日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1121夜 「叫び」

夢の話 第1121夜 「叫び」
 十八日の午前一時に観た夢です。
 前夜の夕食後に二時間ほど眠ったが、その時に観た夢だ。

 夢を観ている。
 昔の出来事をなぞる夢で、俺はまだ三十台だ。

 だが、その夢が「声」でかき消された。
 「あああああ。あああああ」
 すぐ間近で聞こえる。
 声はすぐに大きくなり叫び声になった。二三㍍のところから響く。俺が寝ている場所の窓の外だった。ガラス窓に口を付けそうな位置で叫んでいた。
 声が余りにも大きいので、ここで覚醒。

 目覚めた瞬間、「昨日の女は巫女さまじゃあない」と気が付いた。そもそも着物ではなくコートのようなものを着ていた。
 このところ、あの世がやたら騒がしいが、まるで令和二年の春先の状況に似ている。
 これから起きる事故や災害を暗示している場合があるので、要注意だ。ま、自然災害なら大して打てる手は多くないわけだが。
 私的には「やたら寄り憑きが多い」ことで異常性が分かる。

 

 追記)人込みに出掛ける機会の多い人は「防煙ビニール」をバッグに入れておいた方がよさそう。
 火事の時に、逃げられなくなるのは煙を吸い込んでしまうことによるが、一分で意識を失ってしまう。
 火事が起きた時に、煙が回る前にこれを被ると数分の間は煙を吸い込まずにいられる。その間に安全な場所に逃げる。
 ビニール袋の空気だけなので、長くはもたないから、事前に逃げ道を想定して置く必要がある。
 この袋自体は千円しない値段で買えるし、ホームセンターに行き、大き目の袋を買い置いても代用できる。ただ、ホームセンターには透明の大きなビニール袋は老いていないと思う。概ね色がついているから前が見え難い。

 よく「(恐怖で)全身が氷のように冷たくなった」という表現が用いられるが、目覚めた直後はまさにそれだった。やたら体温が下がっていた。

◎聖地巡礼の支度で高麗神社に参拝(3/17後半)

聖天院にて
高麗神社にて

聖地巡礼の支度で高麗神社に参拝(3/17後半)

 前半に続く。

 神社に駐車場で、ガラス窓の画像を開いて見ると、境内の端を出た辺りに影が映っていた。空中なので、横にある建物(トイレ)の影ではないようだ。境内の外れは崖になっており、崖の外は十五㍍以上の高低差のある窪みになっている。

 拡大して見たが、向こう側の斜面に影が映っている可能性があり、とりあえずこの件は保留にした。私が懸念したのは、この黒い影が人影ではないかということだ。

 何も無い空中に黒い影が出るのは、「黒いひと」の典型的な現れ方で、この「黒いひと」は事実上、死神の仲間だ。過去にこれを目にしたのは、いずれも心臓の具合が著しく悪い時だった。影の端々が放射状に切れているのもその特徴だが、向かいの斜面で映った影であれば、草の影響でそう見える。

 

 だが、逆の左の肩には男の顔が乗っていた。表情に悪意が見えるので、前回、私の左肩に短刀を突き刺したのと同じヤツかもしれん。「稲荷眷属」の障りの時に経験した通り、いざ障りを撒くとなると、相手はかなり執拗でしつこい。

 「まだ面倒臭いことになるのか」

 だが、二枚目の画像には、私を抱きかかえる女性の姿が見えていた。

 小鹿野の「お稚児さま」のように半透明なので見づらいのだが、顔も割合見やすい方だ。髪が胸元まであり、クレオパトラの髪型なので、「巫女さま」にかなり近いが、横顔なので表情がよく見えない。

 私の腕の下に右手を通して、抱きかかえているように見える。

 あるいは、また悪縁から私を守ろうとしてくれたのかもしれぬ。

 ま、性急に結論付ける必要はない。いずれ程なく分る。

 

