日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎『怪談』 第十話 娘を失った父親の話

◎『怪談』 シリーズについて  

『怪談』には原則として実話ベースの話を収録している。作品として公開したものもあり、また未公表のメモ程度のものまであるが、作品化したものについては記名してある。

 この話は「夢の話」を採録したもので事実ではない。あまりにもリアルな夢で魘されて起きたので、強く印象に残った。内容は起床直後に記したメモ書きのままで、作品ではない。

 

◎『怪談』 第十話 娘を失った父親の話 

 私は物書きの端くれですが、生死について強く関心があり、ひとが死後に迎えることの事実を検証するために取材を続けています。

私がこの事件の取材を始めてから、もはや1年になります。

 事件に関与した者で、直接面談が出来るのは、父親一人だけです。

 当事者のうち、高橋という祈祷師と娘は亡くなり、母親は精神病院に入院しています。

 ひとまず、父親より聴取した内容を記しておくものとしました。

 以下はその父親が私に語った話です。

 

 あれは、私の娘がちょうど3歳になった頃のことです。

 それまでは、いつもニコニコと笑顔を絶やさない女児でしたのに、ある日を境に状況が一変したのです。

 秋の日の昼下がりのことです。

 娘の麻亜沙は、陽が当たる窓際に座って、外の景色を眺めていました。

 休日でしたので、私はソファに、そして妻は台所で炊事をしていました。

 娘は小一時間もの間、木々が風邪に揺れるさまをただじっと見続けていたのです。

 しかし、突然、我に返ったように、娘は体をぶるっと震わせました。

 そして、はっきりした言葉遣いで叫びました。

 「これはどうしたことだ。俺は何故ここにいるのだ」

 娘は後ろを振り返ると、私の姿を認めました。

 「お前は誰だ」

 私はそれこそ仰天しました。何故なら、それまで娘はまだ片言しか話せなかったからです。それが突然、大人が話すように語り始めたのです。

 

 「麻亜沙。俺はお前のお父さんだよ。お前は私の娘だ」

 娘の表情がたちまち険しくなりました。

 「何だと」

 娘は自分の手を見詰め、立ち上がって足腰を確かめます。

 「こりゃどうしたわけだ。何でこんなことになった」

 そう語る娘の口調は、まさに中年男のものでした。

 そこで、私は思わず、台所に声を掛けたのです。

 「おい、母さん。ちょっとこっちに来てくれ。麻亜沙が変なんだ」

 その呼びかけに応じ、妻が出て来ました。

 「どうしたの?」

 「麻亜沙が急に話し始めた。それがどうも変なんだ。おかしなことを口走っている」

 妻は娘に近寄り、抱き上げようとします。

 「麻亜沙ちゃん。どうしたんでちゅか?」

 すると、娘は不機嫌そうに顔を顰めました。

「おい。俺のことを餓鬼扱いするな。このクソババア」

 妻の動きが止まります。

 「え」

 この時、娘の二つの眸はくるくると動いていました。

 娘は娘で自分の状態に困惑し、あれこれと考えている風だったのです。

妻は驚き、思わず言葉を停めました。

「麻亜沙ちゃん」

 「うるせえ。俺の傍に寄るな。俺の邪魔をすると、ただじゃあ置かねえぞ。黙ってあっちに行ってろ。それと、何か食い物を持って来い」

 私ら夫婦は、もはや声も出ません。

 わずか3歳の子どもが、こんなことを言いますか?

 

 妻は慌ててオートミールを用意して、娘のところに持って来ました。

 娘はそれを一瞥すると、すぐさまお皿を引っくり返したのです。

 「ふざけるな。こんなものが食えるか。飯と何か塩辛いものを持って来い。干物を焼いたのとかだ。分かったか」

 そう言うと、娘は妻の頬を張ろうとしました。

 それでも、まだ3歳ですから、手が届きませんし、力も微々たるものです。

 空振りをすると、娘は舌打ちをして、床に腰を下ろしました。

 「どうしてこんなことになっちまったんだ。こんな体じゃ何も出来んぞ」

 

