◎黒い服の女
一月二十七日に撮影した「防護服(または防火服)の男」を見直しているうちに、たまたま反対側に目が行った。
すると、霧の向こう側にうっすらと人の影が見える。
ま、これくらいだと、もはや「気のせい」の領域だ。防護服の男は、誰が見ても人影だと分かるが、こちらはよほど見慣れていないと分からない。
最も目立つのは、右側上部の女が叫んでいるところだが、これは室内の人形の頭と胴体が光り、たまたまそう見えるのだと思う。
重要なのは、その陰に立っている「黒い服の女」だ。
目立たぬように、陰に隠れているのは、「性質の悪い」ヤツの典型だ。
しかし、このシルエットは幾度か見たことがある。
ここ最近の話だ。
そこで、二十七日以降の画像を点検すると、同じ服装をした女が見つかった。
二月十一日には、この女は屋根の上に立っていた。屋根を隠しているので「上にいる」のが分かる。
ま、顔が反射光で隠れているし、これも「気のせい」の領域だ。
二月二十一日の画像では、黒い服の女は空中に浮いているように見える。
狛犬の影を侵食しているから、この狛犬より前にいるということだ。
しかし、念のようなものは無いから、自殺者ではないと思う。あるいはフェイクかもしれん。要するに、常に気にかけているので、それと信じ込むというパターンだ。
これもはっきりしないのだが、認識できる人はできると思う。
問題はここからで、「もしこの女Aが、どれも同じ女だったら」という話になる。
最初の画像では、防護服(または防火服)の男が割と鮮明に写っていた。
こういう服装の人が神社に参拝することはないから、「普通ではない」と分かるのだが、何か事故や災害の到来を報せているのかもしれん。
黒い服の女は子どもたちを抱き抱えている。
これが暗示するものは、やはりあまり良い話ではない。
二十七日の画像では、例によって当方は背後から手を回されて掴まえられている。
しかし、まあ、これはいつものことで、当方から先方が見えるのと同様に、先方からも当方が見えるという意味だ。
「スペードの女王」(もしくは「死の女王」)が降り立つのは、災禍の前触れだから、当方はもちろん、皆がよくよく気を配る必要があると思う。
多分、これは警告だ。ま、防護服の男の姿だけで、そんなことは分かり切っている話ではある。
これが「ただの妄想癖の変人が思い描いたデタラメ」ならそれに越したことは無い。
この手のには頻繁に苛まれているので、「またか」と思い違いをすることもよくあるから、「ただの思い違い」であってくれればよい。
何も起きぬ、平凡な日常こそが幸福の源泉だと思う。