 それから高麗神社に参拝した。

 こちらの画像では、煙の筋が出ていたが、事実上、あの「蜘蛛の糸」だと思う。

 これは幽霊がひとに接触しようとする時に伸ばす触手のようなものだ。

 だが、顔に掛かっているのに、この日は「蜘蛛の糸」の感触を覚えなかった。

  肌に直接接してはいなかったようだ。

 最後の画像では、内門の下に黒い人影が立っている。

  上半身は見え難いのだが、両脚が出ていた。ここにそれと見紛うような気や柱は存在しないから、上に胴体があると分かる。

 シルエットから見て女のよう。もしこれが確実なら、疑いなく「黒いひと」の仲間だから、よくよく注意する必要がある。

 背後には、いつも通り「でっかい女」と最近寄り憑いた女が見えていた。

 肩口のは目視は難しいと思う。私は「肩を掴まれている」のでそれと分かる。

 こういうのは、当人しか認識出来ないので、説明に困る。

 

 明日の予報は「かなり冷え込む」とのこと。

 聖地巡礼は微妙になって来た。あの「お稚児さま」と長椅子に並んで座り、Vサインをして撮影をしようと思っているのだが、延期になるかもしれん。

 じっくり景色を撮影すれば、前回のように「UFOもどき」の撮影も出来るかもしれん。

◎聖地巡礼の仕度で聖天院に(3/17前半)

聖地巡礼の仕度で聖天院に(3/17前半)

 三月十七日の朝になり、「体調が良ければ、明日秩父に行こう」と思い立った。

 目的は小鹿野の聖地訪問で、あの女児に会うためだ。

 だが、先週以来、私の周囲は加なら騒がしくなっているので、身を軽くして置く必要がある。そこで聖天院に参詣することにした。

 お焼香をして慰めれば、少しは軽くなる。それぞれに向き不向きや好き嫌いがあり、色んな性格・方向性を持った寺社・神社を訪れる必要があるから、あかなかやっかいだ。

 このお寺になかなか来られぬのは、急な階段が百数十段あり、腎臓に難のある者には体調の良い時でなければ登れない。途中で断念し、引き返すことも時々ある。

 入り口の六地蔵でお焼香をし、最初の階段を上がって、小休止。その後も階段を上るごとに休憩を取った。心臓の方は何ともなかったが、膝が笑った。これは運動不足とトシのせいだ。

 本堂の前でお焼香をし、まずは父母が安らかに自我を解放してくれることを願った。

 「子や孫は自分たちで何とかするから、振り返らずどんどん先に進んでください」

 早いとこ生まれ替わって、また会いましょう。

 「それと、後ろについて来ている者はここで降りて貰いますので、宜しく引き取って下さい」

 どのくらいいるか分からぬほどだし、それ以前に今の私は数十万の亡者の群れの中にいる。その中には当然悪意を持つ者も混じっているから、私自身もかなりヤバい状況だ。

 社務所の前を通ると、ガラス窓が眼に入った。そこで自分の姿を目にしたが、例によってそこでヒヤッとした。そういう時には写真を撮り置く習慣なので、とりあえずその場で撮影した。

 境内の奥にトイレと休憩所があるので、ベンチに座り周囲を眺めた。

 この境内には清浄さがあり、心が落ち着く。

 そこで先ほどの画像を点検すると、予想通りのことが起きていた。

 もう一度、ガラス窓の前で撮影し、お寺を出た。(後半に続く。)

◎霊界通信 「巫女さまは何時から?」

◎霊界通信 「巫女さまは何時から?」

 私に危機が訪れた時に、陰になりひっそりと支えてくれるのが「巫女さま」だ。

 ちなみに、これは想像ではなく現実だ。幾つか証拠が残っている。

 ともかく、画像の中からそれらしい人影を時系列的に拾ってみる。

 

①宿谷の滝(2016年6月5日)

 かつては、滝に向かう山道の半ばに「穴」があり、煙玉が乱れ飛んだ。

 他に見物客がいない時でも、常にひとの声が聞こえていた。

 この頃、撮影した画像の中に、渓流の中に女性の眼が写ったものがある。

 私は巫女さまの眼を直接見たことがあるが、よく似ていると思う。

 だが、この渓流の眼の持ち主は、十七八の若い女性のように見える。

 巫女さまは二十台の半ばから三十歳の間に見える。

 ちなみに、記念写真として撮影したが、最初に気付いたのは男児の存在だった。

 眼の右側に立っていたのだが、その男児を見た時に視線を左に移したら、この目があった。こういう画像は時の経過と共に薄れるので、いまではほとんど分からなくなった。 

 何時も声が聞こえていたが、その中のひとつは「自分は高校生だったが、都心に遊びに出たら、そこで男に捕まり、別荘のようなところに連れて行かれ、そこで殺された」と言っていた。北関東のどこかで育った娘のようだ。まだ発見されていない筈で、今もどこかの別荘の床下に眠っていると思う。