 この時、娘はまだ3歳でしたので、私たちはことの重大さを、まだ甘く見ていたのです。

 幼少期の心の問題として、子どもが大人のような話し方をする症例があると聞きます。

 それも成長の過程で、また適切な投薬をすることで、次第に良くなるとされています。

 でも、私たちの娘の場合は違いました。

 子どもらしい振る舞いをしていることもあるのですが、それが時々一変します。

 娘はある一瞬を境に、まるで別人になってしまう。

 いざ人格が替わると、娘は3歳の女児ではなくなってしまいます。40歳くらいの男性そのものの言動をするようになるのです。

 しかしそれも、最初は週に1度くらいでした。その時は驚かされますが、しかし数時間で元の子どもに戻ります。

 このため、保育所で相談したりもしたのですが、第三者がいる前では娘の人格が替わることもありませんので、結果的に対策が遅れてしまったのです。

 

 麻亜沙が4歳の時に、あの暴力が始まりました。

 最初は保育所でした。所に居る時に娘の人格が替わり、ささいなことで娘をからかった男の子を傷つけたのです。

 そして、それを止めに入った保育士のことも、遊具を使って殴りました。

 二人は顔を何針か縫う必要が生じるほど傷付きましたので、娘は退所させられてしまいました。

 私は娘を家に連れて帰り、思わず漏らしました。

 「成長期の気の迷いかと思っていたが、どうやら治療が必要になりそうだ」

 すると、それを娘が聞いていました。

「ふん。何が病気だ。俺は病気なんかじゃねえぞ。これが本当の俺さまだ」

 私は始めて、自分の背中に悪寒が走るのを感じました。

 

 ここで私たちは、娘を病院に連れて行くことにしました。

 ところが、この判断は遅すぎたのです。

 医師の前に座る娘は、4歳の子どもらしい子どもで、異常性の欠片をも見せることがありません。

 このため、私たち親がいくら説明しても、医師はまったく信じないのです。

 それどころか、「日頃何かあなた方が困っていることはあるか」など、私たち親の方に眼を向ける始末です。

 家に帰ると、娘はいつものように豹変しました。

 「俺を病院に閉じ込めようとしたんだろうが、そんなのは無駄だ」

 そう言って、娘は家具を倒し、物を壊し始めます。

 皿やコップを私たちに投げ付けるのです。

 「俺はいつもコイツの中にいる。子どものふりをしていたのは、そういうように装っていただけだ。だから、俺はお前たちが何を相談していたか、全部知っているぞ」

 それまで1年の間は、娘の人格が替わるのは週に一度だけでした。でも、娘の中の「男」が言うには、その間も男は目覚めていて、じっと私たちを観察していた、と言うのです。

 

 「どうも麻亜沙の中には、何か別のものが棲んでいるようだ」

 相手が娘だけにはっきりとは口にしませんが、私の頭の中には「悪霊」という言葉が浮かんでいました。

 そして、それを決定付けたのは、ある夜の出来事です。

 その時、私は居間のソファで眠っていました。ソファに座って考え事をしているうちに、何時の間にか寝入っていたのです。寝入り端にリモコンで照明を消しましたので、居間は真っ暗でした。

 しかし、深夜2時ごろに、私は物音で目を覚ましました。

 すぐ隣の台所の方から、何やら引き出しを開け閉めする音が聞こえて来たのです。

 私がソファの端から覗いて見ると、台所にいたのは娘でした。

 娘は灯りも点けずに、キッチンの引き出しを開けて、中を覗いていました。

 そして、そこにあった出刃包丁を取り出しては、刃先をじっと見詰めていたのです。

 4歳の子どもが包丁を眺めているさまなど、まさに異常としか思えません。

 その時、私は直感で、娘が私たちを殺すことを考えていると思いました。

 

 それから、私たちは娘の治療を諦め、祈祷師の許を訪れました。

 最初の祈祷師はにこやかに笑ってこう言いました。

 「そういうことなら、私は簡単に除霊出来ます。私の霊力を持ってすれば、どんな悪霊も退散します。料金は祈祷を行う毎に50万ほど掛かりますが、普通は1回か2回で元通りに戻ります」

 それを聞いて、私たち夫婦は安堵したのです。

(この方にお願いすれば、娘が良くなるかもしれない。)

 そう信じたのです。

 

