日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

歴史を直視することの意味

私は1980年頃、数年に渡りヴェトナム人の難民キャンプでボランティア業務に従事したことがあります。
毎年3~4か月程度の滞在でしたが、沢山の「生の声」を聞くことが出来ました。

以下はその時見聞きしたことです。
その当時のヴェトナム難民には、「キムチ」という名前の少女たちがいました。
概ね十代の半ば付近ですので、1960年代生まれです。

「キムチ」とは、もちろん韓国のお惣菜の名前です。
食べ物の名前を子どもに付けるとは、かなり変わっています。
そこで、私はぶしつけにも名前の意味を直接尋ねたのです。
ひとりの母親の答えは、「韓国軍が来て、彼らが持って来たキムチを食べたら、これがあまりに美味しいので、名前に付けた」というものでした。
その頃の私は少年に近い年齢でしたので、疑問に思いませんでした。

しばらくしてから、やはり考えが変わります。
もし、「すき焼き」や「寿司」を食べ、それがいくら美味しいからと言って、自分の子に「スキヤキ」「スシ」と名付けるでしょうか。
まずいませんね。     (「スシ」は可能性がありますが。)
前掲の母親の答えは、何かを隠すためのの言い訳で、取って付けたものです。
全部が全部ではないと思いますが、その多くは「けして忘れないように」という意味で名付けられたのです。

ヴェトナムで韓国兵が何をやってきたかを、中高年のウェトナムの方々に聞くと良いです。
もちろん、なかなか口を開いてはくれないはずで、親しい友人になれた後の話でしょう。
ヴェトナム人が嫌う国民は、圧倒的に韓国人。
誰のせいでもなく、自分たちが蒔いたものです。

昨日より中央日報では「原爆は神の罰」という記事が書かれたという報道がされています。
正直、「一体、どの口がそういうことを言っているのか」と思います。

ま、人のふり見て我がふり直せ。
自分のことはきれいなところだけ見て、拙いところを見ないようにするのは避けるべきでしょう。
反面教師は、すぐ目の前にいます。