 

 この地にあった「穴」(この世とあの世の交流点)は一年くらいで消えた。

 穴がある時に、家人が不用意にその方向に近づこうとするので、「そっちに行くな」と厳しく伝えたことがあるほどだが、今は何も起きず、声も聞こえない。

 

②御堂観音(2017年7月27日)

 これは幾度もこのブログに書いた。

 国道を南下中に持病の筋膜腫が痛み出したが、岩手町の御堂観音に差し掛かった。

 すると、「ここで湧水を飲めば病気が治るよ」という声が響いた。

 その声に従って、神社に参拝し、「ゆはずの泉」の水を飲んだが、痛みがそれで治まった。(筋膜種自体がその後数か月で完治した。)

 この時撮影した画像には、様々な者が写っていたが、草の陰から女性がこっちを見ているものがある。年格好は巫女さまに似ているが、こちらは矢巾の人だったらしい。(本人がそう言っていた。)

 その後、上京する折に、カーナビが勝手に作動して、矢巾町墓所に連れて行かれた。高速に乗ったのに「降りろ」という指示があり、導かれるまま進んだら、その先が古い墓地だった。そこで、お茶を供えて、ご供養をした。女性は親族の許に帰りたかったのだ。

 国道で最初に声を掛けたのは、七八歳の子どもの声だったから、これもこの女性とは別だと思う。子ども、草の間の女性、巫女さまはそれぞれ別だ。

 ちなみに、日輪のような玉が写った画像があるが、カメラのファインダを下に向けてもこれが見えていたので、日光がレンズに反射した像ではないと思われる。いわゆる「光玉」だ。奥行きがあり、濃淡も違うから、実際のところ日輪とは出方が違う。 

 

③小鹿荘の眼(2019年1月13日)

 小鹿野町の小鹿荘は、いまや私にとっては聖地のひとつ。

 つい最近、この画像の右下に女児が写っていることに気付き、もう一度女児に会うために小鹿荘を訪れたのだが、そこでもきちんとこの子が現れた。前に報告した通りで、「着物にちゃんちゃんこ」を着た姿がすっかり同じなので、同じ女児だと思う。

 この画像には、上の方に「女性の眼」が写っていたので、下部にいる女児のことまで気が回らなかったのだ。

 女性の「眼」の方は、年格好が巫女さまに合致しているし、私にとっては「福の神」でもある女児に近い存在らしいから、あるいはこの女性かもしれぬと思う。

 だが、実際の巫女さまの視線はもっと冷徹で、むしろ最初の滝に出た「眼」に近いと思う。

 もっとも、あの世の者たちは、感情の持ち方が生きている者とは違うので、どの幽霊を見ても一様に怖い。悪しき者でなくとも、何とも言えぬ迫力を放つ。

 

 

 ここでさらに気付かされたが、もしかすると、御堂観音で私に声を掛けたのは、このちゃんちゃんこの女児かもしれぬ。そもそも、かなり前から私と一緒にいる者かもしれぬのだ。この子の表情は父や祖母に似ている。

 「ガラス窓にはあの世が映る」ことに気付いたのは、割と最近のことだから、数十年前にさかのぼることは出来ないのだが、探って行けば巫女さまや女児(お稚児さま)がどういう経緯で傍まで来るに至ったのかが突き止められるのではないかと思う。

 「自分が助けられていることに気付いた」ことさえ、最近の話だ。

 

 さて、ここで明言させて貰うが、「あの世(幽界)は皆さんがこれまで知識として持っているものとは全然違う世界」だ。宗教も霊能者もごく一部の断片的なことを見て、大半を想像で語っている。多くは恐怖を伴う話なのだが、それは「何ひとつあの世の実相が見えていない」ということだ。目前の現象面だけ見て語っている。