 その祈祷師は小原と言いました。

 小原師は我が家に来ると、泰然とした物腰で娘の前に座りました。

 「これから麻亜沙さんの中にいる悪霊を追い出します」

 そして、祝詞を始めました。小原師は弟子二人を引き連れて来たのですが、その二人も小原師の後ろで同じ祝詞を唱えます。

 すると、たちまち、娘が苦しみ出しました。

 「ううう。何をする。俺を苦しめようとするヤツは誰だ」

 「私は祈祷師の小原だ。よく聞け、この悪霊め。早くこの娘の体から出て行け。さもないと死霊払いの祝詞をもって、お前を消滅させるぞ」

 「うわあ。止めろ、止めてくれえ」

 娘が苦しそうに転げ回ります。

 私たちは、祈祷師の後ろに控えていましたが、ここで「もしかすると本当に悪霊を追い出すことが出来るかもしれない」と思いました。

 小原師もそう思ったのでしょう。祝詞の音が強く、高くなりました。

 すると、娘はさらに苦しそうに呻いていたのですが、程なくその動きをピタッと止めました。

 「おお。こんなに早く」

 終わったのか。私は一瞬、そう思いました。実際は「そう願った」のに過ぎないのですが。

 

 すると、娘はひょいと起き上がって、こう言いました。

 「ははは。そんなへなちょこな祝詞が効くものか。俺は苦しそうなふりをして、お前らの力量を試したのだ」

 「何だと」

 小原師が再び祝詞を始めます。

 しかし、娘は、いや娘の中の悪霊は、ごく平然と答えました。

「お前は馬鹿か。そんなもの、何ひとつ効かぬと言ったであろうに。経や祝詞は、目の見えぬ者にとっての杖と同じだ。目の不自由な者は杖があれば、それを頼りに道を歩ける。でも杖は杖に過ぎぬ。いくら崇め奉ったとて、所詮は杖だ。俺のように目の見える者は、お前が振り回す杖など、簡単に避けることが出来る」

 そう言うと、娘はテーブルの上にあったガラスの灰皿を手に取ると、一瞬の内に小原師に飛び付いて、その頭に振り下ろしたのです。

 小原師の頭はぱっくりと割れ、血が噴出しました。

 弟子が大慌てで師匠を後ろに下げ、介抱します。

 「ふん。祈祷師のふりをした詐欺師め。お前など何の力も持たぬ。ちっ、詰まらない。もう少しましなヤツを連れて来い。こんなヤツなど、殺す価値もない」

 娘はそう言い放つと、トコトコと歩いて、自分の部屋に戻って行ったのです・

 

 小原師は家を去る時にこんなことを言いました。

 「あれは悪霊憑きでも何でもない。生まれつき精神に異常があるのだ。精神異常者なら、私のような祈祷師の手には及ばぬ。こんな見当違いのところに私を呼びおって。実にけしからぬ」

 そういう捨て台詞を残し、小原師は謝金を懐に入れて帰って行きました。

 祈祷師や僧侶を幾人も頼みましたが、結果は同じです。お祓いや祈祷を生業にしている者の多くは、ただの妄想家で、霊とは関係の無い悩みに対し、大仰に儀式を行うことで、気持ちの切り替えをさせているのです。元が偽者だけに、いざ本物の霊障に行き当たると、何も出来ません。挙句の果てに「霊障ではなく精神障害」などと言い残して行きました。

 

 幾人もそんな「お祓い屋」を経た後で、私たちはようやく高橋先生に会いました。

 高橋先生は祈祷師でも何でもありませんが、本物の霊障だと認められるような案件については尽力してくれます。私たちは、我が家と同じようなケースで、高橋先生が十七歳の娘に取り憑いた悪霊を追い出したという話を聞き、先生の許を訪れたのです。

 高橋先生は最初にこう言いました。

 「映画や小説で語られるものとはかなり違うでしょう。多くの人はあの世、すなわち霊界がどんなところかということを知りません。これは神主や僧侶、神父でも同じです。彼らは悪霊に対し、神や仏を振りかざして打ち払おうとします。でも、それは単に念の圧力で悪霊を追い出そうとするものです。相手が力の無いものであれば、上手く行くこともあるでしょうが、強力な相手には通用しません」

 高橋先生はご自身で教会を主宰されていましたが、そこではお経も祝詞も使いません。

 何をどう使うかは、本人に任されているのです。

 親の信仰に沿った仏教の宗派に順じようが、キリスト教の神を信じようが、「霊が循環していることを理解し、立ち止まることなく前に進むこと」さえ理解すればそれで良いと言われます。

 

