日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「わかば」を買ってみた

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◎「わかば」を買ってみた
 煙草の「わかば」と「しんせい」が無くなるらしい。
 学生時代に、金が無い時には、普通の煙草が買えなかったので、こいつを吸ったっけな。
 そのことを思い出して、ノスタルジアから、つい買ってみました。

 先ほど、1本吸ってみたのですが、半分も吸えずに「ゲッホゲホ」。そりゃそうです。
 煙草はもう十年以上、吸っていません。
 体が受け付けてくれない。
 ま、懐かしさだけは味わえました。

 何気なく手元で撮影したら、やはり煙玉が写ります。
 今は光源の向きとか関係なく、被写体にかかれば出てしまう。
 体の周囲を百個も回られると、さすがに退きます。

 私が他の人を撮っても、光や煙玉が写ります。
 その日の状況によっては、人影も。
 知人の中で、興味本位からではなく、実際にこれを体験してみたい人がいれば、写真を撮影してあげることにしました。
 (ま、それを見ても、まったく嬉しくないですけど。)
 なお、強い光だと、日輪(レンズの反射効果)が出てしまいますので、照明は弱い方が分かりよいです。
 ともあれ、「煙玉」の考え方には、日輪以外の自然現象をも含めますので、特別な意味づけはありません。
 光源の角度によっては、同じようなものが撮影できます。
 光源との角度を調整することで撮れるので、数個までの範囲ならフェイクも簡単に作れます。

 大体は、何の影響もありません。
 説明がつきにくい時には、「俺のはただの妄想だけではない」と思えるので、気が変にならずに済みます。体の周囲5センチの位置にポロポロと浮かぶので「説明がしにくい」とは思います。

 追記)
 かなり若い頃から、人が集まっているところで写真を撮影すると、人の間に煙玉が浮かぶことが多々ありました。
 その都度、「こういうのは、何ら影響もありませんよ」と説明していたのですが、それこそ何のことは無く、「私が撮影しているから写っただけ」ということです。
 分かってしまえば、驚きも感動もありません。
 世間の霊感占い師では、こういうのにゴタゴタと因果を含める者が、結構いるらしい。
 逆に「その程度でプロを気取っているのか」と驚いてしまいます。
 ま、自分自身で自由自在に撮影出来ないのは、総て偽者。
 想像や妄想を語っているだけです。