 程なくそれを実証して見せようと思う(あの世が何かを出して見せる)が、最大の問題は、「私の余命がこの先どれくらい残っているか」ということにかかっている。

 また、巫女さまたちのように支援してくれる者もいれば、「稲荷眷属の僧侶」や、今回の「短刀で一刺し」のように妨害しようとする勢力もある。事実を見せぬ・知らせぬことで恐怖心をあおるのだが、恐怖心は悪縁がひとの心を支配する重要な武器になっている。

◎夢の話 第1120夜 「雀荘にて」

夢の話 第1120夜 「雀荘にて」
 十六日の午前二時に観た夢です。

 我に返ると、俺がいたのは雀荘だった。俺は三十台だが、知人の会社社長に誘われ、よく卓を繋いだ。
 この社長に融資を受けていたから、事実上、営業もしくは接待だ。仕事がキツいのに、接待に駆り出されるから、体が痛む。
 おまけに周囲は俺が「仕事を疎かにして遊んでいる」と思っていただろう。だが零細企業に銀行は金を貸さぬから、これも資金繰りのためだった。

 その社長が対面に座り、上家が五十台半ば過ぎのオヤジだった。
 このオヤジの仕事はマンション経営で、いつもぶらぶらしている。親から貰ったマンションの家賃収入で暮らしているわけだが、仕事らしい仕事が無く、毎日麻雀を打っていた。
 下家はいわゆる雀ゴロで、四十台半ばくらい。コイツは年季が入っている分しぶとくて、コツコツとツキを引き寄せる。
 千点、千五百点を延々と上がり、何時の間にか二着。ツカない時でもラスは引かず、三着に上がる。最も嫌なタイプだが、博打は打てば打つほどツキが薄れるから、年齢と共に大勝ちが出来なくなって行く。上手さと強さは反比例するわけだ。
 「面倒臭いメンバーだな。こんなんならヤクザ者の方がやりやすい」

 ここで我に返る。 
 「俺が麻雀を止めて二十年は経つから、これは現実ではない。きっと今は夢の中なんだな」
 実際、もう十二時間くらい打っていると思うが、外は暗いままだ。
 いくら時間が経っても、夜が明けて来ない。

 「してみると、これは夢か」
 ここで上家のオヤジに目を遣る。
 確かコイツは・・・、死んだよな。
 毎日、煙草を吸い、麻雀を打つ生活を送っていれば、五十台で体を壊すのは当たり前だ。確か心筋梗塞だか脳梗塞で死んだはず。
 ここにマスターがコーヒーを運んで来た。
 「わ。このマスターも」
 死に間際に麻雀を打ったっけな。
 二日の間打ち続けていたのだが、途中でこのマスターがメンバーと替わり、マスター自身は長椅子で寝始めた。
 そのうち、鼾が異常に高くなり始めた。脳出血で、朝に救急搬送されたが、病院に着く頃には死んでいた。

 「おいおい。これはもしかして夢じゃなかったりするかもしれん」
 いつまで経っても夜が明けぬのは、そういう世界にいるのかもしれんぞ。
 実際、死者が複数混じっている。
 バクチばかりしていたヤツが死ねば、当然、成仏など出来ずに「死出の山路」に向かう。その峠の先にあるのは幽界で、そこの住人は幽霊たちだ。幽霊は、それぞれ自らの思い描いた世界の中で暮らしている。こいつらは死に間際の暮らしぶりが影響して、そのまま麻雀を打ち続けているのかもしれん。
 「俺はそんなところに迷い込んだのか」

 ゲンナリする。

 「死出の山路」には幾度か入り込んだことがあり、峠も数度越えた。峠の先には、生前の世界と殆ど変わらぬ世界が広がっているが、微妙に景色が違う。これはその場所が当人の記憶から構成されているせいだ。
 幽界にはもちろん、複数の者がいるが、めいめいが自分の思い描いた世界で暮らす。 

 接点があり、交流もあるが、共通する部分だけの話で、見ているもの・見えるもの・見え方は、その者によってさまざまだ。

 「対面の社長はまだ生きていると思ったが」
 最近は「会長」に退き、自適の生活を送っている筈だが、生きていれば八十台半ばだ。
 下家の雀ゴロだって、そうは長生きしそうになかったぞ。