「霊界とはまさに海で、何百万人、何千万人分の喜怒哀楽の記憶が溶け込んだ水のような存在です。ひとが生まれて来る時には、その海から柄杓で幾らかが掬い上げられる。そして、それが魂の基になります。そしてひとは人生経験を通じ、自分なりの人格、すなわち自我を形成して行くのです」

 そこで私は先生に尋ねました。

 「では娘はどうしてこんな風になったのでしょうか」

 「霊界から霊素、これは先ほど水に例えたものですが、これを掬う時に不純物が混じることがあります。霊界の海には自我はありませんが、霊界に行けない者、すなわちこの世とあの世の間を彷徨う幽霊の方は、自我を抱え持った存在です。この幽霊の一部が、ひとの魂が形成される時に混じり込む。そういうエラーが基で、ひとの人格が別の人格によって強く影響されることがあるのです。そして、幽霊の多くは悪意を持つ者ですので、その悪意が新しい人格を支配するようになるのです」

 「それなら、どうすれば娘を救うことが出来るのでしょうか」

「まずは、お嬢さんの魂にどれくらい悪霊が同化しているかどうかを確かめます。これは主に対話によります。私は2度、心停止した経験がありますが、その時に、どうやらあの世との繋がりが出来たようです。私は幽霊の心を感じ取ることが出来ますし、あちら側からも私が見えます。何をどうするかは、状況を確認した後の話です」

「どうしても上手く行かないことも?」

 「あります。魂が悪霊と一体化している場合です。その場合は、無理に悪霊を分離しようとすると、魂が壊れてしまいます」

 「そういう時は」

 「ずっと継続して、悪霊を押さえつけて行くか、それとも」

 高橋先生は、その後の言葉を続けませんでした。言葉にするのは憚られということだと思い、私はあえて聞き返しはしませんでした。

 

 除霊を行う前に、私たちは娘を椅子に縛り付けました。

 これは前に起きたように、娘が高橋先生を傷つけることがないようにする、という配慮によるものです。

 最初、娘に微量の睡眠薬を飲ませましたので、しばらくは眠ったままでしたが、じきに眼を覚ましました。

 

 「おい。何だこれは。俺を縛ってどうしようと言うのだ。早く解け。解かぬと酷い目に遭わせるぞ」

 その娘に高橋先生が語り掛けます。

 「ああ、目が覚めましたか。どうも初めまして。私は高橋と言います」

 「お前は何だ。またエセ祈祷師か」

 「いや。私は祈祷師でも霊能者でもないよ。ただ君と話がしたいと思ってね。君が一体どんなヤツ何だかを確かめるために来ました」

 娘はじっと高橋先生を見詰めます。「いつもとは毛色の違ったヤツが来た」と思ったのでしょう。

 「お前に何が分かる」

 「結構、色んなことが分かるよ。私の心臓は何度か止まったのだが、そのせいで、君らとも繋がりが出来た。それで、君らの腹の内を覗き込むことが出来る。だから、私は幾つか君に質問するけれど、君は答えなくとも良い。私の方で探すから」

 「・・・・」

 「では、まず名前からだ。君はどこの誰で、何故この子に取り憑いている」

 高橋先生は、私の娘の胸の辺りを凝視しているようでした。

 

 「なるほど。自分の名が自分でも分からないのだな。忘れてしまったか、それとも」

 娘が眼を見開き、先生を見返します。

 「おい。お前は何故そんなことが分かるのだ」

 「私と君とは、けして遠い存在ではない。言わば、仲間と同じなんだよ。だから君のことは何でも分かるのさ。君が自分の名前を忘れているのは、死んでからだいぶ時間が経ったからだ。長く幽霊をやっていると、昔のことを忘れて来る。次第に自我が崩れて来るから、同じような嗜好を持つ者が集まって、自我を強固にする。でも結局、幾つもの人格が重なるから、ひとり一人の記憶が薄れて行く。ひとを殺した時の感触とか、恨み辛みのことは憶えているが、他は忘れてしまうんだ。そうだろ」

 「じゃあ、俺は一体誰なんだ」

 「君の中の一番中心に居る者は、ササキとかササオカみたいな名前だ。生きていたのは50年くらい前で、その時、君は十人くらいの人を殺した。女を犯し、水に沈めた。老人夫婦を襲い、金品を奪った。そういう記憶はあるだろ」

