日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎鈴ではない

◎鈴ではない

 火曜に病棟に行くと、ベッドに看護師がやって来た。

 いつも怒鳴られているあの看護師だ(三十台男)。

 

 まずは先週の経緯を振り返る。

 この看護師はいつも周り中から罵られている。それが目についたので、気分を変えてやろうと、鈴のストラップを三個渡した。

 「これを鍵とか鞄、携帯に付けるとよい。すぐに怒鳴られなくなるから。これからどんどん良くなる」

 

 その次の回に、早速その看護師がやって来て、「その日の内に※※※の通知が来ました」と言う。「※※※」が何かは聞き取れなかったが、良いことらしい(喜んでいた)。

 

 そして、それからまた何日か経った後がこの日になる。

 「今日は突然、リーダーを任されたんです」

 「そりゃ良かったじゃないか。前進してるもの」

 「でも鈴がひとつ取れて無くなってしまいました」

 せっかく上向いているのに、お守りを失くしたらしい。

 「そんなのいいんだよ。気にするな」

 すると看護師は「へ?」というような顔をした。

 「『これからよくなる』と信じることが大切で、鈴は重要ではないんだよ」

 ただの「きっかけ」にしただけ。

 

 鈴は「悪縁除け」になる多少のアイテムだが、開運のお守りではない。

 世の中には「開運のお守り」めいた物が沢山扱われているが、物が人事を良くすることはない。

 ひとの運を開くのは、「本人がよくなると信じること」だ。

 まずはそれから。

 そのための「きっかけ」がお守りやアイテムなのであって、それ自体ではない。

 足を怪我していた時には松葉杖を使うが、心が弱っていたから「鈴」で支えただけ。

 そもそも、怪我が無ければ、杖も要らない話だ。

 たまに、ひとの心を救うべき神社やお寺に考え方をはき違えているところがある。

 「開運神社(またはお寺)」だと?

 心と魂を救うべき者が現世利益を謳ってどうするの?

 困難に立ち向かうべき心構えを伝えろよな。

 

 さて、「願う」ことと「信じる」ことはよく似ているが、少し違う。

 その看護師には微妙な違いがまだ分からないだろうから、「顔を上げて前に進むことだけ考えればよい」と伝えた。