 ここでまた真実に気付く。
 「こいつらは皆死人だ。社長はトシだから死んでいてもおかしくない。そして」
 下家のコイツは、最近になり死んだのだな。
 俺はすぐにマスターを呼んだ。
 「マスター。次にここに入ってよ。俺は腹が減ったから外で飯を食って来る」

 「カレーくらいならすぐに出せるよ」と答えが返って来た。

 「いや、俺は天津丼をゆっくり食べたいから、中華屋に行く」
 無難にこの場を離れ、峠道を戻らねばならない。
 ここに居続けたら、元の世界に戻れなくなってしまう。
 幸い、俺はさっきのコーヒーに口を付けてはいなかった。
 「ああよかった。この世界で飲み食いするのは絶対ダメなことだからな」
 店の階段を駆け下り、俺は小走りで道を急ぐ。
 ここで覚醒。

 あの世に長居は禁物だ。ここには変なヤツが沢山いるから、俺は小走りで走りながら「無難に元の世界に帰れますように」と強く念じていた。

◎病棟日誌 悲喜交々 3/14 「無法松の一生」

病棟日誌 悲喜交々 3/14 「無法松の一生
 朝、検量に行くと、例によって担当が介護士のバーサン。
 「阪東妻三郎です」
 「うーん。忘れた」
 まじかあ。
 「阪妻はほれ。田村高廣さんや正和さんの父親で」
 『無法松の一生』を全国区の物語に押し上げたのは、阪妻の力によるものだ。阪妻映画の『無法松の一生』は、大学生くらいの時に観たが良い映画だった。九州の小倉が舞台で、トーホグの人間には別世界だった。
 息子の高廣さんも舞台で演じたが、これがすこぶる良くて、小学生の当方は舞台中継を観て泣いた。さすがに阪妻の最盛期のことは知らない。そもそも映画は戦前のものだし。
 この後、十幾人も松五郎を演じたが、やはり阪妻田村高廣が一番だと思う。キャラ的には勝新が合っているが、勝新は人力車夫って感じではなかった。

 ここですかさず切り返しが来る。
 「赤木圭一郎は知ってる?」
 「知ってる。でも事故で死ぬ前のことは知らんけど」
 赤木圭一郎が亡くなったのは、昭和三十年台半ばだから、その頃思春期を迎えている。十二歳くらい。バーサンは昭和二十三年から五年の間に生まれたんだな。
 阪妻が亡くなったのは昭和二十八年頃だから、バーサンはまだ小学生になるかならないかだ。赤木圭一郎が三十六年頃。
 ちなみに、阪妻はアラ五十歳、赤木はまだ二十三四で亡くなった筈だから、まさに「人生を駆け抜けた」だ。
 昔の人は皆がこうだった。

 当方など、無為にグダグダと永らえている。
 トシを取ったら「反省は毒」だから、ここで考えるのを止めた。共通点があるとしたら「無法」だったということだけ。
 酒の飲み方もまさに「無法松」だった。朝から台所で飲んだ。

 ベッドに戻り、ガラモンさんのところにホワイトデイのお返しを持って行った。ガラモンさんはかなり痩せて、外見が若返った。(と言ってもたぶん年下だ。)
 茶髪を止めて頭が黒くなったが、そのせいか何だか髪が増え若返ったような印象だ。
 だが、しばらく後でガラモンさんのベッドの方に眼をやると、枕元に髪の毛が置いてあった。ウィッグだったわけだ。
 髪の毛の量は外見的若さに強く関係するらしい。
 じゃあ俺も(w)。

 病棟は退屈なので、ビデオデッキを復活させ、『無法松の一生』なんかを観ればいいわけだ。だが、レンタル店にはたぶん置いていないから、買う必要がありそうだ。
 『無法松』は三船敏郎さんや勝新など、多くの役者さんが挑戦しているから、これらを比較できる。映画は四本だが、舞台やテレビドラマを含めれば相当数残っていそう。

 

追記)この日、ちょっとショックだったのは、時々、食堂で一緒になる女性患者の姿が消えていたこと。たぶん、五十台だったと思うが、最後に食事をする患者の一人だ。
 食が細く、ひと口二口で止めてしまうので、見るに見かねて、「豆腐飯」などのつくり方を教えた。
 話し方やしぐさで「夫とは死別した」「親と同居している」ことなどが推察される。(確かめたことはない。)
 トシを取ると、次第に孤独になってゆくが、この人にも影があった。
 この日、ベッドの前を通りかかると、別のジーサンが入っていた。
 そこで「そう言えば半月前から姿が見えなかった」と思い出した。

