日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第794夜 夢の世界の遍歴

◎夢の話 第794夜 夢の世界の遍歴

 十一日の午前四時に観た夢です。

 

 我に返ると、どこか知らぬ駅の構内にいる。

 自分がどこかに行こうとしていたのは確かだが、よく思い出せない。

 そのまま立っているのもなんだから、外に出ることにした。

 ポケットに切符が二枚入っていたから、改札ではそれを二枚とも機械の中に入れてみたのだが、すんなり受け入れてくれた。

 料金不足の場合、どうすれば分からなかったので、ほっとした。

 外に出て駅を眺めると、その駅は時々、鉄道に乗り始める駅だった。

 

 「この駅は夢に出て来る駅と同じだ。してみると、これは夢か。俺は今、夢の世界にいるのか」

 俺は頻繁にこの世界の夢を観る。

 よくあるのはこんな展開だ。

 バスかローカル線に乗り、この駅に着くと、俺は路線を乗り換える。

 行先は家族の住む街だ。

 しかし、この日は方向が逆だった。

 「この駅を降りて、俺はどこに行こうというのか」

 途方に暮れる。

 

 すると、頭の奥底で「大学の図書館」という言葉が閃いた。

 なるほど。それほど遠くないところに大学があったな。

 何か昔の資料でも調べるつもりなのか。

 大学の方角は何となく分かる。

 「バスに乗った方が早いが、ここのバス路線は複雑だったな」

 バス停が分かり難い上に、路線図なども掲示されていない。

 「大学はそれほど遠くない。歩こう」

 微かな記憶を頼りに歩き出す。

 

 込み入った街路を右に曲がり左に曲がりして、ようやく大学の近くにやって来た。

 「いったいここは何と言う大学だっけな」

 思い出せない。

 最後のビルの角を曲がると、その大学だ。俺がその角を曲がってみると、しかし、そこは工事現場だった。

 何か大きな建物を壊し、基礎工事をやり直している。

 「確か、ここが大学ではなかったか」

 いずれかの教室で講義をした記憶がある。

 「だが、もう大学は無くなっている」

 なるほど。もはや俺の心の中では、大学はもう「どうでもよくなっている」わけだ。

 すると、やはりこの世界は、俺の心境やら記憶を組み替えて作られているということだ。

 

 「はて。この先はどうしよう」

 俺が望めば、その望んだとおりの記憶が蘇るはずだ。

 ま、つい直前まで、何かを「調べよう」と思っていたことは確かだ。

 ここで不意に昔のことを思い出した。

 小学生の頃、同級生女子の家に行ったことがあるのだが、蔵の前に立つと、妙な圧力を覚えた。

 蔵が無言で俺を圧迫しようとしている。そんな気分になったのだ。

 「なるほど。あの踏み石だ」

 蔵の手前に岩を削って平たくした踏み石が並んでいるのだが、その最後の石の下に、誰かが何かを埋めている。そんな光景が思い浮かんだのだ。

 うすらぼんやりと状況が見えて来る。

 そこに何かを埋めていたのは何代か前のそこの主人だ。

 その家を訪れた「誰か」を殺し、何か書付のようなものを奪ったが、相手の持ち物をそこに埋めた。

 屍はどこか遠い山の中に捨て、手回り品は焼いたのだが、捨てずに隠したものもある。

 「要するに、それは金ということだ」

 その客は何かの書き物と金を持ってそこに来た。

 主人はその客を殺して、本来の目的である書き物を手に入れたが、金も多額だった。

 捨てるには忍びない額だから、子孫のためにそこに埋めたのだ。

 「五十両か百両か、だいたいそんな額だ」

 そんなことをすれば、何時かは没落することになる。

 普通の人の想像と違うのは、相手を殺した時に悪縁が寄り付いていて、その悪縁が身近にいる時には、逆に隆盛する。実際、その主人も数代後の子孫までもどんどん資産を増やし、この地方一番の資産家になった。

 「悪縁が狙っているのは、心の方だからな」

 死んだ後に、確実に地獄に引きずり込む必要があるから、現世利益を散々振り撒き、深くものを考えぬように、考えられぬように仕向ける。

 成功者は「総てが己の能力の為せる業」だと思い込み、自らを省みることが無くなる。

 それが地獄への近道になる。

 

 「確か俺の同級生は、ダンナに先立たれ、実家に戻っている筈だったな」

 小判百両あれば、供養塔ひとつくらいは建てられる。

いずれ教えてやることにしよう。

 

 次に浮かんで来たのは、その主人が盗み取った書き物のことだ。

 「何か秘伝書のようなものだな」

 すぐさま頁をめくる様子が見え始める。

 

 内容は、真言、すなわち呪(まじな)いに関するものだった。

 修験道陰陽道などで使われる主要な呪いを、普通の話し言葉で記してある。

 梵語や古語ではなく、日常会話的に記してあるのだ。

 「お経や祝詞ではなく、普段話す言葉で言えというのは、俺の主張と合致するなあ」

 例えば、「生霊」の封じ方だ。

 もし「生霊」が出た時には、こういう段取りで、こういう祈祷を行えば、念を返すことが出来ると書いてある。

 「こりゃ随分役に立つ内容だ」

 ぱらぱらとめくると、様々な対処法が詳細に書いてあった。

 しかし、文字が細かくて、よく読めない。

 疲れているのか。

 

 すると、ここで初めて声が響いた。

 「ゆっくりと休むことです。あなたの体ではもう無理はできない。頑張らずに、休みを取り取り、自分なりに進めばよいのですよ」

 なるほど。眼が霞んで文字が見えないんじゃ、そもそも読めやしない。

 「よし。これからはとにかくゆっくり寝ることを心掛けよう」

 気が付くと、俺は手の上にその書き物を持っていた。

「ああ良かった。今後は時々、これをじっくり読むことにしよう」

 もはや真言祝詞などは、一切頼らなくともよくなる。

 ここで覚醒。

 

 最後に声を掛けたのは、先日、「薬を控えろ」と告げた女性だった。

 「御堂さま」とは別の女性で、「御堂さま」ほどの圧迫感はなし。

 (もちろん、あの世の住人だから、姿かたちは多少薄気味悪いだろうとは思う。)

 夢の本筋はともかく、「無理にやり遂げようなどとは思わず、やれるように進める」というのは、現状では理に適っている。

 今の当方はおそらく健常な者の三割も動けぬと思うが、そのことで焦ってはダメで、ゆっくりと休息を取り、やれるように取り組めということ。

 元々、不眠症気味で、一二時間ずつしか眠れぬ性質だが、最近は割と長く眠れるようになって来た。もちろん、体力的に持たぬためだ。

 それでも、四五時間も眠った後は、爽快な気分になっている。

 

 秘伝書は平易な言葉で記してあった。

 この後はゆっくりと夢の中で開いてみようと思う。

 つい最近、当方自身にも起きたことだが、ほんの些細な手立てで、「ある一瞬に事態が一変する」ことがある。