 娘は黙っていました。

 これは通常、先生の言葉を肯定するものです。

 

 「その、ササ・・・。そうかササジマだね。笹島惣次郎というのが君の柱になっているひとだ。その笹島惣次郎に、同じような殺人犯たちの魂がひっついて、今の君になったわけだ」

 娘はじっと高橋先生を見続けています。

 映画では、除霊・浄霊と言うと、悪霊に憑依された者が暴れたり、物が乱れ飛んだりしますが、そんなことはまったくありませんでした。

 ただ、淡々と先生と霊との対話が続きます。

 ここで、高橋先生は、何かにはっと気付いたような表情を見せました。

 「君は、大人になったら、また人を殺そうと考えている。手始めはこの二人だ。でも、この人たちは今生で君を生み育ててくれた親だよ。それでも君は殺そうと言うのか」

「ふん。そんなことなど知ったことか。俺が再び生まれてくることになったわけだから、そこには何かの天命のような役割があるんだろ。俺の出来ることと言えば、あれに決まっている」

 あれとは、もちろん、人殺しのことです。

 

 私はこの時、周囲の景色が何故か遠くに感じました。

 自分のものではないように思うのです。

 あの娘も、私たちは自分の娘だと思って来たのに、本人がそうではなく、「自分は人殺し」で、それが使命だと嘯いているのです。

 高橋先生は、一旦、私に目配せをしました。「外で話そう」というわけです。

 そこで二人で外に出て、現状について話を聞きました。

 「やはり、お嬢ちゃんに悪霊が取り憑いたのではなく、生まれ持って出て来たようですね。これを分離するのは非常に難しい。これから私は麻縄でお嬢ちゃんを叩きますが、許して貰えますか」

 「何故叩くのですか」

 「悪霊はお嬢ちゃんの魂と半ば同化した存在です。体を叩くと、悪霊の方も痛みを感じます。加えてそこに、かつて自分の罪の重さを教えてやれば、それを嫌がって、お嬢ちゃんの体から出て行くこともあるのです。こういう手段はなるべく使いたくないのですが、致し方ないこともあります」

「では、私がその役を引き受けます。何せ、あれは私の子ですから。私が責任を負うべきでしょう」

 私はそう言って、高橋先生から麻縄の鞭を受け取ったのです。

 「これで除霊が出来ない時はどうすれば宜しいでしょうか」

 

 すると、高橋先生の表情が曇りました。

 「こういう相手には、お経も祝詞も通用しません。彼らは神を信じないので、幾らそれを持ち出しても平気です。でもそのまま大人にすると、間違いなく、十人二十人を平気で殺す殺人犯になるでしょう。それは疑いありません。そこから先はご両親の一存によります。私からは『こうせよ』とは申し上げられないのです」

 

 「それはもしかすると、私の手であの子を・・・」

 すると、何時の間にか後ろにいた妻が叫びました。

 「駄目です。あの子が将来どんな人間になるかは、分からないじゃないですか。それを殺そうなんて。しかも親の手で殺そうなんて、とんでもない話ですよ」

 でも、私はこの妻にまだ打ち明けていませんでしたが、この数ヶ月で幾度か娘が仕出かした痕跡を自分の目で見ました。

「お前はあの子が何をやっていたか知らんだろ。麻亜沙は家から包丁を持ち出して、近所の猫の首を切り落としていたんだよ。その都度、俺はその猫を拾い、庭の隅に埋めていた。それも世間体のことを考えてのことだ」

「え。そんな」

 妻が絶句します。

 

「まずは除霊を試してみましょう」

 そこで三人は部屋に戻りました。

 先生が娘の正面に立ち、私が後ろです。妻は部屋の隅で見守っていました。

 体勢が整ったところで、高橋先生が娘の霊視を始めました。

 「まずは笹島惣次郎の話から始めようか。君の中の多くがその人のものだからね。君が初めてひとを殺めたのは二十一のときだ。君は町内の後家さんのところに頻繁に遊びに行っていた。その女性は母親の幼馴染で、君のことをまるで甥のように思っていた。でも、君の方はそうじゃない。その女性はまだ三十歳で、君はそこに惹かれたのだ」

