日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

工藤右馬之助の読み方

工藤右馬之助兼綱の名前は、資料によっては、「右馬助」、「右馬之介」、「右馬之亮」などの表記がされています。
表記が違うと読み方も替わり、「右馬助」の場合は「うまのすけ」ですが、「右馬之介」や「右馬之亮」になると「うめのすけ」と読むのが正しい読み方です。
官位官職名が本来の名前の起こりだったとすると、元は「うめのすけ」だろうと考えられますが、この場合、侍の中の侍たる工藤右馬之助の名前としては、音感が「やさ男」的な印象を与えます。
本作では、「右馬之助」と表記し、「うまのすけ」と読むことにしてあります。

南部藩(三戸)サイドの記録としては、鉄砲で傘の柄を撃った人物を「工藤右馬助業綱(なりつな)」とし、九戸戦の後に藩に召抱えられたとしてあります。(南部信直の度量の広さを喧伝するもの。)
しかし、一方では篭城した5千人は「悉く二の丸で焼き殺された」とされており、矛盾が生じます。そうなると工藤右馬之助だって戦死するか、焼殺されていなければなりません。

工藤右馬之助が実在したかどうかはさておき、九戸侍の代表たる武人が己の延命をはかった上で、後に南部に参じるというのは、そぐわない話です。
やはり、「城の中で戦闘中に死んだ」と見なすほうが納得できます。
よしんば、「工藤業綱」なる人物が、藩に召抱えられたことが事実だったとしても、篭城には参加していない一族の者や、あるいは赤の他人が、名前をかたって仕官したということだろうと思います。
また、そうであって欲しいです。
名前も「兼綱」ではなく「業綱」になってますしね。