 この病棟では転院はほとんどない。透析病棟は、探すのが難しく、かつどこも満員だ。いざそこに入ったら、そこで死を迎える。
 たぶん、入院病棟に居るのだろうが、戻って来て欲しい。

 ここはとにかく、次々に新しい患者が来て、そして去ってゆく。病棟の三分の二は見知らぬ患者だ。

 あの女性患者の状況を見て、つくづく「ひとは食えなくなったらヤバイ」ことを痛感した。
 当方の最大の危機は一昨年で、うっかり「稲荷の神域に立ち行った」ことで体調を崩した八か月間だったが、食事がほとんど摂れず、横になることも出来なかったので、あっという間に十二キロ痩せた。痩せたのはわずかふた月の間のこと。
 その二か月は酸素ボンベを抱えていたが、そこから戻って来られて良かった。
 今はもちろん、その時よりも、半年前よりも調子が良い。と言っても「障害者なりに」という程度だが、この数年で初めて「半年後くらいにもきっと生きている」と思う。ま、心臓をひと突きされたら分からんが、当方には巫女さまがついているから。

 多くの人は「突然死は予測できない」と思っているかもしれぬが、事故や事件の時でも必ず予兆がある。身体的予兆もあるが、あの世の予兆はもっとはっきり出る。

 ひとの死をいち早く悟り、幽霊が沢山寄り憑いてくるからだ。
 当方があの世観察をするのは、実際に「死期を遠ざける」効果があるからということ。
 ま、自分自身とあの世を「あるがままに受け止める」のは難しい。とりわけ、自分自身の姿を正しく認識するのは至難の業だ。願望欲望で目が曇る。

◎古貨幣迷宮事件簿 「サムハラ銭」

古貨幣迷宮事件簿 「サムハラ銭」

 まじない銭のひとつで、兵が戦地に赴く時にお守りとして持参した。

 敵弾が「当たらぬ」ことを祈願するもの。

 

 語源はサムハラはサンスクリット語の saṃvara (「三跋羅(さんばら)」)という言葉に由来する。「三跋羅」は「身、口、意の悪を防ぎ、六根をまもる」の意。

 画像は出征兵が復員の時に頸に下げたものだが、生き残り持ち帰った現物なので、縁起が良いと考え、車の鍵に付けている。

 意味は同じく「当たらない」で欲しいから。

 

 だが、週末に馬券を買う時には、当たり前だが、この御守りは体から遠ざけている。

 「当たらない」のでは、この場合困ってしまうからだ。

 ちなみに、年度が替わるので、財布にお守りを入れることにした。
 紙で包んであるのはお清めの塩で、右はお金を呼び込むための金貨。

 

追記)もう少し掘り下げる。

 「サムハラ」の起源については、古代朝鮮語の「生きなさい」が語源という説もあるが、概ねこれは作り話だ。「音が似ている」ということで起源を主張するのは、半島流の考え方で、今や朝鮮は彼ら流に言えば、「宇宙の根源」になっている(w)。

 こういうのはナンセンスで、今に繋がる事実があって初めて起源となる。

 明治以降の朝鮮軍人が「サムハラ銭をお守りにしていた」という事実は皆無なので、ただ「音感が似ている」だけ。そもそも併合時代に半島に徴兵制が布かれたのは大戦末期になってからで、朝鮮兵は志願兵しかいなかったが、誰一人「サムハラ」「サムハラ銭」を伝える者がいなかった。

 

 「サムハラ」は常用漢字ではなく神代文字なので、カタカナ表記になっている。

 文字が無いから活字に出来ないのではなく、「してはならない」とされているらしい。

 この「サムハラ」の起源を、「サムハラ神社」の奉文から紐解くと、「サムハラ大神は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高皇産霊神タカミムスビ)、神皇産霊神カミムスビ)の三神の総称。 高皇産霊神の「あらゆるものを生み、むすび、調える」という三つの意味に通じる」とされている。