 すると、娘の眉間に深い縦皺が刻まれた。

 「止めろ。その話をするなあ」

 「君は親切にしてくれるその女性を見ているうちに、むらむらと欲情した。そして、突然、その女性に襲い掛かって、首を絞めたのだ。そして、その女性が息絶えると、服を脱がし、二度その女性を犯した。死んだ後に二度だ」

 「やめろ。俺はやっていない。それは通りすがりの浮浪者がやったことだ」

 「確かに、逮捕されたのは、その少し前に家の前を通った浮浪者だ。でも犯人はその男じゃない。総て、お前の記憶が示している。今の話はお前の記憶から取り出したものだ。その女性は苦しみながら死んで行ったぞ。その痛みを今、思い知るが良い」

 先生が私に目配せをしました。

 「鞭で打て」という合図です。

 そこで私は、自分の娘のことを、麻縄を編んだ鞭で五度打ち据えました。

 

 「これはお前が殺した女の恨みだ。まだ終わりではなく始まりだぞ。何せ、お前の中には十人以上もの殺人犯の魂が寄り集まっている。お前はその中の一人にすぎぬのだ。これら総てが抱えた業を示すには、途方も無く長い時間が掛かる」

「止めろ。もう止めろ。そんな話は聞きたくない」

 高橋先生は、娘の言葉には耳を貸さず、次の話に移りました。

 「笹島。お前が二度目にひとを殺したのは、二十五歳の時だ。お前は職人で、古びた別荘の改築工事の仕事をしていた。山中の別荘で、周囲には空家同然の家がある。週末の深夜、お前は都心で酔っ払った女性を車に押し込んで、そんな空家に連れ込んで犯していた。そして、そのうちに犯すだけでは飽き足らなくなって、殺すようになったのだ。G県から出てきたばかりの女の子は、まだ十七歳だったな。家出して来たばかりで、右も左も分からないところを、お前は自分の快楽のために殺したのだ。お前はその女の子の名すら知らない」

 酷い話です。まさか、我が子がかつての人生でそんなことをしていたとは。

 私は再び鞭で娘を打ちました。

 

 「うわあ。もう止めてくれ。分かった。もう分かったから」と、娘が叫びます。

 すると、高橋先生は、ゆっくりと娘の前に近付きました。

 「お前は自分の犯した罪を悔いて、この娘から離れるか?お前が離れれば、他の者たちもこの娘を手放すだろう。執着心を捨て、罪を悔いれば、いつかは霊界に入ることが出来るようになるのだぞ」

 先生は娘の肩に手を置き、目の奥を覗き込もうとしました。

 

 するとその直後のことです。

 なんと言うことでしょう。娘はパジャマの袖に小さい果物用のナイフを隠し持っていたのです。娘が先生の話を聞いて、困ったようなふりをしていたのは、実はそのナイフを使って、手を縛っている縄を切るためでした。

 手が自由になったところで、娘は目の前の高橋先生の首に、そのナイフを突き立てたのです。

 「あ。先生」

 私は高橋先生の許に駆け寄りました。

 先生が致命傷を得たのは、一目瞭然でした。

 その時、先生は既に虫の息でしたが、私にひと言言い残したのです。

「お嬢さんをこのまま大人にすると、多くの人が苦しむことになる。これからすべきことは分かっていますね」

その言葉を聞きながら、私は自分でも意識せぬまま、涙を零していました。

 高橋先生は私たちの最後の望みだったのに、それを失ってしまったのです。

 その時、私の背中から声が響きました。

 「わはは。それ見たことか。俺に逆らうヤツは皆こうしてやる。分かったら、早く俺の縄を解け」

 これで私は観念しました。

 最後に、部屋の隅の妻に眼をやると、妻はその場に腰を落として、しゃがんでいました。妻の両眼は真ん丸に見開かれたままです。

 私は後ろを振り返ると同時に、娘の頭を渾身の力で殴りつけました。

 それから、娘の体に馬乗りになり、首を絞めたのです。

 

 その後のことは、もう夢のようで、何ひとつ憶えていません。

 警察を呼んだことも、裁判の経過がどうだったかということも記憶からは抜け落ちています。今はまったく記憶にありません。

 

 私がこの時、体験したことは、本当に怖ろしいものでした。

 でも、この先、もっと怖ろしいことが待っているのです。

 その「もっと怖ろしいこと」とは、私が自分の娘と高橋先生の二人を殺した犯人として、程なく極刑になるということです。

 はい、どんとはれ。