドローム」も徐々に治まって行くと思う。

 

 平気な素振りをして来たが、「今度こそ必ず死ぬ」と思い、内心ではビビっていた(笑)。

 ま、今は「死後も存在は無くならない」ことを疑うことはないが、家族にメッセージを伝えられなくなるのは寂しい。

 

 ちなみに、この半年でもっとも学んだのは、稲荷村社の傍で「悪縁(霊)が自分に取り憑く時の体の感覚」を得たことだ。

 あの時の「蜘蛛の巣がかかったような触感」を、もはや忘れることはない。

 これを手掛かりに、この周辺の状況を確かめているが、いくらかは応用できると思う。

 要は同じような苦痛に苛まれている人を、今後は助けられるかもしれんと言うことだ。