日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今日はツイてた

今日はツイてた

 今朝、目覚めた時に、最初に思ったのは「俺はツイてた」ということだ。

 「まだ死んでねえや」

 

 最近、いつになく調子が良いのだが、やはり過信は禁物らしい。

 飲食が好調なので、つい摂りすぎになり、水分が過剰になる。この一週間は除水が3リッターを超えていた。

 急激に体から水を抜くと、体内バランスが崩れるから、具合が悪くなる。このため通院後はフラフラした。

 土曜も3.3キロの除水だったが、やはり終わった後に具合が悪い。よろけながら帰宅した。

 

 夕食を出した後、腰を下ろしたのだが、急に鳩尾が重くなった。氷の塊を乗せたような重さだ。

 「こりゃ胸部症状だな」

 要は狭心症だ。

 狭心症は心臓の既往症がある当方なら、当たり前だが、狭心症から心不全に至ると、命に係わる。

 すぐに脇の下もずしっと重くなった。

 かなりヤバイ部類だ。

 頸周りが苦しくなると、救急車を呼ぶ必要がある。

 

 隣の部屋の息子に「俺が返事をしなくなったら、救急車を呼んでくれ」と伝えようと思ったが、息子は眠っていた。

 手足が重くなったので、起き上がることも出来ない。

 手の届くところにニトロ錠剤を置いてあるから、それを取り出すと、薬が古くて、もはや錠剤が粉状になっていた。

 ダメじゃん。

 仕方なく、テレビ台の上に粉をぶちまけ、それを慌てて舐めた。

 (通常は、錠剤を舌の裏に入れて溶かす。)

 「なんだか、映画に出て来るヘロイン中毒者みたいだな」

 と考えているうちに、ふっと意識を失った。

 で、目覚めたのが七時間後だ。

 ああ、良かった。まだ生きてら。

 

 「好事魔多し」を地で行く展開だった。

 つい先頃までは、PCに座れるのが40分だけであとはヘナヘナだったが、今は90分座れる。休憩をとると、さらにもう一度座れる。

 だが、所詮は障害者で、無理は禁物だった。

 一日でせいぜい2セットに留めぬと、体への負荷が大きいようだ。線を少しでも超えると、体がもたない。

 この境遇に対応するために、「一発殴り書き」「推敲や校正を一切しない」で速記する修練をしているのだが、さらにコンパクトに収める工夫が必要のようだ。

 ま、ハンデは「あるのが当たり前」だから、境遇なりに適応して行けばよいとは思う。

 何時かは目覚めぬ時が来るから、常にその心構えを持つ必要がありそうだ。さらに一層偏屈になるが、これはひとつの適応型だから致し方なし。

 

 ちなみに、以上は身体と医療的な話で、この先はあの世話。

 数日前に循環器で受診した後、「最近は調子がよくて」と記したが、その時に仕事部屋の廊下からドア越しに「※※ぞ」「※※ぞ」という声が聞こえた。

 中年以降の男の声で、当家にオヤジ世代は当方しかいない。

 この手の声はいつも聞こえるから、どうとも思わず、「煩えよ。声出すな」と答えていた。

 (この時点で、殆どの人が「引く」と思うが、これが当方の日常だ。もう隠さない。)

 男はドアのすぐ外に立ち、繰り返し「※※ぞ」「※※えぞ」と声を掛けて来る。

 「煩えよ」「声を出すな」と五回くらい返事をすると、その後は静かになった。

 今朝になりようやく気付いたが、あれは「死ぬぞ」「死ぬぞ」「あぶねえぞ」だったのだな。

 

 当方の左後ろには「観音さま(白衣の女)」が居るのだが、それとは別に「男」が立っておりいつもこっちを見ている。

 あの感じは「アモン」だと思う。

 同時進行的に言葉の意味と意図が分かれば、事前に対処出来るから危機を早めに回避できる。

 だが、難点は「先のことなので、その時点では何のことなのかが予想・想像できない」という点だ。

 こういう時には、本来、「死ぬぞ」ではなく、「気を付けろ」と言うべきだから、レトリック的にコイツは「悪縁」で間違いなし。

 いずれにせよ、誰が見ても「アモンは疑いなく悪縁(霊)」だと思う筈だが、当方には仲間(のつもり)らしい。

 とりあえず生きているから、今回は問題なし。