日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎興行は難しい

◎興行は難しい
 観客を集めて入場料を取るビジネスが「興行」ですが、興行会社で5年もつと、「すこぶる優秀」という評価になります。
 十年もつ会社はほとんどないのでは。
 主に資金繰りが問題で、一発勝負の商売には銀行はお金を貸してくれません。このため、民間金融に借りるわけですが、それで足りないと、個人投資家に借りることになってしまいます。こうなるとやはり高利です。
 最後のは、儲かったら即座に利益を渡す必要があるし、儲からなければ高利の負債がさらに増えます。
 客入りが1回悪ければ、それを補填するのに、複数回の利益が飛んでしまいます。

 「興行は一発勝負」と書くと、思い浮かぶことがあります。
 父は三人兄弟の長男でしたが、下に弟ニ人(叔父)がいました。
 このうち上の叔父は、若い頃には不良で、昭和二十年代には、メグロという単車を乗り回す愚連隊だったようです。
 これは家に写真が残っています。
 その後、昭和三十年頃には、子分のような若者を十数人も従え、香具師のようなことをやっていたとのこと。
 父は何か叔父が問題を起こす度に、尻拭いをさせられたそう。

 その叔父が昭和三十年代の初めに思いついたのは、虎の見世物でした。
 知り合いに虎を買っている人がいたことと、これまた知り合いの農家に、売れそうも無い南部牛の子牛がいたので、「その2つを組み合わせる」ことを思い付いたのです。
 要するに、今現在、中国人がやっているような、「虎の前に牛を放ち、食わせる」見世物です。
 そこで、叔父はどこか神社の縁日に合わせ、川の近くの野原に綱と幕を張り、会場をこしらえたのです。
 中央には虎の入った檻が置かれており、そこに子牛を入れて食わせようとした。
 父によると、「もの凄く客が来た」とのことです。
 ま、力道山が活躍していた頃の人だかりを想像すれば分かりよいです。

 いよいよ開始時刻が来て、叔父が檻の中に、痩せこけた子牛を放ちました。
 父は「すぐにでも虎が襲い掛かって食べてしまう」と思ったらしいです。
 ところが、その痩せっぽちの南部ベゴは気性が荒く、虎を見ると、山羊みたいに高い角で虎に突進しました。
 そこは今の黒毛と違い、昔の南部牛は細くて俊敏です。
 虎の方は、生まれてからずっと人に飼われていたヤツだし、獣を襲って食べたことなどありません。
 幾度かつつかれているうちに、ついに虎は檻の隅にうずくまってしまったのです。

 そうなると、収まらないのは客の方です。
 口々に「話が違うじゃないか」と騒ぎ始めます。
 「金を返せ」
 そこで、興行主の叔父を探したのですが、その時既に、叔父は売り上げ金を全部抱えて、姿を消していたとのこと。
 叔父の人生には、こんなエピソードがふんだんにあります。
 詐欺まがいの話も幾つかあるのですが、一度も掴まったことがありません。
 それと、一部にはいると思いますが、叔父は酷いことばかりやって来たのに、殆どの人が叔父を悪く言わないことです。

 この段階で既に物語のようなのですが、総て実話です。
 何せ、この時も父や下の叔父が後始末をさせられています。
 場所については聞いていないのですが、たぶん、盛岡か西根だろうと思います。その辺が叔父の行動範囲でした。
 昭和三十年代、四十年代の話は、「いつか小説にしよう」と考え、ネタを取り置いているのですが、果たしてそう出来る日が来るのかどうか。

 上の叔父は世間の常識など顧みない人で、あらゆる権威を小ばかにしていました。
 どこか痛快な面もあったので、今では懐かしく思います。
 性格的には、私と似ている面が多いのですが、私の方は修行が足りず、「一流の詐欺師」にはなれていません(笑)。