日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌R070911「何故別れたかその理由」

病棟日誌R070911「何故別れたかその理由」
 朝、ロビーでAさんに会った。
 数日前に退院して、自分の車で通院しているそうだ。具合が悪くなり入院していたのはほぼ一週間だから、今回は短く済んだ。
 退院したと言っても治るわけではなく、通院できる状態になったからそうするだけ。そもそも治癒する可能性の低い慢性病などなら、入院病棟からは「出てくれ」と言われる。
 病状が改善する見込みがなく要介護状態なら「介護施設に行け」とはっきり言われる。
 Aさんの声に張りがあったので、「さすが不死身の女だわ」とそのまま口に出して伝えた。
 Aさんは、当方が教えた、「ちょっとした厄払いの方法」を毎日実践しているそうだ。良くなろうとする気持ちが大切だから、その姿勢はよいことだと思う。

 この日の担当はエリカちゃん
 この子は処置が手早くて助かる。針が神経に触った時でも、すぐに済ませるのでさほど苦痛ではない。逡巡して針の位置を探られたりすると、ジリジリやられる。
 いつもあれこれ話をしているので、半ばは娘に対するような気分になった。そこで、つい少し愚痴をこぼした。
 「俺はトダさんに最初に会った時に、トダさんの家のイメージを観た。仏間には仏壇に向かい合うように箪笥が二棹置かれているが、その左側の箪笥の脇にお婆さんが立っていて、険しい表情でこっちを睨んでいる」
 あまり良い状況ではないので、トダさんに「左の箪笥の角に水を供えるといいよ」とは伝えたが、「お婆さん」については語らなかった。普通はそんな気持ちの悪い話なんて聞く耳を持たぬし、不快に思うから、まずは口にはしない。
 「だが、そういうのを放置すると、体調を崩しやすくなる。今になって、イカれた奴だと思われるにせよ、『トダさんにきちんと言えば良かった』と後悔しているんだよ。毎日ね」
 トダさんが突然消えて、ほぼ三週間。この病棟ではよくある。
 エリカちゃんには、前に背中にお婆さんが貼り憑いているのを目視したことがあり、お守りを上げたことがある。かつて通った轍を踏むことなので、この場合は割と話しやすい。

 病院は一般のイメージとは違って、あまり幽霊が溜まらないところだ。仮にその場に現れるとすれば患者だが、患者にとって病院は執着の対象ではなく、忌み嫌うべき場所だ。だから病院には幽霊が少ない。
 そう思っていたが、それもその病院によるようで、この病院では時々、老人の幽霊を目視する。
 理由を考えたが、幽霊が出るのは慢性病の病棟で、すなわちここだ。要するに病院で出るのではなく、「病棟で出る」のだった。エリカちゃんやO君ら、看護師の背中に貼り憑いている老人は、ここで死んだ患者だった。
 いつも通院日の朝に、ロビーから病棟に上がって行くと、急激に具合が悪くなるのは、すなわちそういうことだった。
 ここで、当たり前のことに気付く。
 「なあんだ。俺はここで拾っているんじゃないか」
 女性であることが多いのは、長患いで生き残っている患者は女性の方が多いから、ということ。オヤジ・ジーサンは、長くもたずにあっさり死んでしまう。
 今はかなり多いので、定期的に窓を開け、空気を取り換え、日の光を入れる必要がありそうだ。

 そのことに気付いただけで、すぐさま変化が現れる。
 ここは驚くほどドラスティックな変化だ。「ガラリ一変」とはこのこと。
 足指には傷があり、常時痛むのだが、この苦痛が気にならなくなっている。もちろん、一時的なものかもしれんが、これが小さくなってくれると、心が休める。
 「あれ。重いのが一匹降りたな。俺が状況を理解したからか」
 自分のことを「見てくれ」と耳元で叫んでいるのに、相手がまったく耳を貸さない状況なら、そりゃ悪さもしたくなる。
 またひとつ、現状の解きほぐす糸口を見つけた。
 「だが、危機はもう来週だ。間に合ってくれるのかどうか」
 ま、やれるようにやり、進められるように進むしかないわけで。

 治療終わりはタマちゃん(五十台看護師)が担当だった。
 タマちゃんを見ると、「ほや」のことが頭に浮かんだ。
 「タマちゃんの顔を見たら、ほやが食いたくなった」
 「ほやはいいですね。最初は独特なくせが気になりますが、繰り返し食べているうちに癖になる」
 タマちゃんは若い頃に種市出身の彼女がいて、その娘の実家に遊びに行ったそうだ。その彼女にほやの味を仕込まれた、とのこと。
 その話を記憶していたので、タマちゃんを見ると「ほや」を思い出すのだ。
 「種市はほやだけじゃなく雲丹も養殖しているし鮑も獲れる。昔は生ウニてんこ盛りの雲丹丼で七百円くらいだった。三十年前だけどね」
 だが、タマちゃんは道北出身で、雲丹は北海道でも沢山獲れる。
 「三陸名物のいちご煮は食べていないんですよ」
 「あれも最初は首を捻る。塩味だからな。だが、食いつけると癖になる。コイツも現地で食わねば味が分からん性質のやつだな」
 ここで関心は別の方向に向かう。
 「ところで、種市の彼女はどうなったの?その後会ったりした?」
 「四十を過ぎてから一度会いました」
 「若い頃と同じように萌えええっとした?」
 「いえ。想像を超えてオバサンになってました。ま、僕の方も正真正銘のオヤジだから、相手も同じように思ったでしょ」
 「焼けぼっくいに火は点かなかったか」
 「全然です」
 「俺は昔の彼女と付き合ったことがあるが、それこそ知った仲だから、最初はうまく付き合える。だが、その内に『別れた理由』を思い出す。相手を向き合うばかりで、共に同じ方向を向いて歩き出せなかったから別れたんだな。で、また別れた」
 相手と向き合ってするのはセックスだが、子どもが出来たりすると、同じその子を見て暮らすようになるから、夫婦は横並びになる。相手のことを正面から凝視しなくなるから、あらさがしをしない。
 夫婦なら夫や妻が「老いる」のは当たり前だが、彼女や彼が年老いていれば幻滅する。
 関係を長く持たせるには、上手く「隣に立てる」かどうかにかかっている。
 ま、若い時のようにセックスが紐帯だとじきに関係が変化する。他の男・女が良さげに見えたりする。
 別れるには別れるなりの理由があるのだった。
 その人はけして悪い相手ではないけれど、自分の向きには合わないから別れたわけだった。 

 このタマちゃんは金管楽器奏者で、セッションのために各地に行くらしいから、今はそっちの道楽が人生の柱のひとつになっている。

 

追記)入院病棟では幽霊が少ないのに、腎臓の通院病棟では、やたら幽霊を目視する。患者や看護師の後ろについて歩いている。

 何故そうなのか考えさせられたが、入院病棟では亡くなる患者もいるが、治癒して退院する患者の方が多い。

 全体として「病院は長居したいとは思わぬ場所」であり「忌避すべき場所」だから、あまり幽霊がいないのだろう。

 腎臓病棟では、誰もが「自分の先は長くない」ことを知っており、実際に大半がここで死んでいくから、心持がまるで異なるのだった。